プロレスはこのままで良いのだろうか?何か違った方向へ行こうとしているのは、あきらかであるような気がする。かつて総合格闘技を模索した時期の方向提示は、格闘技のために行なわれたものであり、その基盤は打・投・極を広く知らしめるものだった。改革は成功したが、その精神は町人拝金根性が巣くう、商方的イベントへ移行し、スリーエス浸透に加担するものでしかない。かつてその道のために移行してきた潮流は、プロレス界に影響を与えすぎ、今、基盤を迷っているのではないかと思う。
格闘技で私が造る理想は精神世界のイベント。日本の相撲のような構築で、武士道精神を模範するものであった。
国技として義を抱き、国民の精神骨格になるもの。
私が断言して言えるのは、プロレスが人気を落としているのは、K1や総合の進出ではない。
日本のプロレスの源流は国民と共にあった。GHQの施設まわりの慰問的イベントから始まり、格闘王国としてのプロレスが花咲いていく。もちろん当時のスリーエスそのもであるが、国民高揚の一因として認められていた。その中、私達が伝えられたものは魂であったと思う。
日本のプロレスには日本のプロレスの魂が宿り、そこはK1や総合でもないし雑技団でも無い。
私は総合を創始創設した者であっても、プロレスの基盤を壊してくれとは思わない。
掣圏真陰流とはおかしな名前でしょ。しょうがない。私が格闘生活で辿り着きそうな世界を表す、最も的確な名称なのだから。その深さは精神世界を固める基盤が成されている。おそらくみなさんの想像を絶する世界であろう。
プロレスを語る者は多くいる。しかし彼らは夢と称しながら、何のためにはびころうとしているのか?その表面だけのプロパンガンダは、しょせん義のない世界を繰り返す、町人拝金主義の事物でしかない。基盤が何かを理解できるものは、少数のレスラーしかいないだろう。チケットを売ったとか、話題作りをしたとかいう世界はまるで関係ないのだ。ハデな技やフィニッシュホールドの連発も無意味である。またそこへ頼らなければならないことが、レスラー魂を放棄した安易な姿であるのだ。
精神改革が第一歩だと思います。
掣圏真陰流はシンクタンクとなる。その東京事務所は天壌無窮として、個人事務所的本部となるだろう。最近思想的な書き込みがないのは、1.27の忙しさやトレーニングの厳しさもあるが、それだけ来年から始まる実践を、準備しているということである。
今日は京都で、目の前にコンピュータないから久々に書いてます。
来年掣圏は真陰流となり大きく体制を変えます。
おかげさまで体重も順調である。藤原祭りでは正直108キロあったが、本日京都大会102キロ、1.27の目標は後10キロ以上の減量だが、このまま行けばなんなく行けるだろう。もっとも、ある減量方に自信を持ち、それで何キロ痩せるかという目標をたてた。差が大きいほど良い。減量に入る前に太るだけ太らせて、スタートしようと思っていた。そこへ藤原祭りだったのだ。
エキシビションなので、出場しなくてもいいのではと、トシちゃんに提訴していたが、ポスターに乗せたからダメだという。第一トシちゃんの所で練習しても、夜ひっつかまえられて食わされてしまう。あげくの果ては酒を飲んでの大虎騒ぎ。何か仕返ししようと、ピンと来たのが藤原祭りでのエキジビジョンであった。
前日リハーサルやるというから、藤原道場に集まり展開を作った。シメシメ・・・
リハーサルでは最後、トシちゃんが酒を飲んでの大立ち回り、私とトシちゃんはタッグチームのパートナーである。「先生(トシ)お客さんに見えるように、一気に思いっきり飲んでくださいね。中身は水ですから」なんて言いながら本番は、本物の酒を入れておいた。
最後は本人が酔って大暴れして、私も含めレフリーにも攻撃し、みんなに捕まってブレンバスターでマットに叩きつけられるという展開だが、リハーサルでは「マットが硬いので、ゆっくり落とそう」ということになっていた。
ところが誰だが解らないが、おもいっきり持ち上げ、トシちゃんは吹っ飛んでしまった。おそらく日頃練習での恨みを持つ、小林くんではないかと思うのだが、とにかくいやといほどマットに叩きつけられた。
「ウッ!」というトシちゃんのうめき声が聞こえ、そのまま俯いてしまった。リハーサルでは仰向けでそのまま、みんなでフォール。苦しんで俯せにもがいているトシちゃんを、ここぞとばかり、むんずと仰向けにして押さえ込んだ。次々に上に乗ってくる。悲鳴をあげるトシちゃん。
スリーカウントはないため、「藤原選手、暴走のため試合続行不可能でノーコンテスト」となる予定だったが、あまりの痛さに本人がギブアップしてしまった。
あんな受けた試合はない!1月3日に放映されるみたいだから期待してください。
試合後の挨拶で、「リハーサルと違いました」と言うのがまた最高です。ヤッター!って感じ。
もちろんその後「この野郎!」と言われ、またひっぱって行かれた。
順調過ぎる。19日の京都大会は非常に楽しみ。
ランニング、ミット、スパーリングでは、前回の闘龍門さんのときより良い。
藤原祭りでは1.27の準備で追いまくられていたけど、時間の無い中、遠藤会長の所で、馬力とスピードを重視でやってきたせいか、翌日からの減量も弾みがつき、信じられないスピードを手に入れている。おそらく1.27は心配ないだろう。まだ完全ではないが京都大会は、今の時期でのひとつのバロメーターといえる。レジェンドのチャンピオンになることではなく、来年への奇跡的な動きの保障と、これからのプロレス界の底上げについてのことである。
1.27は順調にいけば2試合を闘うことになる。私の来年にかける意気込みだといえば、分かる人には分かってもらえるだろう。
2試合というのが、どのくらい苛酷なことなのか?私のことだから、サミーリーとタイガーマスクのプライドとして、ある種の絶対心が完全以上の動きへもっていくだろう。しかし問題はそこではない。来年のために今どれだけ苛酷に身をおき、超本格として備える基礎を造るかということなのだ。この2試合用のスーパートレーニングは、願ってもないスタートのチャンスである。
来年はみちのくさんや闘龍門さんのリングにも、積極的に上がっていくが、3月に小さな興行、6月に大きな興行を行なう。
楽しみに私のハードワークを期待してください。本年は肉離れや胆石で躓きましたが、現在は治療、体調ともすべてOKです。
物物凄い!
兵頭二十八氏が書いた最新本「あたらしい武士道」は、物凄い本だ。
最強の世界の武士道本かもしれない。
また新しい聖書が増えた!
我々が世界史上の中のサムライとして、絶対に必要な知識である。
必読!「新紀元社」から
ベールをしていた来年の1月27日のイベントは、レジェンド・チャンピオンシップと名うち、プロレス界全体のために、私を含め、4人のトーナメントを一夜のうちに開き、チャンピオンを決めようという、大きな意義をもった大会です。プロレス界が低迷しているというなら、みんなで力を合わせ、息吹を吹き返そうではありませんか。
プロレス界に私ができる限りの最初の大会が、この新設のチャンピオンシップです。レジェンド(伝説)に恥じないタイトルを制定し、皆さんには、チャンピオンベルトのアイデアや、デザインを募集します。試合のくわしい内容は12.2あたりに記者会見を行う予定です。試合場は代々木第二体育館、午後6時半試合開始。
一方、私のライフワークは、武道から精神武士道へ成長し、掣圏真陰流の髄をまっしぐらに歩んでいます。
当日は掣圏真陰流「市街地型白兵戦トーナメント」を開催します。尚、儀式は皆さんに見せるというよりも、試合の始まる10分前に行ないます。「道」を名乗らないのはHPを御覧になっている方なら、解っていただけますね。
私の真意がどこにあるか、そして何を及ぼすのかを見極めてください。
朝までテレビの、幼稚で馬鹿げた論理観を見ても、何という研究不足!ぐらいしか感じないこの頃。みなさんもしっかりと、メディアリテラシーに励んでください。
武士道の推進が一段と進んでいる。が
ここ数日は五代目タイガーマスクを特訓していて、ちょっと休んでいる。コンピューターに武士の資料を書き写す作業で、手いっぱいというところだ。
五代目タイガーはパンクラスの舟木選手。なかなかセンスがあって素晴らしく、来年私が用意してある必殺ワザもマスターしてもらった。楽しみでしょうがない。
11月27日の私の誕生日には、特別の催しが決まった。らしい・・すんごいことになりそうだ。歌ってくれと言われ、「金太の代冒険」入れてくれたらと言ったら、「ふざけないでください」と、まじめに怒られた。何やるか知らないけれど、真剣に考えてるぞ、うちの事務所。何歌ってやろうかな。「海ゆかば」じゃ、ひっくりかえるかな。どっちみちどこかのカラオケだろう。
来年の1月27日の前に、12月5日に「藤原祭り」に出るかも知れません。
12月半ばにも京都で試合します。
万全に仕上げておかないとね。体調が戻った実感があるから、私自身も楽しみでしょうがない。
万全に向け「天壌無窮」の秘密事務所が、都内某所の出来。
武士道志塾「掣圏真陰流」の道場がもうすぐ出来。
タイガージムも出来る予定である。楽しみでしょうがない。
おまけに数値は何でもなかった。嬉しくてしょうがない。
嬉しいからちょっとバラしちゃおう。
1.27のタイトル名は「レジェンドカップ」真の復活のために、タイトルをかけるぞ!
