※2007年6月2日以降のつづきは
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興義館 総監 訓話
鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、戦国時代、桃山時代、江戸時代、明治、東亜、大東亜。
わが国固有の精神基底は、時代により様々な形態を成すが、その普遍的人間像は侍規範として備わった、800年の武士道精神が根付かせてきたものだ。
礼儀正しく勤勉で、正義感が強く、勇気がある。
自立心を備えた姿である。
世界でも封建制度を体験した国の民度は高いという。
制度を復活させようなどと言うのではない。
正座をして礼には礼で応え、義を見ては勇を奮う、精神基底を育てたという意味である。
今、国際社会と称される国家観の中、自立という国体を持てず、精神と国防に真の独立を果たしてない時代に位置し、正しい精神基底を造るには何を成さなくてはならないか。
個人における強さとは、社会のあらゆる困難に、免疫性を無意識に確立し、人間構築されなくてはならぬものである。
自己精神の免疫、社会性の免疫、現代であれば国際社会の免疫。
この場合、社会性の免疫とは、歪を正す勇気ある人格となる。
自立を押さえられ、精神基底を無くすよう導かれ、未だに気づかず平和ボケにおぼれ、スリーエス政策に溶け続ける日本国民。
日本を精神復活させてはならないという機運と、アメリカが本気(安保)ではないということが読まれて来ている中、
国家の危機意識を持たず、売りつくし、取られるだけとも分からず、憲法の独立性どころか、スパイ防止法案の無い国。
こんな国、世界中にもない。
昭和60年に法案の審議があったが、全マスコミに反対された。
戦前に戻るとか、自由がなくなるとか、笑い話である。
私が修斗を創っている時。あるいは今の掣圏真陰流を興している姿とそっくりである。
そばにいて解らない者、何も知らず利用しようとする者。ボケ妨害以外の何者でもない。
戦前戦中戦後の史観の内容はここでは触れないが、世界中のどんな国も、戦時中の記事内容を規制するのはあたりまえである。
GHQと一緒になって増長するマスメディア。
戦後は、議会に指導されたGHQ情報局、スミス課長やベアストック大尉などの、太平洋戦争史観にまんまと乗せられ、
戦争史観とは、勝った国が造るものという、基本的虚実も気づかず、あいも変わらず区議会議員程度の日本の政治家。
米田健三氏のように、真の近代史観を把握し、国体をまともにしようとする者が、現在の日本に何人いるのか。
反対している一部マスコミ自体がスパイ同然の思想を持ち、
「当時、スパイ防止法案が廃止になったのは、関係ない所にまで規制がかかるからです」なんて答え、拉致を許し、ポピュラリズムに乗せ、色々な業界に進出することを手助けする始末。
一方、マスコミによって拡張する差別を恐がり、勇気さえ無くした日本人。
これも堂々とした精神基底を持たないからだ。
勇気はないのか?怒ることすら忘れたのか?
一神教の神が導きであるなら、武士道における義は、聖なる誓いである。
武士道とは、当時であるなら藩やお家を守り、民を正しく統制する道のことだ。
興義館は、今、失われようとしている精神基底を、この重要な時期に、復活させ、新たな国際社会の中で、不動の武士道精神を造るべく館である。
この時代に封建制や男尊女卑を行うべきものではなく、かえって差別は現代のサムライにとっては恥となる。
しかし我々は国際社会に日本を売るものを造るのではない。
男女の差別は無くとも、区別は強く為し、男は男らしく、女は女らしくあるべきという姿は強調し続け、
自由も博愛も尊重するが、実力を無視するとか、規範定義を崩すとか、弱化への博愛主義という行為は断じて許さない。
その昔、サムライが抱いた信条を、我々は現代の武士道として、魑魅魍魎とした国際社会を生き抜く知恵を見据え、精神基底を復活させるのだ。
第一、精神基底を無視して、愛や自由を叫ぶこと自体が愚かである。
もし、サムライが袴をさげ、派手な着物を着て、町を闊歩していたらどうだろう。
テレビや映画のごとく、不良の格好したサムライがいたらどうだろう。
サムライがポピュラー文化にかぶれ、真似していたらどうだろう。
ここにこそ歴史の重要性がある。
他文化にごまかされることなく、良い物は取り入れ、世界で自立し、生きていく、新しい時代の日本を造るのだ。
決して愚マスコミに影響されてはならない。
アメリカの最重要地域はヨーロッパ。2番目が中東。3番目がスカンジナビア。北東アジアは4から5番目くらいだという。
またアメリカの北東アジアでの対象国は、もう中国にあるという。
国と国の交渉は、武力の背景があってこそ成り立つ。
自衛隊反対とやりながら、北の軍事パレードに拍手していた輩とは、次元が違うのだ。
アメリカがグアムに極東軍事力の配備に変えたのは、対中国の圧力に他ならない。
この場合、圧力とは対話への用意なのである。
中国が対軍事衛生へのミサイル開発に成功したことに、アメリカは対中政策を変えたという。
中国は国家予算外の軍が関与する予算で、外洋にまで軍事力を広め、アメリカでさえその規模は把握してない。
中国が何であれ、アメリカが何であれ、我が日本は独自の精神復活をするしかない。
外国で生活したことのある日本人の多くは、日本が世界の中の特別な国ではないことを実感する。差別も受ける。
生き抜くための精神が無いことを実感する。
国体とは独自の精神をもって構築していくものなのだ。
今、最重要なのは、真の歴史を把握し、一刻も早く精神基底を復活させることである。
スパイ天国日本、勝つことはない、という思想は歌にまでされ、気持ちよく歌われている始末。
国が売られている実体を知った人々は、大抵がひっくり返る。
しかしもう遅いのかもしれない。
何とかしなくてはならない誘導された腑抜け国家。そんな我々を憂国の志士などと言っている次元ではないのだ。
興義館が行うのは当たり前の国の精神造りである。
日本人・・・・・今・・・ 馬の耳に念仏。
佐山は記憶力が良い、と言うだけのモヌケがせいぜい。
世界中の人々と違い、歴史観を語っても、まったく無反応の輩が多い。多すぎる。
うまく行きましたね、戦後戦争史観を造った人々。