誰かが無くしたと言われている、私が巻いていたチャンピオンベルトを手に入れ、四人でのトーナメントをやり、完全復活して、そのベルトを巻く。
もちろん掣圏真陰流「市街地型実戦トーナメント」もやりますよ。
サムライはラストではないし、プロレスも死なせません。本格的に着手する計画は着実です。
私のことだから、十中八九まで自らこれを行い。残りの一、二を他に譲りを以て項を成すだろう。
楽しみでしょうがない。
先月、猪木さんに腰のドクターを勧めたのですが、そこで私の話題が出たらしく、「絶対佐山が糖尿にならないのはおかしい」と、特に猪木さんは希望的所見をのべていたというのです。何せ私が甘いものを、目の前でバクバクやるものですから、甘いものが好きで食べれない人には、かなりの反感と仲間(糖尿病)に入れという希望が強いのです。
WAWAWAの阿部社長に至っては「佐山さん絶対間違いない」と言われ、糖尿1号(阿部社長)糖尿2号(私)と呼び合っておりました。
それは医療関係のオーソリティーが、糖尿病と診断されている私の友人と、話している内容を聞いてからのことです。
「食事したら眠くなるでしょう」と聞き、続けて、「2時間後にまたお腹が空くでしょ」と糖尿病特有の症状を言うと、友人はそうだと、うなだれていました。
それを横で聞いていた私は、思わず食事が止まり、叫んでいたのです。
「それ俺じゃん!」
普段から私と一緒になって食べていた、その友人だけに、私の一声に、
「そら来たか!」と自分の病を忘れ喜び勇み、私はついに来たかと思ったのです。
「そうか、昨年からどうも自分の体ではないような感があったのは、そのためか!」私は納得してしまいました。
医療関係のオーソリティーも、友人から私の食事内容を聞き、また、一緒になってデニーズで、あずき入りパンケーキを食べていたのですから、そうとう血糖値が来ていると踏んでいました。
かくして三人で、検査の専門病院がある山梨まで出掛け、全てを検査することになったのです。
それを聞いたまた尿酸値が700以上もある友人は、絶対に私が糖尿病だと信じ、病の道に一歩私が踏み出すことを願っているようでした。これは深層心理の裏付けで、数値を聞いて仲間を作り、心の中で「自分はまだ大丈夫だ」と慰めているのです。
今回は念入りに、普段の状況と同じ環境で数値が出るよう、医療関係のオーソリティーの粋なはからい?で、前の日から、普段どおりの食事をとることになりました。たっぷりと美味しいものを食べつくし、ソフトクリームまでいってしまったのです。
実は検査から四日前の後楽園の試合の日、赤ふくを一列と、たまたま、なんだこりゃと、その下に置いてあった薄皮饅頭を一口・・・
とたん、その芸術的な味に感激し、八つを無くしていたのです。おまけに次の日とその次の日も、続けて寿司の接待を受け、数値に悪い環境は作っていたのですが・・・
不安だらけの検査が始まります。日本武士道を習う者として、不動心であらねばなりません。
しかし、結果を待っている友人達の期待感がひしひしと伝わります。
午後、大体の結果が先生から伝えられます。
ちょうどその時、以前、糖尿病と診断されても、私と一緒になって食っていた友人は、血管年令を計るベットの上で、先生の机のそばでした。
「え!」友人の悲鳴とも、落胆ともとれる嗚咽が診療室に響きます。
「佐山さん。まったく問題ありません。正常です!」
私も耳を疑いました。思わずこぼれる笑み。
走馬灯のようにちらつく、悔しがる友人たちの顔。
血管年令を計っていた56歳の友人は、あまりにもショックだったのか、90歳という結果が出てしまいました。後の検査も私は正常で、友人はそうとう悪いと診断され、そのまま入院の手続きが行なわれました。
怒る怒る。そんな理不尽なことがあっていいのかと。
私も今回は覚悟を決めていたのですが、あれだけ食いまくって、なんたるツキ。
ごめなさい友人のみなさん。
初代タイガーマスクはこのまま行けば、完全に回復すると思います。
昨年の復活から、どうも自分の体ではないと、皆さんにお伝えしていましたが、ようやく納得できる身体能力を実感できるようになりました。筋力トレーニングが随分効いているのに、間違いありません。
心配していた胆嚢も大丈夫でした。どころか、何のトラブルもありませんでした。
回復というのは絞るのみですね。
1.27に向け、あるいは来年に向けて、ベストは必ずやって来ます。
私に敬意を表してくれたみなさん。どす黒い雲がたれ込めている業界なら、タイガーロケットでブチ抜く一年にし、絶対に恩返して去ります。
今日腕回り計ったら48センチ。反射神経も漲って来た実感。健康もOK!!
新約武士道「掣圏真陰流」
天壌無窮(てんじょうむきゅう)塾 塾長 臣狭山 聡
古代ローマでは、民衆にパンと娯楽を与え、政治を安定させていた。
現代の世の中も何ら変わることは無い。
娯楽などを与えることにより、幸福と自由を感じさせ、少々の政治の落ち度には目を瞑り、市民たちの幸福度を、天秤で計らせることが国家として重要な形態だ。
娯楽への政策は「スリーS政策」と呼ばれている。三つのSは、スクリーン・スポーツ・セックスと言われているものだ。
別に悪いことではない。なぜなら国民はその他に宗教と法律という、モラル心と社会性を遵守する制度を構築し、規範ある生活と、愛する家族の集合体「国体」を守るスタイルが確立され、社会態勢の中にも、遊びや自由がある両輪となるからだ。
宗教と法律の役目は違う。
私も宗教をやってないから、言える立場にないが、宗教でそなわる規範心は、法律を守る自主的な情動を託す役目となるものだ。
刑法第何十何条に「街で困っている人を助けなさい」とは明記できない。
六本木あたりや電車の中で、困った人を助けるのは、決まって外人である。日本人は見て見ぬふりをする。おとなしいとか、恥ずかしがり屋だとかでは無い。戦後から規範心が構築されておらず、彼ら外人のように宗教心が無いだけである。
「義を見て 為さざるは 勇無きなり」
かつて日本にも、彼ら一神教と変わらない精神が存在していた。それ以上のものが・・・。
わずか六十年の間にここまで変わるとは。現在多くの人が嘆いている事である。
規範を無くすことは全ての崩壊の始まりである。
なぜここまでになってしまったのか。
愚マスのポピュラリズムやリベラリズムに騙され、
「世界中みんな仲良くし、プライドを捨て国境さえいらない地球市民を目指そう」という幻想。
その深い意味や、事の起こりの原因も知らず、「宗教があるから盲目になり過ぎ、戦争が起こるんだ」なんて、めでたく考えている日本人は多い。
「え!」何かの冗談なんでしょ。と外国人に言われる。
あげくの果て、「戦争は絶対良くない」などと、宗教と国を守ることを、戦争と直結させ、「だって、だって、そうだろ!あなた達は神を信じちゃってるから解らないだけだ」と真剣に答えてしまい、ああ本当の世間知らずなんだと、世界の人にあきれられている。
おまけに、「最近、日本でも戦争を肯定する人がいる」などと、あまりにもの無知を公言する姿。
古代や中世じゃああるまいし、世界中の人はそんな常識は分かり切っている。
戦争が良くないのは、あ!た!り!ま!え!の大常識である。
え!大東亜戦争が宗教戦争だったの。
朝鮮戦争が宗教戦争だったの。
ベトナム戦争が宗教戦争だったの。
第三次四次中東戦争が宗教戦争だったの。
イラン・イラク戦争が宗教戦争だったの。
湾岸戦争が宗教戦争だったの。
アフガン戦争が宗教戦争だったの。
イラク戦争が宗教戦争だったの。
中東に対してのバルフォア宣言や、フサイン・マクマホン協定。
そんなことやられたら、互いを認め合う普遍的無意識ある民でも、どこだって戦争に突入する。
武器や資源など、利害がからむものもある。
現代の戦争は、宗教間の対立に見せ掛けて利用する、陰謀の方が多いことは明らかである。
人間に精神が存在する以上、普遍的無意識は存在し続けるが、宗教心が有ろうと無かろうと戦争は起こるのだ。
陰謀と愚に騙され規範を無くし、弱化への迎合を促進し、国を荒廃させるほうが、もっと恐い。
どうするの?アメリカの力が弱まるか、国論が変わり日本防衛、あるいは同盟必要無し論となって、尖閣諸島が取られ、資源海域を取られ、沖縄まで取られ、竹島が取られても、
「宗教があるからダメなんだ」とやるのだろうか。
何せ戦後から真実が包み隠されている国だから、真の中身を知らない人には、そう映るのはしょうがない。ほとんどの政治家だって解ってないのだから、末期的である。最近はミュージカルでも歴史の真実とやって、これまた大局を見れず、日本軍部悪説をやっているという。次々と明るみになる歴史の証拠で、かえってだんだん巧妙になるだろうが、所詮みんな過去のものになるだろう。
戦後日本のリベラル反省主義はまだ治っていない。
反省におののく精神は、弱化のリベラルへと落ちて行く。
そんなことを押しつけるのは、迫害された民が、その意味を知らない純粋な民に、「世界とはこうだ」と自分たちの理想を言っているに過ぎない。
そこへ迎合する歴史観を、自ら演じるのだから素晴らしいとしか言いようがないだろう。
結果、得られた国民性は荒廃精神である。弱さとは無意識で危機を否定してしまう。
「そんなことはあってはならない。あるはずはない。ならないでほしい」「戦争は絶対あってはならない」
国家の基本を忘れた民が行く着く先は、規範を疎かにし、スリーSに溺れ、国体観と幸福度との天秤計が壊れたスクラップ置場に横たわり「何もなければいいなあ」と恍惚感に慕る姿である。
国民一人一人が、国体と規範というものを自覚すれば、自分だけとか、お金が神様なんてことは起こらない。スリーSの娯楽も楽しめ、規範を国体と一致させることこそが国家であり、それを守る強さこそが真の自立なのだ。
戦後思想教育において、基本を疎かにした愚行のなかで、個人主義というものがもてはやされた。「戦前は自由が無かった。これからは個人主義で生きるんだ。自由・平等・博愛だ」という具合に。ウォーギルトの成果である。
日本の場合、少々の落ち度ではなく、戦後占領政策の延長を、今だに誤魔化しているのであるからたまらない。
戦後少したってから、サンフランシスコ講和条約が施行される、昭和27年4月28日の六年半もの間、全ての宗教は禁止されていた。武勇を誇る歌とか詩や物語、武道や相撲まで禁止だったのだ。
今では世界中の歴史学者どころか、実際に裁いたウエップナー裁判長やキーナン首席判事、裏で司令を出していたマカーサーでさえ、間違いを認めている東京裁判。
何の因果か迎合主義か。
いくら政治家がテレビで何を言おうと、自立した軍隊を持ち、その指揮権を把握した責任ある言動でなければ、茶番に見えてしまう。
天壌無窮はその指揮権をとった国としての、国体がどうあるべきかを研究する機関でもある。
それには絶対に真の歴史観は欠かせない。
この度、某所に作られた天壌無窮の秘密事務所は、びっしりとコンピュータ化し、資料を詰め込んでいる。残念ながら誰もが入れるところではない。あくまでも研究の城となるところなのだ。
また某所に「武士道志塾 掣圏真陰流道場」を作っている。
まさに新約武士道の士官を養成するところである。
関係各位に申し上げたい。
私達は真剣に日本を取り組んでいる。
真の国体自立を目指す若者がいるのなら、武士道精神の「導き」をこの場で与えられるよう、勧めていただきたい所存です。
国とはどうあるべきかは、どう娯楽を与えられているかも含む事を、皆も承知しておいてほしい。
でないと茶番だらけの世の中になってしまう。
宗教心のない国だから、しっかりとメディアリテラシーして、人が強く生きることを自覚しなくてはならない。
最初目指すものはスポーツの確立であった。それがどうしたというのだ。
リングと国体精神とが無に等しい現実。
マスコミ受けしか頭に無い馬鹿。礼儀の無さ、金にホイホイ、良かれと感じたほうにホイホイ。
礼儀もできないヤツとは、こういう者。しょせん現代日本の末期的症状で、出来上がった腑抜けでしかない。
小さな頃から教会で、規範を徹底されている民とは大違いである。何の精神構築機関もないくせに、欧米並みにリベラルを口にする愚民。ジェンダーフリーまで作ってしまった愚行。
宗教という絶対の規範心あっての、自由・平等・博愛であるなら話は解る。
ならばその実態は?自由をはき違え、平等を権利とした愚民の博愛。どうして信じられるだろうか。
街には芯の弱い不良が氾濫し、犯罪のオンパレード。母親が子供を殺す率は世界一。
警察に文句を言う前に、なぜこういう国になったのかを把握しようではないか。
武道でなくてはならないという確信が生まれ、その追求の段階で、宗教性や武士道にブチ当たった。
歴史無くして真の武士道は語れない。
あの虐げられた2133778柱の英霊や、大東亜解放で生き残られた方々も然り、真のサムライであったという事実、次々にあがる証拠や証言。
武士道の追求は精神に至るものである。
真の精神を垣間見たとき、あなたの背後に閃光が走るだろう。
先人の三千年の足音を聞く衝撃である。
我々日本人の魂は、民を統治するためや、やすらぎを求めるためや、虐げられた救いからは出来ていない。
死をかけた純粋な人々から生まれた規範である。
「義を見て 為さざるは 勇無きなり」
先人の魂は決して殺してはならない。
私は絶対にやりとげる。
祖国やアジアを守るために、死をかけて戦った勇者達、三千年の歴史を背負ってくれた先人のためにも。
新約はサムライの格好をして、武士道とやるものではない。
大義である魂「道」を追求するのだ。
真の武士道とは、命の契りを交わし、国(当時は藩や家)を守り、その規範を民にまで影響させる道である。
精神のことをいうのであり、表面的な格好をするのではないということだ。
国体を先人の如く守り抜くために、どういった行動をとるかということが本質なのである。
刀は武士道の魂の象徴として存在していった。
キリスト教における十字架のごとく、私は刀のペンダントを胸につける。
三千年と共にあるのだ。勿論、切腹用の短刀の方をつけているのだ。
新約武士道は切腹を肯定しないが、先人の魂がそこに宿ってきたことは、日本人なら解るはずである。
サムライの格好をしないというのは、儀式などの時は別であり、伝統儀式などは精神の高揚のためにも、執り行わなくてはならない。「魂振り」「魂鎮め」等の儀式である。
次回 天壌無窮塾
茨城下館市
プリンスホテル高松
10月22日 7:00受け付け7:30開場
問い合わせ0296−25−5557
最近、私が太っていると誤解をされています。
確かに太っているのに違いはないのですが、ウエイトは胆嚢炎で苦しんでいた時より減っているのです。
現在はある大きな目標を求めての、段階過程に過ぎません。
ウエイト・トレーニングを始めたことは書きましたね。
実は筋力を蘇らせることに重点をおいたのです。ただ減量し、動きだけを重視することをやめたのは、前から何か自分の体ではないと思い続け、筋力の低下ではないかと感じていたのです。
遠藤会長の指導のおかげで、腕回りが47センチにもなってしまいました。全盛時が43センチでしたから驚異的です。肩や背中も急激について来たのです。
今年中に腕回り50センチを目指します。
別に筋肉増強剤や、プロテインを飲んでるわけではありませんよ。私の体はまだ脂肪がのった状態ですが、筋力アップは確実になされています。筋力が蘇り、代謝が効率良く機能し始めた時、タイガーマスクが皆さんの前に蘇ります。
現在ウエイトを始めて二ヵ月あまりですが、宇都宮や後楽園で、太っているけど早いと言われているのは、上体が発達し筋力アップした段階なのです。筋力から代謝能力を上げ、ウエイトが落ちスタミナも増す計算です。1.27の時にベストにもっていく作戦なのです。
びっくりした!本日あのカタブツ氏に、取材だと言われて新宿に行った。
取材だというのに、写真だけ撮ってくれという。
何が何だか解らないけれども、都庁近くの公園でカタブツ氏との写真や、車に寄り掛かった写真や、ファンの人と並んでの写真を撮られた。しかもカメラは「写るんです」だった。
その間、5分あまり、これで取材終わりというのだ。何の取材?と言っても答えない。
あやしいと思い、問い詰めても何も言わない。
「だって、佐山さん本当のことHPに書いちゃうんだもの」と言って口を閉ざすばかり、「佐山さんに書かれて、マロが仕事してないの編集長にバレて、水晶支給下げられたんですから」
ここはカタブツ氏の性格は解っているから、
「今度、水晶欲しいっていう人がいるんだけどね」と誘ってみたところ、
「え!本当ですか?今月まだノルマ残ってるんですよ」とすぐ乗ってきた。
「その人、腰が悪くてさ「いい石でも無いかなあって」言ってるんだよね。すっごい金持ちで、金はいくらかかっても良いって言うんだよ」
ちょっと間が空いた。と思うと。
「へー・・・ところで今日の撮影は何か、言いましたよね」
「だから何回も聞いたけど言わないじゃん」
「そんなこと無いですよ「何の取材」って言われたから答えようが無かったんですよ。「何の撮影」って言ってくれれば答えたのに」
「あそう。じゃあ何の撮影なの」ちょと呆れたが、ここはガマンするしかない。
「実はね、マロ最近コンピュータ貰ったんですよ」
その瞬間、一緒に来ていたカメラマンの顔が変わった。
後で聞くと、編集長が渋谷でホームレスの時、ある御屋敷の粗大ゴミで出た、コンピュータを見つけて持ち帰り、紙プロ再建のために役立てた、紙プロ唯一の機械が最近無くなったというのだった。
「それでね」カタブツ氏の話は続く
「最近フォトショップというソフトに、はまってるんですよ。これが便利でねえ」
おもいきり得意がっている。
「何が便利なの?」
「何がって、いくらでも合成出来るんですよ。つまり、写真と写真を合成すれば、行ってもない所、行ったことに出来るんですよ」さらに得意がってしゃべりだした。
「今までは言ってもないこと、書いてりゃよかったけど、写真はダメでした。それがどうでもなるんですよ」
「えー!じゃあ今日のは?」
「よくぞ聞いてくれました!ウチの編集長、言うにことかいて、このマロに朝霞の自衛隊に、佐山さんと取材行って来いって言うですよ!」
朝霞あたりで遠いのか、かなり不満があるようだった。
「ところがどっこい。朝霞の陸上自衛隊駐屯地広報センターの、資料写真手に入れてるんだもんねマロ」
「へえー!」
「だからいつものように、佐山さんは何にも言わなきゃいいんですよ。マロが勝手に作っておきますから。今回は写真だって出来るんですよ。そのためにワザと性能の良いカメラ忘れたふりして「写るんです」にして、合成バレないようにしてるんですから」
カメラマンはそうだったのかと驚いていた。
「ところで、その腰の悪い人大変ですよね」
水晶の話を振ってきた。
「そうなんだよ、だから今度ね」
「今度!」
嬉しそうに目を輝かせた。
「今度、良い医師、紹介してあげるんだよ」
「え!」
騙されたと思っても、ただでは引かないのがカタブツ氏である。
「実は佐山さん、マロは気功で何百人もの腰を直してあげてるんですよ」
後にいるカメラマンが怪訝そうな顔して、一生懸命、手を横に振り、口パクで「ウソ、ウソ」と言っている。
「なあ」っといきなりカメラマンに向かって
「今日おまえ腰が凄い悪いって唸ってたんだよな!」
「え!」いきなり言われ「ええまあ・・」と答えるしかないようだ。
「見ててくださいよ」
カタブツ氏は嫌がってるカメラマンを、公園のベンチに寝かせ、手をかざしながら呪文を唱え始めた。
公園を行き来する人達も変な顔でみている。
私はそっと帰って来た。
西村幸祐氏のサイトより引用。
■2004/07/12 (月) 遂に暴かれた「南京虐殺」の嘘
http://www4.0diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=401628&start=21&log=200407&maxcount=42