私が武士道を復活させるのに、武道とは精神面の強さであると、催眠まで行っている本来の意味が、理解できるはずもない。
これがまともな外人なら、本当に目が光ってくるし、哲学だとも言うし、真剣に話し合うことをする。
私の被催眠者は700人を越え、私にとって、催眠に入れることはたやすいことである。
痛みも、ストレスも、自律神経も、ダイエットも、退行や前世など、あらゆるものをこなし、それらは公園を散歩でもするようなさばきとなった。
戦後戦争史観の催眠を解く術は心得ている。
問題は無意識に影響させる不動暗示の研究なのだ。
武道にとって、何が精神に正しく影響するのかを研究する重要な守備固めである。
礼儀や、モラル、勇気、腑抜けではない社会性。
愛や遊びもこの精神基底を備えて、より強く本物になるのだ。
どれをとっても無意識に構築させるための基本である。
興義館哲学を学びに来なさい。日本がどういう状況で、何を成さなくてはならないのか。
精神基底とは何か、そもそも精神とは何か。
選手に教えていく心の基本を、より多くの人に知ってもらいたい。
興義館は格闘技の道場ではない。
精神基底を造る館である。
松下村塾や興譲館や明倫館などと、同じと考えてもらえれば良いだろう。
たまたまチャンピオンクラスが、義を学びながら格闘技の練習を、術として行っているだけである。
近々、思想というクラスを設ける。
興義館 総監 佐山 聡
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大義が見えず、虎の尻尾を踏んでいる愚者
一昨日は立て続けで七人に催眠のデモンストレーションを行い、一人にはプチ退行催眠をかけてあげた。
昨日は士禅を一時間行い、続けてヒプノセラピーを1時間半と、連日催眠漬けである。
夜は大宮に行き、自民党の米田健三先生支援集会に行く。
数人の議員さん達と私も壇上に上げていただき、米田先生への応援演説を行った。
「軍隊を独自に動かせない国の議員なんて、その辺の町会議員さんと変わりない。日本は欧米などの独立した国家とは違う。現代日本のゆがみは、戦後のごまかし誘導であり、もう騙しきれない所に来ている。先生はそれが何故かの歴史と、日本の現状を真に把握しており、絶対にこういう人が国政に出て行かなくてはならない」
お世辞ではなく、本当の意見をのべさせていただいた。
先生の講演は大変面白い。
無窮塾でもお世話になり、その思想の一致に驚いているが、先生の立場上、現在の本当の流れが聞けて、勉強になるのである。
自民党国防部会長代理 衆議院外務委員会理事 衆議院議院運営委員会理事 北海道開発総括政務次官 防衛庁長官政務官 内閣府副大臣
の経験者である先生が、現代日本の仕組みがどうなっているかを話してくるのだ。
平和ボケにされた戦後史観。
アメリカ要人との会合(機密事項ではなく、話せるものだけ)。
スパイ天国日本の危機的状況。
どこの国にでもあるスパイ防止法案も、昭和60年に「軍国主義」に走る(笑い)と、右系の新聞ですら反対を唱え、拉致事件も容易く行われた。
今では民間、企業、公務員、官僚、政治家、マスコミでさえ各その組織とつながっている状況。国体の体を崩されようとしている危機。
アメリカの重要地域ナンバーワンはヨーロッパ。二番が中東。北東アジアは四番か五番であること。安保で日本を守るなら、もう何らかの行動に出ているが、軍事衛星の情報からしても、その兆候さえなかったこと。
日本の優秀な国民性を押さえ、米中協同でのアジア支配体制への移行。
その中で安倍総理が置かれている今の状況が、日本に対する思想「この辺で押さえておく」の中、周りの日本の政治家(町会議員でしかない)達が状況も知らずに、総理を守らないこと。
こんな者たちが国体を守れるはずはない(これ私の意見)。
この場合、国体とは国際社会の中の新国体の意味であります。
みなさん。先生の話は本当に勉強になります。
早く政界に復帰して盟友である安倍総理を守らなくて、何がこの国を独立させることが出来るのだろうか。
戦後、世界と違い、ただ一国「金」が神様になった私たちの目を覚ますには、
「国体が衰退すれば、経済も取られるのですよ」の言葉で目を覚ますのか?(大笑い)
私たちはスイスのような中立国という妄想は、地政学上あり得ない。
第一、スイスでさえ核シェルターを持ち、強固な軍隊を持っている。
まだ、解からないかな皆さん。
歴史を騙され、状況に翻弄されたバカ者になるのか、国際社会の一員として堂々と生きるのか。
なぜなら将来必ずこの時期の状況が歴史の一ページになる。
「アジアから突出して世界を変えた日本人は、戦後に大転回され、先人の魂が残る時期に、経済は巨大化したが魂を無くされ、自国を守ることさえ忘れ、社会そのものを衰退させた」と。
なら良いが、最後のフレーズが「滅ぼされた」ということも十分あり得るのだ。
私は日本に誇りを持って海外で修行をしていた。誇りがあったから強くなれた。
武士道精神の復活は必ずやる。6月はびっくりしないでほしい。
プロレスとか格闘技という枠しかない者には、私が何をやるか永久に理解できない。
すべてが一体化したとき、日本の精神的自立と武士道の復活という大義を持っていること、その精神的構成の一部が催眠にすぎないこと。
たまたま私は催眠が異常に器用なこと。
本当に面白いことに、歴史とか精神性とかを理解できない愚者こそ、決まって催眠を否定する。
インチキとか怪しいとか、決まって言うのだ。
私にはロバにしか見えない。
まだ私の怖さが見えていないようだ。そろそろ攻撃に出て行こうと思っている。
平和ボケでない、世界のまともな人々が驚愕賛同する、近々もの凄い発表をするかもしれない。
ようやく大義が見えてくるだろう。
本日は10キロランニングを敢行し体がガタガタぎみ、6月の試合が楽しみ。
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私が必ず歌う曲は・・・・
まだ言わない。
皆さん、たくさんの回答を、ありがとうございます。
でも正解はまだありません。
ヒントという声があるので、まず興義館の状況から説明しなくてはならないでしょう。
なぜカラオケがある所に、折ちゃんと飲みに行くことになるのか?
興義館は月曜から金曜まで、午後二時のオープンですが、練習生は一時から入り用意を始め、1時半からプロ練習が始まります。
以前は格闘技とプロレスの練習を、隣同士で同時に行っていました。
新人たちと折ちゃんの練習は、足の運動と呼ばれる、ヒンズースクワットから入ります。
折ちゃん自らも行います。
なんとその回数は1000回を行うこともあり、足が終わると受身が始まり、それは延々と続き、プロレス的な打撃の練習が行われていました。
確かに厳しく行っていますが、私にとっては古典的というか、昔の練習法をそのまま見ているようだったのです。
しかもセメントの練習が無く、これからのプロレス部門の思想を考えると、多いに不満でした。
リアルジャパンは、K1やプライドでも十分以上に通じる、本格派プロレスラーを育てることが最重要と考え、それこそが真のプロレスラーの姿だと確信しているからです。
折ちゃんがプロレスの練習をやっている間、我々は格闘技の練習を、シャドーからバック、ミット、各、打投極スパーから、各総合対応スパーを行わせています。
ようするに完全に分かれて練習を行っていたのです。
私は自身で、私が技術的にも精神的にも、世界一の先生だと思っています。
実戦が理解できない者には、その重要性が理解できないでしょう。
25年前、将来の総合格闘技を完全なものにするために、30年後を考えた時、最高の先生がいなければ、成り立たないと確信していました。
名選手名監督にならず?バーカ!といつも思っています。
私がとった行動は、将来のため伝導の名先生を作るための、先生だったのです。
1から100まであるとするなら、選手は20あたりから、3ずつでも理解していれば強くなります。
しかしそれで、実際にそのままコーチとなって失敗する例は多くあります。
将来の確立を考える者として、時代を担う未来の先生達に、そうはさせられません。
当時の私の場合、責任です。
心技体を含めて、0.1から0.2、0.3と100までの全てを把握しなくてならないのです。
私が折ちゃんに求めるのは、元アマチュアレスリングの全日本チャンピオンとしてのコーチ力と、プロレスの魂を育ててもらいたかったのです。
ああ見えても、仕事的な人材はかなりの資質を持った人間であることは、見抜いています。
「折原は佐山にうまく取り入って」なんて、心無い言われ方もされているそうですが、まったく逆です。
私がうまく折ちゃんに取り入っているのです。
真の格闘技を理解し、真のプロレスの先生になってもらいたいのです。
まずは思想転回からが必要だと考えました。
徐々に練習生も格闘技の方へのめりこませ、折ちゃんも十分解かって来てくれました。
プロレスの基礎体力と格闘技がコラボレーションし、今、興義館のプロ練習は圧巻です。
出稽古でチャンピオン達が来る時は、情熱と熱気で最高潮になります。
もちろん練習生たちも必死でついて来ています。
彼らは誇りさえ生まれているでしょう。
そんな中、折ちゃんが少し遅れて来て、スクワットをやり始めました。
いつまでたっても終わりません。
なんと一人で2000回を敢行したのです。
とにかく汗を出すことが使命感のように頑張るのです。
そのうち段々と折ちゃんの生活習慣が分かって来ました。
練習が終わると食事をして二丁目に繰り出します。
本人はノーマルですが、女性恐怖症があるからです。
酒は天下一品に強い!
何と、お昼の12時まで飲み明かし、ボトルを13本開ける。
そのまま午後1時半には興義館にやって来て、練習をしてそのまま、また二丁目に戻る生活だったのです。
そんな周期を三日間繰り返して自宅に一日帰り、また始まる。
折ちゃんはスーパーマンだったのです。
ある日、酒を飲まないで興義館に現れたことがありました。
「ああ・・何か今日は飲んでないので調子わるいです」と言ってほとんど練習をしませんでした。
あ!っと思いました。
折ちゃんにとって練習は、思想とかが重要ではなく、自分自身の体のために、13本分のアルコールを出すために、一生懸命やっていたのです。
「先生!昨日新記録作ってきました」ある日、喜んで興義館にやって来ました。
「え?」
「18本空けちゃいました!」
その日の折ちゃんの練習量は凄かった。
そんな中、リアルジャパンでの二丁目のお客さんが、折ちゃんによって、たくさん会場に来ていることが判明します。
スポンサーとの接待もあり、最近何回か私も二丁目に付き合います。
スポンサーといっしょなら、私が爆発しないだろうと安心しているのです。
その時、いつも歌う曲が、折ちゃんの涙腺を刺激し、私がからまれる材料なのです。
しつこいしつこい!
私にとって、状況は違いますが、歌詞の内容がファンとマッチングするので、本当に心が入るのです。
絶対に頑張ろうと奮起させてくれる歌です。
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私がいつもカラオケで必ず歌う歌がある。
さて、何でしょう?
あるフレーズが自分を奮い起こすのである。
この前、折ちゃんの前で歌ったら、泣かれてしまい、朝6時までからまれた。
それ以来、なるべく折ちゃんの前では歌わないようにしている。
解かった人には、マスクは森に怒られちゃうから、6月8日の最前列券あげちゃおうかな。
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ユングで言うと心の構成には、普遍的無意識という重要な部分があるという。動物でいう群れ意識だ。
多くの心理学者や哲学者に今でも大きな影響を与えている。
人間で言えば無意識に誇りを持っている共通的な構成だ。
その共通的な誇りが強さの土台となり、上の個人的無意識への感情を押し上げていく。
格闘技は地域によって、強い所と弱い所が存在する。気風が影響しているのだ。
普遍的無意識とは、郷土の習慣や方言からくるような、地元意識などが例としてあげられる。
例えば、高校野球などで応援するのは、自分の出身地の学校であるだろう。
国や宗教もそうであるし、共通意識が高いほど誇りとなり強さは強力となる。
思想や信仰もそうである。
武道とは普遍的無意識に強さの思想構成を造るものなのだ。
ハングリーという考え方がある。
ハングリーは個人的な無意識レベルにとどまり、多くは目的をつかんだ時点でなくなる。
武道は個人と普遍の、全体的無意識の構築から強さを造るため、生涯折れることはない。
武道が持つ性質は、ハングリーとは比べ物にはならないのだ。
いったい、いつになったら独立するのか。
戦後60年、何も進歩しない国家・・・どころか、精神性を無くし、多元的他国の普遍的無意識に誘導され、どんどん掣圏される姿。
国家集合体としての倫理観をも消され、自由平等博愛を信じ込まされ、これが常識とする親多元的他国マスコミと政治家、知識人と称する親多元的他国文化人。
今も平和ボケに冒され、認識も出来ていない国民とは何なのか?