今日、東京地裁で百人斬訴訟の第6回裁判が行われた。前回の裁判の日に「アメリカ発、30年ぶりの告発。南京百人斬訴訟」を書いたので再読をお勧めする。いわゆる南京虐殺のシンボル的存在として、支那は向井、野田両少尉が百人斬競争を行ったと喧伝した東京日日新聞(現毎日新聞)の浅海記者の記事を、さも南京虐殺の証拠として得意気に宣伝してきた。向井少尉の次女、向井智惠子さんの話だと年々南京記念館の展示物が大きくなっている。実は今日の裁判で、その記事の写真を撮った毎日新聞のカメラマン佐藤振寿氏(90歳)の陳述が行われた。
佐藤氏は療養中であり、医師の付き添いで出廷したが、彼が自分の生命を掛けてまで出廷したのは、歴史の歪曲を許してはならないという強い意志があったからだ。途中、ドクターストップが何回も掛かりながら、佐藤氏は1時間掛けて歴史的証言を行った。東京日日新聞の「百人斬競争」の記事は全くの虚偽であるという証言だ。昨夜、選挙関連のテレビ朝日の番組で司会の田原総一郎氏が小泉首相の靖国参拝に言及した時、南京事件にも話が飛んだが、出席者の国会議員も司会の田原氏も余りに粗雑な歴史認識の持ち主なので改めて驚かされた。南京虐殺は東京裁判からの流れで日本側に人道に反する虐殺が無かったら困るので、連合国によって捏造されたプロパガンダである。その後、70年代から本多勝一(朝日)と支那共産党の利害が一致し、さらにが80年代以降の江沢民の反日政策の根幹を成す政治的道具として機能してきた。
しかし、今日の佐藤振寿氏の証言は重い。世界史が書き換えられる可能性も大きい。再度、無実の罪で南京裁判で銃殺された向井少尉の辞世を。
辞世 大日本帝国陸軍少尉 向井敏明
我は天地神明に誓い
捕虜住民を殺害せること全然なし
南京虐殺事件等の罪は
絶対に受けません
死は天命と思い日本男士として
立派に中国の土となります
然れども魂は大八州島に帰ります
我が死を以て中国抗戦八年の
苦杯の遺恨流れ去り
日華親善東洋平和の因とも
なれば捨石となり幸いです
中国の御奮闘を祈る
日本の敢奮を祈る
中国万歳 日本万歳
死して護国の鬼となります
天皇陛下万歳
新約武士道「掣圏真陰流」
天壌無窮(てんじょうむきゅう)塾 塾長 臣狭山 聡
ついに出てきましたね。
第二次上海時変における戦闘の過程で、上海から南京方面に船で逃げた中国軍兵士は、一般人の服をはぎ取り、自ら一般人のふりをして逃げ込んだ。そこを捕えた日本軍は彼たちを処刑した。しかし南京における、一般人および捕虜を殺生した証拠は一切無い。当時、住んでいた人も、一切動乱の気配すら感じなかったという。東京裁判では30万人を虐殺したことになっているが、当時、南京には20万人しか住んでいなかった。
中国国民党は何かあるごとに、ささいなことでも国際連合に提訴したり、アメリカに訴えていたが、この南京のことは一切何もしていない。
この時期あるとすれば当時のニューヨーク・タイムスに、南京で中国軍が日本軍のふりをして、6人を殺したという記事くらいであった。
今もある英国の新聞マンチェスター・ガーディアンの記者、H・J・テンパリーが南京虐殺の虚報を報じ、スマイス教授という中国の人物が、膨らまして伝え、アイリス・チャンによって世に広められた。
東京裁判の時、H・J・テンパリーは一切裁判に関わっていない。
なぜなら彼は、中国国民党の情報省の人間であることが解っている。
一昨年八月十五日、ニュースステーションで、市民グループによる、実際に南京虐殺を行なったという、旧日本軍兵士にインタビューする番組が流れた。御覧になった方もいることでしょう。
老人施設にいるような、旧日本軍兵士と称する人達に対するインタビューである。
「おじいちゃん、南京では大変だったんだってねえ?」と諭すようなしゃべり方。
「そうなんだよ、南京では日本軍の言うことを聞かないで入っていき、凌辱の限りを尽くし、最後は堤防に皆並べて機関銃で撃ったんだ。自分から川へ落ちるやつもいたけど追い掛けて撃ったんだ。可哀相なことをしたけど戦争だからなあ」淡々と感情を込めてしゃべっていた。
その後のキャスターの「何とも言えないというコメント」が流れ、旧日本軍の悪さを強調する。
しかしテレビにお爺ちゃんの保険証が映り、一昨年の時点でそのおじいちゃんは72歳、南京事件とされている時は、12才の子供であることが解ってしまった。
何という誘導インタビュー。構ってもらいたいお爺ちゃん達に対しての、市民グループの巧妙な仕掛けである。メディア・リテラシーは、よほどしっかりしなくてはなりません。
著名人や他の政治家のごとく、戦略史観に騙され染み付いた、歴史認識ではしょうがないが、信じられないことに、現在の政治家の中には「そんな歴史ウンヌンはどうでもいいんだ」と言う者もいる。おいおいそれで日本の魂を背負って、代表面しているのだろうか。前後の状況も解らず「私は悲惨な事を経験した。だから言わせてもらう」ではまったくお話にならない。
そんな文化人、著名人、政治家先生の日本へ対する魂なんて本当にあるのだろうか。
魂を捨てた人間に何があるのだろう。
魂を破壊された国に何があるのだろう。
国を忘れ、平和だから楽園を信じる民。
尊敬も自己犠牲も正義も仁義も捨て、金に走る民。
もし自分がこの民だったらどうしますか?世の中には凡者と愚者と信者がいます。もちろんここでいう信者とは、宗教のことではありません。
信じると信用と信念の、しいてあげれば日本信者というところでしょうか。
文化人や著名人であろうと、愚者は愚者。信者は信者。あなたであろうと、愚者は愚者。信者は信者なのです。
もし貴方が大義を持ったなら。どんな著名人を見ても、愚者であれば何も感じなくなるでしょう。
大義とはそういうものです。
魂とはそういうものです。
新約武士道「掣圏真陰流」
天壌無窮(てんじょうむきゅう)塾 塾長 臣狭山 聡
「陰」とは無意識下に構築された「魂」が秘められたものであり、「響き」の実体である。五感によりとらえられた入力は、記憶形態に照合され、感情の響き「波形」となって意識へと導く。
私達はその記憶形態の構築を魂として「真の強さ」におき、礼儀正しく人をいたわれる人間たる目的で、規範を植え付けなくてはならない。
よって意志と不動心は、正しく構築された魂から生まれるものである。
現代の若者の「切れる」ことが、ストレスからなんて言っているのは馬鹿げている。その前に規範の構築が人間には必要なのだ。ゆとり教育なんてやればやるほど、より規範を無くすだけだったではないか。平和ボケに侵された科学的と称す教育は絶対ダメという結論だ。非平和的な教育も良いわけないのは当たりまえである。誤解はしないでいただきたい。
私に教育を任せてくれたら、5年で周辺諸国を黙らせてみせる。
10年あれば国としての真の復活を遂げる。但し、私に政権を取らせると、沢山の抹殺対象者がカタブツ氏によって抹殺されるので、やめておこう。
物部氏より伝えられた「魂振り」「魂鎮め」は、真陰における精神の技法として儀式化していく。
精神は「響」きを伴う。「真陰」は波形で「魂」を表し、制動や静なる高揚をするのだ。
常派から退派→窮派→パニック派と落ちて行き、
常派から不動派→無派→乗派→超派へと運ばれる。
すべて「陰」の成せる技なのである。
現代科学で解明されている脳波の形、デルタ派・シータ派・アルファ派・ベータ派・ガンマ派は、直接「魂」の表れに関係するが、実は何らかの異なる波形があり、将来においてより解明されるはずである。
武士が描いた死への覚悟は剣術で発展し、忠義への規範となっていった。
真剣において恐怖に響かぬ心とは、相手の動きを影のごとく感じとり、自らを死の覚悟と利して間合いを制し、太刀をあびせるものだ。
そこには冷静な感知が必要で、無闇やたらに突っ込む勇気では有り得ない。
「掣圏」の掣という字が、制の下に手があるのは「手刀」すなわち、刀で制すという意味からだ。
勿論「圏」は間合いとか、目に見えないプレッシャーの意味である。それらは戦(いくさ)においても、定義化されていった。死ぬ覚悟で戦にのぞむ方が、生きる確率が高いというものである。
ではどのようにして、その響きのない真の勇気は構築されてきたのか。
人間の無意識に眠る魂は、規範の種類とも大いに関係する。それらを遵守する姿勢により、心理学でいうペルソナが生まれるからだ。掣圏が独特の敬礼をするのは、そのためである。
ペルソナとは成り切ってしまう心理である。よく警察官が制服を着ていると勇気が出て、普段ではやれないことも、自然に率先してやってしまうという。
我が国に伝えられた規範は、神道・仏教・儒教・朱子学等の思想に影響された、独特の武士道という、最も自己のペルソナに、強く正しい影響を与える精神である。古来より、それらは魂を基調とし、「魂振り」も「魂鎮め」として、普遍的な構築から生まれる「真の強さ」をもたらした。
私の格闘技は腑抜けを作るためのものであっては、決してならない。
なぜ儀式なのか礼儀なのか、大きな目的を持って造られているものなのである。
虚勢を張るものや、私生活に帰った時に変わってしまうものであってはならない。
ペルソナを無意識化にまでする、真実の武術にしたいのである。
「掣圏真陰流」がただのスポーツ格闘技でなく、これからの日本精神の建て直しをする原動力となるようにしたい。皆さんも真剣に理解していただきたいのです。
もし地球が楽園と化したなら、国や個人が持つ強さはいらないだろう。
「地球市民として自由で平等で平和な世界を創ろう!」 なんていう標語も良いかもしれない。
みんな仲良く尊重し合って暮らしていける地球を。なんてね。
もし現代、こんな事を本気で思っている者は、よっぽど平和ボケしているか、外国のタフさを知らないか、大きな差別を受けた者であろう。これがメディアに出る皆さんの、カメラを前にしたポピュラリズムの発想となっているのだ。しっかりとメディアリテラシーして下さい。
平和ボケに陥った民には現実を見ることができない。メディアに騙され、教育に騙され、連合国に騙され、どこに行けばいいのか、規範を忘れ、金だけに走る腑抜け日本でよいのか。目を覚ませ、日本人!