テレビを信じてはならない。マスコミを信じてはならない。彼らの真実はいずればれるであろう。
安心できるのはこの状態を把握し、何とかしなくてはならないと、志を抱く人々も多くいるという現実だ。
そして今が我慢の時と解っている。
逆に、そういう現実さえ知らずにいる者達とは何か?生かされているだけである。
先日、浅草のレストランで偶然出会った人々は圧巻であった。
航空関係の人々であったが日本はまだまだ捨てたものではない。
真実の国家観とは何か。
簡単である。
軍隊を自由に自主的に操ることこそが、真の国家の独立である。
この場合、平和は絶対的条件であり、平和のキャッチボールは、お互いが持つものという意味だ。
一方だけが持たないことは、あり得ないのである。
戦後60年間平和だったのは、平和憲法のせいだという輩がいる。
GHQ民生局のコートニー・ホイットニーや、チャールズ・ケーディスが、約10日間で作った代物だ。
マッカーサーの父が総統だった、統制時のフィリピン憲法を参考にし、天皇制や9条を付け加え、20才のユダヤ系ロシア人女性も入り、出来上がったものを、未だに後生大事に祭っている。
おかしいとは思わないのだろうか。
自衛隊というからオブラートに包まれ、解りにくくされている。
あえてここでは我が国の軍隊と呼んでみることにする。
我が国の軍隊は、24万とも言われているが、実際は事務方も入れてあり、14万人が戦える人数である。
皆が巷で噂しているより士気は高く、優秀な装備はされているが機動性は無い。
キャッチボールをしようにも、他国へ入り帰ってくる装備が許されていないのだ。
戦後平和だったのは、言うまでも無くアメリカがいるからだ。
このままずうっとアメリカはいてくれるのか。
アメリカは親日派の共和党と、親中派の民主党がある。
もちろん今のブッシュ政権は共和党。次回予想されるのが民主党政権だ。
現在、大統領は共和党でも、議会は民主党が多数を占めている。
大統領制は実は議会に弱い。
議院内閣制は、元々議会からの選出であるから、弱いも何も無く、強い解散権さえ持っている。
もっともその上のアメリカが日本を誘導するのだから、アメリカCIAからすれば、日本はやりやすいという結果になる。
かつて周恩来がキッシンジャーとの会談で、日本は民族意識が高いので、どうにかしないといけないと言ったことがある。
決してそんなことは無い時代だが、日本の経済成長を見ての両者の会談であった。
そこから精神解体はさらに進んでいく。
いずれ日本は国際社会で、ものを言える時期が来るだろうと思い「何でこんなに金銭貢献しているのに」と、平和ボケしているおめでたい者がいる。
絶対に今の状況下ではあり得ないことを認識出来ないのだ。
今、何をすべきなのか?
精神性の復活である。
礼儀、信義、節義の再構築無くして、普遍的無意識への造りはできるはずはない。
彼ら欧米人の多くの普遍的無意識にはキリスト教がある。
小さなころから教会で神と契約し、挨拶のしかた、人を助けること、人間としてのモラル。
すべてを教え込まれる。
イスラム教にしても然り、ユダヤ教にしても、大抵のまともな宗教観や社会思想観ある所は心に安らぎがある。
いったい昨今の日本の乱れ方は何だ!
事件がうんぬんというのではない。
ジュリアーニがニューヨークの治安を立て直した手法は、学校の窓ガラスの修理からだった。
まず、教育から根本的にやり直さなくてならない。
敗戦国という姿から、公的に出来ない今の現状があるのは解かるが、思想制御は国際社会の常識的なやり方でブチ破るべきだ。
まともな政治家に、思想転換を任せられるよう我ら民間が、底からのうねりのごとくやるべきである。
無窮塾の茨城支部は八百人にもなり、先日、自民党の米田健三先生を招き部会を開いた。
ただし会場の制限から二百人を限定したのである。
一時間という短い時間であったが、氏の歴史観、国家観は大いに共鳴させていただき正直驚いた。
要するにテレビでは言わない鎧を完全に持っていたのである。
今は我慢しているが、真の独立のためにやってくれるという政治家を、やりやすくするために、我々は存在しなくてはならない。
真実を知りたくないか?国家観を知りたくないか?ここまで言える政治家は中々いないだろう。
私も氏の後に三十分ほど講演したが、わざわざ壇上にまで上がっていただき、その共感さから意気投合していただいた。
「私の知る限りでも、今の政治家にこれほど歴史を知っている者はいない」とまで言って頂いた。
余計にも
「安倍総理はどのくらいの歴史認識なのですか」と私は気になっていることを聞いた。
氏は安倍総理と親交が深いからだ。
案の定
氏ほどではないにせよ、十分であるという、予想どおりの答えが返ってきた。
日本は大丈夫である。
真実を見よ!
次回、佐山の講演は、五月六日、飯田市にて。
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宣言
次回6月8日、リアルジャパン後楽園大会は、大きく躍進します。
これまで放映していた「チャンネル桜」自体が、スカイパーフェクトの無料チャンネル、ハッピー241チャンネルに移り、リアルジャパンの放映日時が、日曜日の9時という時間帯で、放映されることになりました。
400万世帯数という巨大なエリアの中、無料ということで、これまでの数十倍という視聴者数につながるのです。
スタッフ一同、より強力な布陣で望む所存です。
現在「興義館」では総合格闘技のトレーニングが、激しく行われています。
出稽古で来てくれる、総合のチャンピオンクラスで一杯になるときの迫力は、雄大で壮大な技術の熱気で満杯となりますが、これもプロレスでいう、基本練習「セメント」の本来の姿、何ものでもありません。
高い技術水準が展開され、プロ格闘家に交わり、リアルの若手選手も着実に成長をしています。
総合でもプロレスでも、間違いなく世界一の団体となるでしょう。
勿論、スーパータイガーも次回に現れるもう一匹の虎も、強烈に汗を流しています。
そんな中、次回241チャンネルでの試合を機に、さらにリアルロケットを推進させるため、タイガーマスクを強く復活させようと思います。
私の膝も治り、トレーニングの準備は十分出来ています。
初代タイガーマスク式ストロングスタイルは、中も外も、窮地に立たされているプロレス界に、小さいながらも、真実の風穴を開けます。
リアルは内側の部分で、過去最高の物が造られるでしょう。
将来、プライドやK1等に選手を送り込み、活躍する日も来ます。
プロレスもストロングスタイルが復活するでしょう。
そのためにも、今回のメディア241で放映されるのを機会に、大きな前進をさせなくてはなりません。
何をしなくてはならないかは、私が一番知っています。
全国のプロレスファンの夢を復活させる決意です。
次回リアルジャパン2周年の大会名は、「241タイガープロレス復活祭」
私は完全にタイガーの体に戻します。
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昨今、テレビで催眠がおもしろおかしく、取り上げられているが、世界で唯一の精神後進国が、またやらかした。
世界の催眠学者達は、大笑いしているだろう。
ショー催眠と、医学催眠との区別の出来ない日本人と、それを助長している馬鹿プロデューサーにである。
どんなに医学催眠が、これでまた遅れることだろう。
催眠はかかろうとしない限り、かからない。
術者と被術者の信頼関係で成り立つのである。
あきれて物が言えなくなる。
私は100パーセントで、しかも短時間に催眠に入れることができるが、最初は個人差がある。
そんな私でも、相手がかからないと思えば、絶対にかからない。
かつて、無意識にある病状を私に見せたくなく、催眠にかかろうとしなかった人を、誘導と思わせない、まったく別の誘導で、催眠に導いたことがある。
時間もかかったし、ある程度入ったら、無理やり自分から覚めようとするので、深くは入らなかった。
私もそこまでする人に、かけては可哀想だと思ったものだ。
一方、テレビでは、かけたら賞金で、そやつは、ある程度協力するのか?馬鹿らしい!
タレントを使うのをやめさせろ!
医学催眠に脚光を当てろ!前に良い催眠番組もあったのに。まことに残念である。
私に、催眠はイメージが悪いので、やめろという馬鹿がいる。
もちろん私が戦闘生理学を、極めようとしていることを、知らない者たちである。
第一、催眠は戦闘生理学にとって一部である。
本質を見き分けられない、現代の日本。
今、私が遅れるわけにはいかない。
まだはっきりと表に出していない、掣圏真陰流だが、春までには、このHPをより解りやすく図解入りで改正する。
格闘技が変わる。武道が本質化される。
スポーツが強くなる。
武士道精神がアカデミックに復活する。武士道制度のことではない。
このHPで何が起こるか期待してください。
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試合中、私にとってマスクは布切れである。
私がプロレスを行い、マスクをかぶる時、マスクの表の華やかな顔、タイガーマスクとしての意識はない。
裏から見える黄色い裏地に託し、いかに戦いにフィットするだろうかが、タイガーマスクとしての覚悟となる。
もし何々であると意識して、プロレスを行おうとするやつ、どんなヤツ?
戦いをベースにしたプロレスなんて、できるわけがない。
ここでいう布切れとは、観客を意識した道化師ではないという表現だ。
ファンがマスクに夢を託すのは、そのマスクの裏地に付いた本人と、表の象徴が一体化する姿である。
だからこそ私たちは、裏表最高のマスクを求めるのだ。
スーパータイガーには、教えなくても解りきったことである。
興義館の練習が本格化している。
プロレスラーがプロレスラーとしてあるべき、真の姿を養う場所だ。
プロレスラーの特色は基礎体力である。
私たちは格闘技のエキスパート。
しかし日本人のヘビー級の場合、技術や精神だけでは勝てない。
元々精神が弱いからだ。
もしプロレスの体力と第一線格闘技と、興義館の精神性がコラボしたら?
それがリアルジャパンの姿である。
次回、紙プロにその内容が載るが、みんな恐れないでほしい。
私は思想と極限を、失地回復としてリアルのレスラーに託している。
近い内に第二第三と、真のレスラーが登場してくるだろう。
マスクが布切れという真の意味は、いくらマスコミに言っても、違う方向へ書いてしまう。
元々マスコミは抹殺の対象であるが、彼たちにとって残念なのは、興義館の私の部屋は、カメラまでついて、その取材を全て撮っていることだろう。
あるある大事典?今さら何を騒いでいるのか?氷山の一角でしかないのに。
ついでに皆さん、CMリテラシーもしっかりね。
催眠(精神性の奥技)の方は、いよいよ真陰流の核心へ入り込んだ。
本物も偽物も、変性意識を利用したトリックも、今の私にはすべて把握できる。
何が真の陰(第六感のようなもの)か、どう陰を養うのか、はっきりと見え、その方法も把握しているつもりだ。
このたった何行かの文字は、サヤマニアの歴史上、相当重要かもしれない。
ついに発見であるから。
強さとは
日本武道がいう強さとは、何事にも響かず、義に構成された、不動心を持つことである。
決してバイキングなどの無頼の強さではない。
一神教の人々に、キリストやアッラーやヤハウェが、絶対としてあるように、
武士道の不動心の裏には、義という絶対がある。
絶対信は義と共に己に構築され、余裕ある自信となる。
自己の最頂点に置く絶対とは、自己の絶対神であり、
実質上、武士道が強いというのは、何事にも響かない感情の心理、己を捨てきることが出来るということだ。
捨てきった煩悩の無い世界を、通過するものが絶対信なのである。
捨てるといっても意識で、命を投げ出す覚悟をするのではない。
貴方の無意識から自然に起こる、不動の源の感情体系である。
無意識「陰」はイメージの世界である。
貴方が昨日の夜、何を食べたかは、貴方の記憶にイメージとして残っている。
そのイメージは情景だけではない。
「おいしかった」とか「楽しかった」とかの感情もイメージとして残っているのだ。
私が行う催眠は感情を導くものである。
普段その者も気づかない、感情の根底を構築していくものなのだ。
イメージトレーニングというのを、よく聞かれると思うが、それは意識世界のものである。
無意識のイメージというのは、感情にまで達することを意味する。
強さであれば、心の根底に己を捨てる作用がなされていれば、自然と不動心は表れ、何事にも立ち向かっていける意識が生まれる。
興義館はプロに対して、世界一厳しい道場である。
二十年以上も研究してきて作った本格的な道場だ。
何の気兼ねも無く選手を造ることが出来る。
しかし単に厳しくしても、選手は乗り切れない。
無意識に義を植えつけているか、否かで大きくその意義は違ってくる。
義は感情にまで、無意識に構成するものでなくてはならない。
だからウチの選手は耐えられるのである。
もちろん礼儀や態度にも厳しい。
もしそれらを逸した場合、彼らは真剣に意義が崩壊すると思っているだろう。
なぜならそれが彼らのペルソナ(精神的な「仮面」)だからだ。
これらを理論的に置き換えるとどうだろう。
不安と恐怖は回路が違う。
前者が経験的なもので、後者が情動的なものといえる。
それは視床下部で集約され、自分ではコントロールできない、自律神経に送られる。
自律神経とは交感神経と副交感神経の二種類であり、健康な場合、常にバランスがとられている。
健康な恐怖は免疫で慣れていくが、不安は大脳の負の計算感情により、交感神経に副腎皮質ホルモン刺激ホルモンを、どんどん送り出してしまう。