精神世界から言えば最悪ではないか。
解るよ。解る!理想的な非現実的世界を夢見る体質。
すべては60年前、歴史の湾曲までもして、魂を抜くために、体の良い民主主義と称して行なわれた、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)
メディアは規制を受け、全新聞には十日間連続で連合国からみた、都合の良い「太平洋戦争史」を押しつけられ、現在のテレビにあたるラジオでは、再放送も含め週三度の「真相はかうだ」→「真相箱」→「続真相箱」という、歴史湾曲を国民に植え付ける番組が、一年間放送された。神道・仏教・儒教・朱子学や、すべての宗教を禁止され、武勇を誇る歌うや芝居、武道、相撲も禁止された。
今では世界の歴史学者がその虚実性を認めている「極東軍事裁判」(東京裁判)が行なわれ、罪もない7名が死刑に処され、各地ではBC級戦犯として1161名という優秀なる人材が処刑されたのだ。
そして我が国史上最多の切腹は戦後であった。勿論2133778柱の英霊も然り、日本の行く末を考えると、最も甚大な被害は人材だったのである。
そして公職追放。
あれだけ戦った戦争で、日本に武勇伝が無いのに気付けば誰だって分かることである。
私は都内某所に歴史の研究室を持つことになりました。何か真実の資料がありましたら、皆さんも協力してください。
なぜそこまでやるかって?
タイガーマスクファンなら、私にさわやかなイメージを持たれているのはわかります。コアなファンなら知っていることですが、私の先祖は姫路藩の剣術の師範でした。墓は大阪にあります。
そのルーツは藤原氏の直系なのです。おそらく酒井家に呼ばれ関東から来たのでしょう。
まだビックリするような事もありますが言いません。
中臣氏の初代は「阿麻毘舎卿」(中臣酒人宿祢は氏族名) であり、藤原氏の初代は「中臣鎌足」であって、「天児屋根命(あめのこやねのみこと)十世孫臣狭山命(おみさやまみこと)」の裔 (すえ) です。
「鹿島大宮司家は、臣狭山命の子狭山彦命が家祖」私が鹿島神宮に導かれる所以です。
タイガーマスクの前に、一日本人として三千年の足音を聞く者としての使命があります。
今後残された時間で、タイガーマスクとしての夢はできるだけ努力しますが、その仮面の下の実物は、あのゾロのような者であるのです。なんちゃって、ちょっとカッコつけすぎましたスミマセン。おやすみなさい。
次回 天壌無窮塾
茨城下館市
プリンスホテル高松
10月22日 7:00
新約武士道「真陰」
天壌無窮塾 塾長 臣狭山 聡
この度、天壌無窮の事務所が東京都心某所に出来ます。歴史の研究館でもあります。事務所の中は歴史の本や資料だらけで、コンピュータにも資料を詰め込んでいます。徹底的な精神の失地回復運動を、強固な意志において遂行するためにも、専用の事務所を持つことにしました。よりパワーアップした新約武士道世界を、創世することを誓います。
まったくでたらめなメディアの歴史観に対し、広く国民の皆さんが真の自立をし、メディアリテラシーできるよう、愚劣なプロデューサーを抹殺いたします。(伊藤博文といえばおわかりでしょう)
我が国はこのような愚者共によって、戦後すぐのアメリカの占領宣伝戦略を助長してきました。信じられないことに今の今もです。
今ではアメリカは同盟国ですから、どうのこうの言うつもりはありませんが、国を売るひん曲がった歴史観は、日本人自らが進めて来たことなのです。対極も解らず平和のみを口にする、ポピュラリズムの人気取りしかない著名人。もしサムライならば、こんなことを許すはずがありません。東京宣伝裁判などから、戦後の日本軍部悪説は、自ら国を売る愚者共によって徹底されました。
平等意識とか言う宣伝に目を眩まされ、自衛隊や警察という職業に罵声を浴びせ、当時、制服でご飯を食べている自衛隊員に「税金泥棒」と言って、石を投げつける者もいたそうです。近年でも「警察は税金で働いているのだから、尊敬するする必要はない」などと、堂々と新聞にまで書いちゃっている愚を通り越した下もいるくらいです。
警察だって人間ですから色々あるでしょう。しかし規範を無くし、自由・平等・博愛に溺れ、国に命をかける人よりも、芸能人やスポーツ選手を尊敬し、最も大事な人々を蔑む民を育てる体質の方が最悪です。
何処に尊敬の価値があるのでしょうか?
スリーSの効果には役立つとは認めます。それは大事なことです。イチロー頑張れー!
ただ知られている方達に合っても、私が何とも思わない態度をするので、「私、有名なんですよ」とまで言われたことがあります。私がちょっと知られているからといって、有名合戦してるのではないですよ。そんな性格では無いです。しかし念がまったく湧かないのです。
何が国家で規範とは何か、もう一度見つめなおしてもらたいと思います。
家族や隣人や村、アジアを守るために、銃弾の中に身を投げ出した人々。
歴史の真実を知ると「志」が生まれ、生きる真実が解るようになるのです。
次回 天壌無窮塾
茨城下館市
プリンスホテル高松
10月22日 7:00
新約武士道 「真陰」
天壌無窮塾 塾長 臣狭山 聡
武士道に「義」無き「勇」はない。サムライの魂は「義」に響き「恐」に響かず。これを勇という。
「義を見てなさざるは勇無きなり」武士道の有名な言葉だが、反対の意味でもよく用いられた。
「義」の無い「勇」はあってはならない。ということである。
無意識に「魂」が構築されてない、ただの「勇」とは、虚勢を張り威張る姿というところだ。礼儀や規範心がなく、我が者顔に街を闊歩する馬鹿共という所でしょうか。普段、慢心や奢りの態度を醸し出している者は、真の勇者でないことを曝け出しているに過ぎない。
「義」の無い「勇」を出さず、「義」有るとき「勇」を出す「サムライ」の態度は、普段は温和であり優雅であり、知・仁に優れた姿である。
しかしそれだけではなく、正義から生まれる狂気を秘めた者でなくてはならない。
腑抜け社会には解らないだろうなあ。
その心的表裏として「義」ある時、無意識に構築された絶対の「魂」によって、宇宙的に純粋な「勇」が発揮されるのだ。そういう者でないと国家は守れない。
これを平成の愚者共は、「切れる」と「勇」の区別がつかない。
虚構の平和時にしたり、叱られることを知らないお坊っちゃま根性では、ある外国語の発音が、全く聞き取れないものがあるように、自己の脳に構成されておらず、「忍耐」の免疫もなければ「勇」も解らないのだ。カッコだけの浅はかなリベラルを謳い、基本的な一歩を制御された社会は、滅亡の一途を辿るだろう。
責任ある者へ、無責任な反権力なんてカッコをつけ(もう古い)、ポピュラリズムだけで、罵りまくるリベラル・キャスター。結局、占領政策に日本を裏切り続け、キャツらの肩を今だに持ち続けているに過ぎないではないか。堕落するだけの言論である。
ろくに取材もせず、一方的に主観を流す愚マス。
現在変な番組やメディアや、市民グループが多いと思いませんか、有害以外何物でもないものが。おかしいでしょう。税金払ってるんだから、尊敬する必要無しなどと、国家権力に対し敬意をはらわないこと。メディアリテラシーできない民は、一見カッコ良いから、マスコミという媒体に酔い痴れてしまう。結果、国歌国旗に敬意をはらえない、堕落した民と全く同じことだ。
彼らリベラルが武器とする「愛」なんてチャンチャラ可笑しすぎる。「愛」の基本は本能や無意識から醸し出すもので、決して見返りを求めるものではない。
これも「魂」の構築である。
確かに武士道は「愛」のために「勇」を出すことをしない。「愛」と「義」が重なり勇を出すものだ。
人間なら表面上「勇」を出さなくても、愛のために頑張ることはするが、侍は廉恥心ゆえに表にださないだけだ。
「愛義」が「仁」であり、ようするに武士道の「仁愛」である。現代日本のように愛の導きが無意識下に構築されてないくせに、愛を叫んでも真から湧くものはない。
小さな頃からしっかりと愛を無意識化された人々とは、雲泥の差があるのだ。
よって、規範構築の無かった教育の果ては、単なる生活必需品の元「金」だけとなる。
多いよね、この国。「お金が愛」だと言っている者。好きなタイプ「お金持ち」
愛を構築されている民と話したことあるだろうか、世界は全く違うぞ!