交感神経の優位性が上がり、副交感神経とのバランスを崩してしまうのだ。
不安から構成された恐怖は、やっかいなものとなる。
自分ではコントロールできない、負の計算感情というのは無意識にある。
掣圏真陰流の、自己を捨てきるというのは、意識の感情ではない。
無意識の構成が、勝手にそうなっているだけである。
従って自己を捨てるとは、自己が成りきることである。
義を信じて成りきること、礼儀や作法や我々の体制そのものがペルソナなのだ。
本人は気づかなくとも、実質上、自己の情動が不動心という、安定状態になりきってしまうもの。
貴方が背負う色々な問題も、感情において安定してしまうと、無意識へまでその負が到達することはない。
よく催眠と士禅の違いを聞かれる。
催眠は、誘導から変性意識を通り、暗示をおこなうもので、被者の不安の構成を無意識レベルで消去してしまうものだ。
士禅とは、自己誘導から変性意識になるもので、実はこの過程が副交感神経を上げるものである。
副交感を上げる術を見につけ、バランス、すなわち心の安定を求めるものになるのだ。
もちろん自分で勝手に暗示をしてもよい。
ただし、無意識は方法において、受け入れる暗示と、受け入れないものがあるので、あらかじめ勉強しておく必要がある。
私が催眠を行うことに、アレコレいう時代遅れの愚者がいる。
確かに唯一先進国でこの国だけ、催眠は誤解され、インチキ商法も多い。
果たして私がそんなレベルで、武道を造るだろうか。
何が本物で、何が商法かを理解すべきである。サロンに導いてリラックスさせることが催眠ではない。
確実に変性意識に導きイメージを確固なものにすることが、本物の催眠の姿である。
よく私は10年早いと言われるが、それは違う。
この国の体質が新しいものを見分けられないのである。ようするに自立できていないのだ。
そのくせマスコミの誘導には極力弱い。
よく島国根性というが、それも違う。
奴隷根性なのである。
我が国の侍社会は700年続いた。
侍はわずか全人口の5パーセントである。
世界は古代から、国と国が戦い、敗れると、敗れた方の民は奴隷となっていった。
しかし鞭打たれ過酷な労働というのは、ほとんど無かったのだ。
彼らは住むところも家族も平穏に暮らし、仕事をしてパンも食べることができた。
ただ、市民の位ではなかった。
市民とは税金を払い、軍隊に行く人々のことである。
日本の侍社会に置き換えると、今度のお殿様は我々に何をしてくれるべかなと、暮らしていた町民や百姓の姿こそ、奴隷にほかならない。
染みついた意識を上げたのは、明治中期くらいからである。
終戦までの、わずか60年の間だけが、精神的に世界と肩を並べた歴史に過ぎない。
戦後自立復活していない、現在の日本の社会構成で、どこが政治をやっても同じことである。
国民の意識が平和ボケどころか、平和奴隷ボケに戻った、従来の染み付いた時代のDNAを変えていかなくては、世界に太刀打ちできるはずもない。
戦後のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムに誤魔化された状況下で、最も活路があるとするなら、日本版CIAを作ることだ。
しかも他国に牛耳られず、堂々とした行動を水面下で展開できる組織である。
どうやら安倍政権はそこまで考えているようだ。
アメリカ人に、愛国心の無いCIA局員というと、大笑いする。
どこの国の、超法規的組織のイメージもそうである。
武士道CIAは、おそらく世界でも優秀な組織になるに違いない。
以前、元CIAのエージェントの方と食をしたことがあるが、思想が大変似ており、催眠まで行うことに、両者とも驚いた。
私は自分のやっていることに自信を得たが、彼らの考え方が、進んでいることに、さすがだと思ったものだ。
確固たる哲学を持ち、国のために命をかけた彼ら。
彼らの姿こそ、現代の侍ではないかと思えた。
興義館では今、CIAの手法を一から習っている。
プロレス観
これほどまでに変わってしまったプロレス。いったい何が原因なのか。
私が浦島太郎で、今のプロレスの発達に、びっくりしているとお考えだろうか?
確かに世間にそう思わせるよう、マッチメイクしてくる、したたか者もいる。
マスコミもそうなのかもしれないが、ただの自殺行為である。
飛んで跳ね回っているだけを見て、喜び、スゲー!とやっている面々も、プロレスの自殺に花を添えているに過ぎない。
棺桶と一緒に燃やされるだけである。
「私達は一生懸命練習してます」?
受け身?ロープワーク?機械体操?ロックアップ?独自の飛び跳ね?
まるで当時の各社マスコミが作る、タイガーマスクのプロパガンダ的記事を、そのまま信じ、実践しているようだ。
「タイガーマスクはその必殺技を、何時間も練習していた」?
ウソだろう!写真用ジャン。
私はレスラーになって、そんな練習は少ししかやっていない。
私が身体的に優れているから?百歩下がっても、とにかくしていない。
プロレスラーの受け身は凄い?
おいおい受身が凄いのなら、誰でも毎日受身をしていたらプロレスラーになれるぞ。
そんな練習を重視し、実際に素人格闘者に負けるレスラー。
現実を見よ!
受身が凄いのではなく、プロレスにとって受身はアタリマエなのだ。
それともプライド恐怖症なのだろうか?
「あの人達と、プロレスは違う」を見せたいがための、反面教師的恐怖なのだろうか?
プロレスに求められるのはレスラーとしての資質と力量である。
このことを貴方はどう思う?
プロレス的、資質と力量とは、機械体操と、決められたような、動きなのだろうか?あるいは本物の格闘技術と、それがあるから成り立つ、プロレス的ナチュラルな展開だろうか?