本能の愛すらも無くしかけ、金作りロボット化した民。
この者達がうったえるリベラルとは、真から言っているものとは到底思えない。国よりも金のために生きたいから、国を守ることや愛国なんてイヤ、国より権利だ、平等だ、博金だ。
建前のポピュラリズムは、国を弱者へと導く無用のものなのだ。
斯くして規範を無くす民となっていった。
礼儀
自由の定義 義の定義 道の世界
我々の人生を取り巻く世界には、資本主義、共産主義、社会主義、立憲君主制、専制君主制など色々あり、将来においても、さらに新しいものが出来るかもしれない。しかし、どんな世界にも、人が人として社会を組める、規範というものがあり、その基本に本能による愛がある。
対して自由とは規範の無い世界。
人は人を殺すことができるし、その殺した人の肉を食べることもできる。襲って物を取ったり強姦することさえできるのだ。それだけではない。他人に遠慮はいらず、不謹慎な態度やマナーなども自由である。
人間の元はすべて自由である。これを自由主義というものでないことは誰でもわかりそうだが、今の日本、分かってないから異常なのだ。
一神教社会が自由というのは、我々がしたらされている自由の意味とは異なる。小さな時から教会などで、無意識に蓄められた規範という基本を持ち、社会での自由があるのだ。
一方、挨拶とは存在観の承諾儀式である。
形而上のものへの存在観、または形而下のものへの存在観に対し、私という人格はあなたに対し、こう接しますという意思表示なのだ。
まず礼は、自己の人格の目的により異なっていく。普段なら「なごみ」を基本に置いた挨拶であろう。「親しき仲にも」からVIPの目上の人まで、相手との圏によって変わってくる。また時と場所によっても変わるのが、礼儀であるのだ。場の雰囲気を作るあるいは保つもの。
始めも終わりも人間社会の第一歩である。礼儀や態度も然り、規範がないとはそれすらも解らないことなのだ。
武士道は定義化されていない。近代もっともそれが進んだのは明治である。対列強との防衛の威信をかけ、国力を強靱にするためというよりも、欧米列強のごとく肩を並べるよう、明治政府が国民に対し、国家として当たり前の、システムと教育を施し、国際社会の中でもしっかりと自立した体制をとったのである。奴隷制度の無かったそれまでの日本の、国民が一体となって防守にあたる体制が、ようやく作られたのである。
初めて普通の国家になったのだ。
戦後、町人拝金主義だけが占領政策に勧められ、真の国家の体裁をなしていない。
今だにこの導きが抜けない日本国民は、のうのうと腑抜け面して、愚行のシステムを受け入れさせられ、自由をはき違えた生活を謳歌しようとさえしているのが現状だ。
ならば「志」ある者達を造ろう。本物の国家を復活させよう。
本物の国家とは、ありもしない弱みを握られ、脅かされ金を払っているものではない。
自立とは真のサムライが行なうしかないものである。
煩悩に迷った時、常に無に帰し、武士道の義を脳裏にする事。
清廉潔白「志」の大義をまっとうする士。
規範の秩序を守る士であり、導く士であり、知・仁・勇の士である。
戦後歴史の湾曲は、日本文化の規範までを踏みにじり、自由・平等・博愛を、訪問販売セールスマンに勧められるごとく信じ込み、さらにさらに荒廃し続ける日本!国を守ることをおろそかにし、愛とかリベラル的なことを、すべて正しいと甘んじ、崩壊イズムを生んできた。
今になって「このまま行けばどうなるんだ」と思っている人は多いが、どこに行けばいいのか、何が原因なのか、手探りで一生懸命這いずる、底無し沼に沈み始めた姿をさらしている。宗教心の無い国が世界に習うでもなく、子供の体罰さえ行なってはならないという具行。今の日本のどこに、世界のような規範を教える機関があるというのか。
毎週教会で正義や礼儀をインプットされている民とは、先人の影響が残らなくなって来ている現代日本、その差は歴然と開こうとしている。視野の無い者達が表面のリベラルだけマネをするのではなく、深い彼らの潜在意識を、紐解き自立しなくては滅んでしまう。
よーく考えよう。国とは何か、生きるとは何か。
いつまでもアメリカの保護があると思っている人、めでたいめでたい。アメリカは善良な民の多い世論の国であるが、白人の普遍的無意識の国でもある。アメリカで実態を見てきた頭のスマートな帰国子女達は、何が彼らの建前で、何が彼らの本音であるか解るようになる。実は帰国子女たちに愛国者が多い。パッパラパーでケツ振って喜んでる馬鹿は違うよ。
経済は国際協調無しでは有り得ないのにプラス、国の安全情勢は第一条件である。
何が国の本質かが解るはずである。この本質が欠けている国はどこ?
国としての基本を忘れ、金のみに走らされた戦後。
まだ気骨ある精神が残っている方々がいる時代は、それでも良かったが、規範を忘れ、自由・平等・博愛に走った民の、底無し沼に沈む全体像は見たくもない。形状の大きなビルも都会もマスコミも国家も、精神という日本人だけが沈む込む廃墟の姿。戦後経済は良かったが、精神においては「戦前」を売ることで、アメリカに従順し、ひ弱さを作って来た。意義ある降伏という価値観で、人種差別の壁を引き裂き、国際的に協調できたことは良かったんだよ。
ただひとつ覚えておいてもらいたいことは、アメリカが夢抱いたアジアへのフロンティア進出は、日本によってブチ壊され、敗れても気骨ある日本の先人達が、植民地という最悪な条件をとらせなかったということである。そこにはYP体制へのワンクッション「尊敬」があったのだ。先人の「強さ」がこの国を守ったのである。さらに世界の植民地政策は無くなっていった。あの戦いから、解放運動は高まり、その後どこにも植民地は出来ていない。
自立錯覚の日本。弱いだけなら良いが、宗教観のない弱さは道徳の乱れを作り、勤勉や純粋性までもを失い、今、男女の「らしさ」さえ取ろうという、歴史的な具行を犯そうとしている。
対してタイガーイズムは「真の強さ」をテーマに日本武士道文化を精神的に復活させ、世界情勢を見据えながらも、外国の精神文化ではない、独自の21世紀型精神文化を作り上げるものだ。
まずは戦後敗戦処理において、今の今まで、何がどういう示唆で行なわれ、どうなったかを、精神科医のごとく人々の深く刻み込まれた無意識から、呼び起こさなくてはならない。心に入れられた催眠は、その過程を逆戻しして、無意識の中身を意識上に戻らせることで解けるからである。国民に入れられた、平和ボケし個人主義に走る、この60年間の呪縛はどうしようもないものがある。
大多数の人が「だってもう日本に戦争は起こらないでしょ」などと、子孫のことなど何も考えられない、小さな視野しか持ち合わせていないことで、お分りいただけるだろう。
催眠は無意識が勝手に意識に上げるもので、あなたも、あの人も、近所のあの人も、テレビのあの人も然り。
病原の源、無意識に構築された平和ボケリビドーが、共通して固まっている。これこそ導きがない国の、悲しい末路に没しようとしている姿なのである。
地政学的にいっても日本は決して安全な場所ではない。
「アメリカが守ってくれているから大丈夫。アメリカを大切にしよう」とか、「反アメリカ」などと、真剣に論議しあっているのだから、あきれてしまう。勿論、大切にするべきではあるが、いつまでも守ってくれるという、そんな時代が続くはずがない。
国家として一番重要な懸案を忘れているのではないか。
どうすれば一国の自立した国民精神を、取り戻せるのかを考えるべきではないか。
ズバリはっきり言うが、古今東西、国家とは軍と共にある。
自分たちの国は自分で守るという精神から、正しい規範が生まれ、世の中がしまってくるのだ。
今の時代、軍事政権になってはダメだが、民度のまだ高い我が国は、決してそんなことにはならない。
これを言うと「だって日本は軍国主義だったではないか」などと、戦後押しつけられた占領デマゴギーを、まともに信じる者がいることが問題なのだ。
まだ日本が自立していた時の時代背景を考えると、不当に処刑された戦犯の方々や、我々子孫を守ってくれた先人の奮闘ぶりと、その後の扱われ方には情けなくて涙が出てくる。前野先生の本や、渡部昇一氏の最新歴史書でも読んでくれることを、節に祈るのみ。
ズバリ!国家として自国の軍を持つということこそが常識なのだ。
軍国主義のせいで被害をこうむったから、我が国だけは特別なんだというのは、大きなごまかしと、裏切り行為である。
兵頭氏が言うように、奴隷制度のなかった我が国の町人共が「今度のお殿様はよくやってくれるべかなあ」などと、つぶやいているにすぎない。そんな町人が動かすフニャフニャ・イズムは、小泉さんがいくら頑張っても、キャタピラの無い戦車みたいなものだ。
戦後不当にも憲法まで押しつけられ「平和憲法なんだ」と迎合し、民族三千年の責任回避を犯し、感動さえしている姿。今いきなり第9条を変えろと言っても、誰も覚悟ができていない民族。
恥ずかしいかぎりである。
まずは戦前の意義を知り、真実とは何だったかを広く知ることから始めるしかない。
まずは国民の意識が自立し、必要に迫る軍隊を持ち、自分のことのように事が実感としてせまり、責任ある真の自立が始まるのであるのだ。これが世界の常識であり、先人たちの強固な防衛が、今の特別な期間を作ってきたのである。もう甘えは通用しない。これからが日本の正念場である。
「自分の国に何かあったら、自分の血を流してまで守るか?」とのアンケートに、世界の殆どの国の平均が約80パーセントに対し、日本だけが10パーセント台。
ジェンダーフリー問題はさらに悲惨である。1960年代にアメリカで始まったジェンダー運動は、男女同権を訴えるもので、それ自体はすばらしい。
ところが95年からマネしだした、この導きのない国の、愚劣な具行ぶりには開いた口がふさがらない。
いつのまにか「男らしさ女らしさというのを辞めよう」というものにしてしまったのだ。
人間の生理学を無視し、エストロゲン、アンドロゲンの分泌をも制御してしまった。
学芸会で「浦島太郎」を逆で演じさせる。「お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に」を、「お爺さんは川に洗濯に、お婆さんは山に芝刈りに」と。
あるいは体育の着替えで、男女同じ部屋で着替えさせたり。
「らしい」を考えるから、プレッシャーを生むんだとか言い、男が「家族を食わして行かなくてはならない」と考えるからプレッシャーを背負うという結論。はたしてカマ野郎と傲慢女が蔓延し、人類が築いてきた規範をも、この国でぶち破ってくれた。宗教がないとは恐いことである。
はたして世界「らしく」アンケートは語る。
「男は男らしく」
中国81.1%
米国63.5%
韓国54.09%
日本43.4%
「女は女らしく」
中国71.6%
米国58.0%
韓国47.7%
日本28.4%
末期症状である。もう騙されてはならない。
私が言う武士道とは剣術のことではない。武士道という「道」の意義である。「武士道」とは、命の契りを交わし、国(当時は藩や家)を守り発展させるための「道」を極めるものだ。そこには国を荒廃させない、規範の伝導と真の強者たる侍としての「道」がある。
一方、剣術や柔術や弓術などの武術は字の如く、上記の「道」を極めるための術である。逆に言えば術を通して道を極めるもので、国を荒廃させない規範構築法こそが武士の道なのだ。
新約武士道「真陰」とは、そのためにある重い意味の名前である。
「真陰」武士道
現代に蘇生させる武士道とは制度のことではない。21世紀の時代、真の復活をする武士道が、剣術というものが主ではあり得ない。武士道とは魂のことであり、武術はそれらを高めるための術である。精神性を高めるのに武術は礼儀とともに存在し、魂の響きを鎮める構築法のひとつであるべき体得のものだ。
勿論伝統の剣術も良い。しかし弓術であれば、現代であるから射撃でもかまわない。
武士道とは命の契りを交わして国(当時は藩や家)を守り、規範を導いて来た「もののふ」の精神的な大義である。そのための術を研くことは「志」であり、「真陰」はその精神的な規範と強さを蘇らせるものだ。現代武士道の現代武士道たる強さと規範を構築するために、組織化された精神道である。
デモクラシーで自由平等博愛の時代。
旧来の封建的な侍制度を復活させるものでもあり得ない。
占領政策に侵され、自ら自由平等博愛の奴隷に、しかも腑抜けた人格破壊を組み込んでしまった日本人に、せめて欧米文化人くらいの、誇りと強さを取り戻すことが第一である。
なぜなら真の強さは規範であり、正義であるからだ。正義を嫌う風潮こそ、荒廃の第一歩である。もういいんだよ。正義を口にしても。
全ての差別をなくし、みな平等にという考えの必要以上の押しつけは、能力ある者を断罪する制度であり、悪平等は「身の程知らず」即ち「礼儀知らず」を生み出すだけであって、ある民族が日本という民を、蹴落とすために奨めた策略でしかない。と言ったら大げさすぎだと思う?
我々は自分自身が強くある国民にならなくてはならない。
少なくともこの国の真の歴史や、宗教という規範をも忘れ、自由・平等・博愛を必要以上に信じ込み、自ら墓穴を掘っている日本人の多いこと。デモクラシーに遅れた国は全てこの壁を通るとお思いだろうが、これほど行き過ぎた民族はいない。
だいいち日本は、民主主義に遅れてはいなかったというのが真実だ。
規範が薄くなってしまい導きが解らず。誰かが用意したマニュアルをガリ勉よろしく、実戦に移してしまいフリーズする体質。
その他、この国はウイルスが多すぎる。このウイルス退治は愛国心というソフトしかない。
竹島問題、尖閣諸島問題、歴史の見直し問題、諸外国からの裏工作に、徹底的に弱く、それらから守ることすら出来ない体質。絶対に、日本に超法規的な組織、CIAのようなものが必要である。破防法よりも遠慮のない、超法規的FBIのような警察力もほしい。そしてそれらを応援する、愛国的なマスコミも必要である。
誰が守るんだ。市民グループと見せ掛けた超法規的な団体からの攻撃を。
アメリカの笑い話がある。
「愛国心の無いCIAエージェント」
これでアメリカ人は多いに笑う。他の国でも同様であろう。世界のような陰組織無くして真の独立はあり得ない。またサムライなくして、その組織が成立するわけがない。
自由平等博愛は大切なワードである。しかし欧米の彼らには宗教という規範の核があって、それらを唱えている。 自由・平等・博愛とは規範の核があってこそ、成り立つジャンルの主義なのである。
規範無き自由・平等・博愛は、放縦・無礼・偏愛に堕するのみ。
規範を知らないナマズが、自由だ!平等だ!博愛だ!とやったらどうなると思う。どこでも電気出しちゃうぜ。そんな川には入れない。
戦後押しつけられなくとも、我が国にはちゃんとしたデモクラシーがあった。日本軍部がめちゃくちゃにしたという、戦後定説が覆された以上、このデモクラシーも考え直さなくてはならない。
大正時代に表れた民主主義は世界と比較しても、大変進んだものだった。
戦争の影からそれらが暗くなって行くが、あの時代がどういう状況の時代か?
根源を問いたださず、悲惨だったと繰り返す愚者マス。
イコライフスクではパルチザンによって石田領事家族以下700名が惨殺され、各地の居留地ではアメリカ、ロシアに誘導された国民党と共産軍が合体し各地で日本人が襲われ惨殺された。
ただでさえ日本国内が貧窮していた時代、資源確保の先人となって満州開拓に向かった先人達は、五族共和の夢を追い掛け、開拓の戦いをしていた。
日本は国際情勢を見据えてトラブルを嫌い、軍を出動させなかった。現地の日本人は関東軍に対し「腰の軍等は竹光なのか」と泣いていたという。そこへ救世主のごとく表れたのが、石原関東軍であった。勇気と決断力の賜物である。そんなことが出来るのも、正式な国が成り立っていたからである。
CIAもFBIも軍隊も持たない国が、ある超法規的グループから市民団体のふりして、押し掛けられたら、マスコミなんかは何も解らずすぐギブアップだ。
そして世論が動く。
だったらその前に満州や朝鮮に入るなって?