プロレスラーの力量とは何が必要なのか、そしてどういう技術が必要なのか、
興義館が造るプロレスラーは本物である。
やがてプライドやK1にも出場し互角以上の実力を備えるだろう。
プロレスラー造りに進出した興義館は、今や技術や精神のみではなく、体力も重視し始めた。
プロレスラーの体力と格闘技が一体化したとき、どのようになるかを見つめて私は進んでいる。
興義館は完全プロ化へ向けた道場となっている。
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掣圏真陰流、新年度白書
明けましておめでとうございます。
平成十九年、掣圏真陰流は、リアルジャパン・プロレスおよび掣圏道共に、かつて進めていた戦略を始めます。
かねてより万全の武道として育てております掣圏真陰流ですが、その厳しい技術と体系を、本年度はプロレスとコラボレーションさせ、ストロングスタイルのプロレスに旋回、最も理想的なプロレスラーとプロレスを形成させます。
最高値の技術を持ち、厳しく育てられたレスラーが、プライドやK1などに堂々と参加し、時には勝ち抜き、時には負けもするでしょうが、一歩も退くことなく戦えるプロレスラー世界がやってくるでしょう。
そして彼らが行うプロレスはナチュラルな格闘センスで動け、緊張感あふれる、真のストロングスタイルレスリングが復活します。
私たちはパンチやキックを一級でこなし、立ち技を行い、マウントを取り、極め技を持ち、精神性で飛躍し、戦いのすべてを熟知しております。
私の考えは、もともとプロレスラーとはそういう者であるべきで、そういう者こそがプロレスを行うべきだという考えです。
プロレスに対する思想・技術・セメント・精神性。すべてをそろえた者が行う、真のプロレス世界。
平成十九年は、三月から革命が起こります。
1月中に記者会見を行い、第一弾のレスラーが出現するでしょう。
プロレス界に裏のほうから大きく衝撃が走る、名前と選手です。
但し、かつて真剣勝負を世間が解かっていただけるように作戦した、UWFスタイルには持って行きません。
現時点でそれらは果たし、格闘技は格闘技として成り立たせたからです。
プロレスはプロレスの王道を行くことを目指します。
今年はリアルジャパンからの純粋なレスラーが4〜5名出る予定ですが、そのレスラーは純粋なる格闘技と、純粋なるプロレスが一体となった、ストロングスタイルを行います。
ストロングスタイルといっても基礎と試合展開のことで、実戦性の場面では飛びワザを十分こなします。
しかし理屈の合わない動きはやるはずもありません。
観客が目を凝らして見る緊張感と技。本物を身に付けておかなくては紙芝居になってしまいます。
さて本年初頭、掣圏真陰流「道」では、精神の定義に触れてみたい。
100年は遅れている日本の精神界だが、私は催眠から催眠を覚えたのではないし、催眠が武道の精神性の全てでもない。
第一、催眠自体が大きく誤解されている。
武士道の佐山さんが、なぜ西洋の催眠をやるのか?っていうのもある。
本当に聞かれた質問である。
私が目指している武士道とは、現代の武士道である。
鎌倉時代の武士道。室町時代の武士道。吉野時代の武士道。桃山時代の武士道。江戸時代の武士道。明治時代の武士道。大東亜時代の武士道。
キリスト教が科学や、啓蒙思想で変わっていくように、時代が変われば武士道も変わる。
しかしその基盤は崩れることはない。
大東亜後のウォーギルト・インフォメーション・プログラムによって化かされ、記憶から無くされ、二百十三万もの英雄を軽視し、勤王だ新選組だとやっている姿には情けなくなる。
彼たちこそが最後の侍であり、史上最高の精神性を発揮した。
もちろん過去の武士道も大切である。
しかしあの時代の逸話がひとつも無いことに疑問さえ持たず、奴隷占領思想しか持ち合わせない者が、武士道を語るな。
現代武士道の姿は後から書こう。
さて、テレビに出てくるバカ催眠術士ども(ときどきまともな人も出ている)の影響か、世界の先進国でただ一国、催眠を誤解しているあきれ返る国。
ここもまた視聴率稼ぎの、馬鹿プロデューサーの策略にまんまと引っ掛かっている民がいるのだ。
かつて私は新武道構築のために、まず精神とは何かを追究した。
意識と無意識という基本的な段階からの話である。
そして今、侍が不動心を求めて、培ってきた禅の、武への精神作用を研究することが出来ている。
断っておくが、私ごときが本物の禅の境地を語ることは絶対にできない。
武道で構築する心の安定術のことである。
試合へ向けての選手の境地や、昔、戦闘者が命をかけて臨む勝利への境地。
不動心から活力へ向けて進む、精神統一で、侍が無を求めて行った禅のことだ。
試合前、選手は歪む。戦闘者は怯える。
侍は死を恐れず正義を無意識に打ち込む。
心が引いたとき、絶対に勝てない。
戦闘者の気構えは、前に出ることである。技術ではない、心のことだ。
それは怒りの物質テストストロンで出るものではないし、興奮のアドレナリンで出るものでもない。
たとえ出たとしても負ける。
活力とはやる気の物質、チロトロピンの頂点であるし、波形は正義の形に限りなく似ているものだ。
活力は「絶対に負けない」「絶対に勝つ」が主体となり、戦闘下、怒りや興奮で、見えなくならずに前へ進む。
この時のプレッシャーに対する、無の境地と、プレッシャーを活力に変えていく精神術こそが、私の行う「士禅」と呼ばれるものである。
そもそも催眠とは何か。
意識とは、今あなたがこの文章を読んでいる状態で、起きていてしっかりと頭が働いている今である。
もちろんその中に、あなたの自我があり、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)がある。
無意識とは気絶していたり、寝ている状態のことではない。
人間本来が持つ、潜在的な記憶と感情の倉庫である。
それらは普段、意識には出てこないが、意識への作用をしている。
私たちはイメージという感覚で無意識に蓄えているのだ。
心理学では人の心を、よく氷山で例えるのだが、わずか10パーセントの海面から出ているところが、意識部分。
海面に潜っている残りの90パーセントが、無意識部分とされている。
意識はある一定の容量と無意識からの作用で、人格を形成しているのだ。
例えば今、貴方が昨日食べた夕食を、何を食べたか、どこで食べたか、何色のテーブルだったか、その時誰が一緒だったかを、思い出してみるといい・・・・・・・・・・。
それはすでに無意識に入ろうとしている、イメージの世界であり、あなたが物心ついたときから、すべてその貯蔵庫にしまわれているのだ。
画像だけではなく、その時の味や、美味しいとか、楽しかった等の感情も、イメージとして残っている。
そして無意識に構築されたイメージの強さは、作用として意識に自然に出てくる。
苦手意識や個性や人格となるのだ。
余談であるが、夢というのも無意識の世界である。
貴方が見たことも無い、どこかの顔も状況も、あなたが忘れ無意識にしまってある、かつての記憶と、その時の精神状態(無意識の状態)で、物語を作っているのである。
催眠というからおかしいのであり、人が意識から無意識へと自我を向ける状態が、変性意識と呼ばれる状態となるのである。
心を落として得られる精神イメージ世界。
禅や瞑想やヨガも、変性意識を通るものである。
催眠は霊やインチキの世界ではない。禅や瞑想やヨガなども研究した科学である。
変性意識に入る時、手や足が温かくなったり、人によっては体全体が温かくなる。
また、手足の重感が起こる。
これらは自律神経の副交感神経に作用しているからだ。
反対に自律神経の交感神経とは、人が緊張したり、ヤバイと感じた時、汗が出てきたり、脈拍が上がり、気分的に沈んでしまい、いくらポーカーフェースをしたところで、目の周りにこわばりが出てしまう。
自分ではコントロールできない、内側の神経が自律神経なのだ。
自律神経には、交感神経と副交感神経の二種類があるだけだ。
心が健康で、かつ平常時、それらはバランスよく整えられている。
プレッシャーで圧迫され、心が引いたり、緊張する時、あるいは気分変調症やウツ病の状態とは、交感神経が優位になり、その状態が続く時だ。
感情物質から、視床下部にプレッシャーが与えられ、副腎皮質ホルモン刺激ホルモンによって、交感神経が上がっていくのである。
上がった交感神経を下げることは、なかなかできないが、もう一つの副交感神経を上げ、バランスを整えることで、平衡状態のように安定してくる。
自分ではコントロールができないとは、反対にある術によってコントロールしてしまえば、勝手に変わってしまうのだ。
それは変性意識時に起こる。
人はバランスが崩れている時、副交感神経が上がることによって変性意識になり、バランスが整えられ、劇的に気分が変わるのだ。
退波を背負わず無波に溶け込む姿。
不動心の姿である。
反対に、普段から副交感神経が優位であると、ボーっとして活力がなくなってしまう。
だから不動心は動くのである。
自身で自律神経を動かし、心を安定させ、活力を生み出す技こそが「士禅」なのだ。
士禅は自己催眠というべきか、自己誘導変性意識というべきか、
その昔、安定と義を求めて精神統一し、無意識にまで埋め込んだ先人の姿を、現代科学を応用させ開発したものである。
私は士禅で一つの本を造れるよ。
現代武士道としての、柔と強。
インタビューを受け、よく聞かれるのが、
「佐山さんは、どの時代の武士道をいっているのですか」という質問である。
武士道と正式に言われ始めたのは、明治以降の事だ。
文献に、たまに出てくることはあっても (例えば上杉謙信の「常在戦場の心得」には「死なんと戦えば生き
生きんと戦えば必ず死するものなり (中略) 武士たる道は不定と思うべからず
必ず一定と思うべし」とある)、それまで「武士道」と言い表わすことは、ほぼ無かった。
葉隠れにしても、長崎の鍋島藩の規範であるし、各藩によってその流儀は異なっていたのだ。
当時は藩が国であり、その規範を導く者達が侍だったのである。
ようするに領民に規範を導き、国を守る事が、彼ら武士の士である者たちの「道」であったのだ。
当然、時代によって、その風潮は変わってくる。
鎌倉時代の武士道。室町時代の武士道。吉野時代の武士道。桃山時代の武士道。江戸時代の武士道。明治時代の武士道。大東亜時代の武士道。
それぞれの時代背景に合わせ、規範を備える時代が造られ、あたかも一神教の人々のように、規範が備わった国となったのである。
しかも厳正に静粛に。
キリスト教徒なら、神と契約し、愛からすべてが始まり、各規範が構築されていく。
侍社会は、死をかけた崇高な掟から、各規範が構築されて来た。
一見、両者の開きは天と地ほどあるようだが、愛という柔らかさと、死という固さはあっても同じ、「生きる」ための社会構成を築いたのだ。
はたして現代日本はどうだろう。
基本も無く、性善説が誓約説に憧れ、平和ボケ思想と、それを助長するポピュラリズム迎合者。
何も無くし、自由だけを生き、宗教観も持たないくせに、金が神となってしまった日本。
何が今、私たちに起こっていて、どう生きなくてはならないかが、真の自立への大問題なのである。
私が描く姿は武士道といって、刀を差し、袴を履き、チャンバラをやり過去の遺物を掘り返すものではない。
侍の思想と観念を基底とし、真の国家思想を導くことだ。
葉隠れの「武士道とは死ぬこととみつけたり」という意味も、崇高な死の背景を捉えて発した語句である。
決して無頼の死のことではない。
同じ「勇」でも、我々はバイキング的な勇ではなく、確固たる規範を背負った、清い勇であり、それらが武士道の源になっている。
自らの死を清い姿と捉える観念は、武の心無くして語ることはできない。
愛は神が敷いた大理石の道を進み、武士道の死は、清らかさと強さを造りながら進む。
現代世界はキリスト教的社会観である。
彼らも時代を繰り返し、現代の啓蒙思想までこぎつけた。
我が国の武士道観念は、戦後ことごとく衰退したが、今、我々に必要なのは、国際社会において、どう一体となって性善説が、係っていくかということである。
性善説にもかかわらず、誓約説におぼれ、目先の弱さを導こうとする平和ボケ思想。
平成において、精神が崩壊しようとしている時、
侍の格好をして昔を語り、「武士道です」とやっても、崇高な死を背負(生きること)わなければ、滑稽なだけで何の意味もない。
現代に生きる先人の意思は、平成という「今」では、どうあるべきかを知らなくては、武士道が実戦化せず、過去の遺物に終わってしまう。
そんなことはさせない。
二百十三万の犠牲をはらい戦った人々の、強制的に失わされた勇敢な史実。
勤王の獅子?新撰組?忠臣蔵?
我が国のどんな英雄伝よりも多かっただろう。
事実、過去において切腹が一番多かったのも戦後である。
武勇と言う局面ではなく、我々は何かを忘れている。
私達は精神性という道を壊され、まったく舗装されてないデコボコの道を、乳母車で走っているだけである。
スピードを上げようとすると、たちまち壊れて、道からはみ出てしまう。
乳母車ではなく、確固たるタイヤやバネやショックアブソーバーのある車を造り、道を踏み固めなくてはならない。
やがてブルトーザーや、ロードローラーが現れ、清らかな道が出来る。
強い車を造るには、デコボコ道を走る、免疫が必要である。
その昔、侍に狂という言葉は良い言葉であった。
がむしゃらに鍛錬することである。
進むことである。
狂無くして、強い車は作れない。
乳母車が壊れるか、道を知り強くなっていくかは、あなた次第なのである。
武道においては、どう人間の精神が動くのかは、最も重要な部分であり、不動心と強さは無意識においてリンクする。
不動心の求めは、性善説の道を歩み、踏み固めるのに影響する、大切な精神術なのだ。
平成十九年はさらに掣圏真陰流理論をまとめます。物凄い物が出来るでしょう。
士禅も変性意識へ導く独特なやり方で、自己催眠化させ、世の中に認知させていきます。それにはこの素晴らしさを、どんどん体験し宣伝してください。
プロレスは作戦通り本格化します。三月の試合は相当注目されるでしょう。これからのプロレスの生死を問うといっても過言ではありません。
掣圏道は、ベニー・ユキーデ氏とコラボレーションし、アメリカで武士道という格闘技となり、変化していくでしょう。
TIAはエージェント要員を募集し、真の歴史観と愛国心を植え付ける教育をします。一月には皆さんと集会を行いましょう。講師は私がやります。エージェント希望者でなくとも参加できます。何が日本か解かりますよ。その時にカタブツ氏やOOHが見れるかもしれません。
最後に、平成十九年、私は真剣に痩せるでしょう。本日小林邦明さんから電話があり、タイガーらしくやれといわれました。小林さん自身も私とエキジビジョンやってやるとも言ってくれ、ありがたい限りです。
前回の試合は緊迫感だけをと思い、最初の一発の蹴りを集中していましたが、その蹴りで半年前と同じシチュエーションで、膝が抜けてしまいました。十字靭帯の後ろ側です。鈴木君の緊迫感は最高でした。でもごめん。
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