はい。もう歴史は史実として覆っております。「新歴史の真実」や「親日派のための弁明」等をお読みください。他にも沢山ありますよ。証拠が沢山残っていて良かったです。あの731細菌部隊に扱われている写真も、斎南事件で惨殺された日本人の遺体であったとは・・・。
そんな議論は、このHP読者には解りすぎるくらい解ってますね。ここでは省きますよ。
石原知事が言った三国人とは、終戦後のことを差す。戦いに破れた日本は、多いに傷ついていた。その時できたのが三国人と呼ばれた人々である。
つまり、戦前日本の統治下にあった国は戦後、戦勝国でも敗戦国でもないという意味で、第三国と定義され、その国の人たちは「第三国人」と呼ばれた。その人々は例の戦後ストーリーで、日本が強制連行してきたことになっているが、現在証拠が出揃い、ほとんどの者がそうでなかったことが解明されて来ている。
その中には終戦を境に、自分たちを「戦勝国民である」と勝手に位置づけ、戦後の混乱に乗じて日本人を相手に横暴に振る舞う者達が現れた。そしてその非道ぶりには警察ですら手に負えず、無法状態に等しかった。おまけに戦勝国民は治外法権だったのである。
強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、経済犯、實力(実力)犯を中心にあらゆる悪事を重ねていたという。銀座、浅草、新宿、新橋、澁谷は支配され、政府も警察も動揺し、手をこまねいていた。勿論地方都市にしても然りである。これに立ち向かったのは連合国のMPであるが、中でもアメリカのMPが一番強かったという。
警察力はないに等しい時代、各国のMPも手に負えず、アメリカのMPが来たとき彼らは退散し、まわりで見ていた日本人は拍手していたという。そこへ例のウォーギルト作戦である。当時の人が何でも信用してしまうのはしょうがない。
一方、三国人といっても、全て人がそうであったわけではないことを、明記しておかなくてはならない。連合国の中でも「中華民国台湾青年隊」等は、日本が自分たちの国だと思っていたから、苦々しく思っても、どうしようもなかったという。日本人以上に日本のことを思って、亜細亜防守のために、いっしょに戦ってくれた彼らに、感謝しようではありませんか。
台湾"高砂義勇兵#英霊慰霊碑を保存するための義援金募集
http://www.sankei.co.jp/event/より
大東亜戦争において「日本兵」として出征した台湾先住民出身者から成る義勇兵の戦没者を祭る「高砂義勇兵英霊慰霊碑」が、敷地売却に伴う撤去によりその存続が危ぶまれています。
台北郊外の烏来(ウライ)にあるこの慰霊碑の敷地を提供していた観光会社が、昨年の新型肺炎流行による日本人観光客の減少で倒産し、土地の売却を余儀なくされたためです。
日本の正規軍とともに戦い、その半数が戦死したとされ、例え生還しても、戦後は日本国籍を失い、恩給や補償も十分受けることもできず、人々から忘れ去られてしまった義勇兵。
しかし彼等の記憶を永遠に留め、「高砂義勇兵英霊慰霊碑」を守ることこそが、日本と台湾の人々の深い心の絆を確かめ合うことになります。
高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会では、「高砂義勇兵英霊慰霊碑」を守るべく、同碑の保存費用の捻出のため、皆様のご寄付を募ることと致しました。皆様のご支援をお願い申し上げます。
【募集要項】
ご協力費 一口1000円 (お一人さま何口でも可)
締切日 平成16年9月30日(木)
お申し込み方法 郵便振替口座 00100−2−463465
口座名「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会#(タカサゴギユウヘイエイレイイレイヒヲマモルカイ)
銀行口座 みずほ銀行 東京中央支店 110−(普) 5662608
口座名「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会」
問い合わせ先 「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会」事務局 03−3275−8906
メール:t-jigyo@sankei-net.co.jp
※高砂義勇兵については、「高砂義勇伝 異国で眠る皇国の戦士」(http://www.takashago.com/) を参照のこと。
同国だと思い一緒に戦い、戦後保障の名目状の何も請求せず眠る彼ら。我が国が何もしてあげられない以上、民間でやるしかないですね。インドネシアのように「日本から戦後保障なんか受け取れません、これは独立した御祝儀として受け取らせてもらいます」と言われるのも嬉しいが、彼ら高砂義勇兵は日本国で守ることすらできない。
”武士道とは死ぬことと見つけたり”
かの「葉隠」武士道が残した有名な言葉である。
命の価値の薄い時代、というより、命の信用度が必要であった時代、藩や主君への、潔白なる義の証のために、厳しい規範制度が用いられ、崇高なる儀式として、サムライという特権階級だけが許された「切腹」があった。
「切腹」とは武士道への潔白をかけた「名誉」の証であり、「腹に (やましさは) 何も無い」事を実際に腹を切って示すのである。
一方強さとは、無意識に構築された「義」の魂から生まれる響きと、それに対して弱くブレる響きを鎮め、同調する「静」なるものである。
弱さの響きにおいて最も大きなもののひとつが、自己の死への直面だ。
「義」のために最もブレる「死」を鍛練し、名誉とまでして「魂」を造ったのがサムライである。死を克服しようといういう心理は、生きることにおいてブレを無くしていく。しかしサムライが命をかけているから、強く勝てるという直接的なものではない。サムライとしての英知を輝かせ、知行合一された責務を全うできる「魂」を持った者が「強い」というのだ。
「義」なくして、ただ怒りにまかせて死ぬことは、匹夫の勇として、武士道では軽蔑された。
「義」のために、腹を切る覚悟が無意識にまで到達している者たちの心は、強いものになる。
武士道ではむやみに腹を切ることを固く禁じた。
怒りや名誉だけで、腹を切る者に真の「強さ」はないからだ。
いずれこの崇高なる行いは「強さ」に関係はするが、勝敗とは別のものである。勝敗は付随された真の精神力の方であり、死が関係しているかと言えば、不偏的には関与するが、術としては関係ない。
確かに義のためなら死ねる、ということは一生に一度は皆さんも経験があるかもしれない。
この時の勝負は強いだろうが、勝つこととは別ものである。
一頃スポーツの世界で流行った「自分のためにやりまーす」とか「科学トレーニングで根性なんていりません」とかいう、プレッシャーから逃げる方法は、愚の骨頂であったことは歴史が証明している。
武士道とはプレッシャーに打ち勝つのではなく、何があっても響きもしない精神のことなのだ。
「切腹」がなぜ腹なのかという事は、昔から腹が魂の宿る所とされており、「腹が座る」とか「肝を冷やした」とか、腹にまつわる語源が数々あることで分かる。勝負ごとをしたり、極度の緊張をする時に、自律神経によって内臓がある種の反応を起こす。心臓が鼓動をうったり、胃や秘蔵が痛くなったり、鳥肌なんか立ってたりすると、サムライとして笑われた。
現代医学でいうと、五感を伝えるニューロン(神経細胞)が、脳波からホルモン物質を出させ、自律神経に影響させる症状なのだが、当時の人の考えは、その症状こそが、弱さの証拠となったのは当然である。
びびると症状が出るのであるから、サムライとしては、そのこと自体を「恥」としたのである。
ならばその腹切って「死をもいとわぬ姿をお見せしんぜよう」ということになり、「潔白なる義の証を、身をもって御覧にいれよう」という趣旨になるのだ。
果たして武士の習いである切腹は、精神に何を及ぼすのか、
新選組によってサムライになれた者は「これで切腹ができる」と喜んだという。
無意識内に死を儀式として構築されたことにより、サムライになれ、潔白たる精神で国を導く覚悟が存在したことを、裏付ける名誉のものとなるのだ。また逆に言えば主君に対し、絶対的な忠誠を誓えという制度でもある。
しかしサムライとして死してまでの誇りとは、勝つことではなく、武士道を全うすることにあるのだ。死ぬとは生きたいという表裏的な心理が働き、その生の世界では、強くあろうという無意識が生まれるのである。
「葉隠」によれば、あの忠臣倉も武士的な行為ではないという。大石をはじめ四十七士は、なぜ吉良を討った後、すぐに切腹しなかったかと言っている。当時の人にとって切腹は美徳であり、腹を切って死ぬことは、自己の無意識に肯定されている。そのため反対に美徳が先行し、責任を果すことなく、むやみに死ぬことを禁じていた。
それにしても「葉隠」は、なぜすぐに腹を切らなかったのかと評価するのか。美徳とまでなった切腹は、魂に何を影響させるのか。
よく平和ボケした愚者愚者どもが史実も知らず、旧日本軍はサムライではなかったと称すが、実は日本の歴史の中で、戦後が一番切腹が多い。
自殺では無い。潔白なる義の証のための自決である。
自殺とは弱さの証であるが、自決は義の証なのだ。
硫黄島で自決した浅田少佐の「日本武士道を習う者として」と残した遺書。
沖縄で自決した太田中将の「沖縄県民に万世一生の御報償を」と残した遺書。
特攻隊や各地で玉砕された方々の遺書。
戦後に責任を取って自決された方々の遺書。
どれをとっても日本武士道と何ら変わらない。
狭山は切腹を肯定するのか?、命は精神と関係あるのか?と聞きたいところでしょう。
新約武士道はこの現代、自決を勧めることはできない。先人の崇高なる精神を「魂」に刻むことで充分である。武士道から自決を取ると武士道でなくなる?今の時代そんなことを言う人はいないかもしれない。
しかし新約で蘇生するにあたり、この自決という術を鎮魂させ、より多くの武士道精神を「強さ」として、構築することは可能である。先人の魂を我が普遍的無意識に刻み込み、進化としての武士道を念頭に「魂」を作るのである。
ここで「死ぬことよりも、生きることの方がつらいんだ」などと、愚者どもの説法を言うつもりは全く無い。サムライの自決は、悩んでの自殺、あるは怒りにまかせたり、名誉欲からの自決ではない。自決のない武士道が腑抜けと言われるのか、より優れたものへの進化なのかは、新約の構築法にある。
日本武士道よどこへ行く!
武士道は決してラストではない!
もし心ある外国の人が、日本で武士道が真に蘇生し、封建制や「切腹」制度ではなく、先人の意志を「魂」に刻み、普遍的無意識の中に、歴史観を含む武侠の士志を「義」をもって復活させると聞いたら「やるな」と思うだろう。そしてその士志達が、礼儀正しく正義感に優れ、愛国者であったなら、真に尊敬され、愚低外国人には恐れられるだろう。
”武士道とは死ぬことと見つけたり”
この真の意味は、死ぬ覚悟で向かっていけば死なない。という意味である。
死を覚悟すれば既に死を恐れ「魂を響かせる」事が無い、という逆説的な意味である。
9月17日の試合は中止いたしました。
現在10月2日の試合のため、藤原道場とボディービルの遠藤ジムに通って、ベストを尽くしております。
前回の試合では、足の指を8針も縫う怪我をしていましたが、どうも昨年の試合以来、胆嚢炎になったりして、自分の体ではない違和感があります。
この際、遠藤会長にお願いして、初心に戻り秋の試合に備えたいと思います。
10月にビッグな試合の計画をしています。もちろん「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る」チャリティーも行ないます。
私の体調は昨年よりもベストになると思って良いです。
この前みたいな偶発的な事故が無いかぎりですが・・・。
とにかくベストベストベストです。
「高砂義勇兵」の恩のために。
オリンピックの活躍最高だね。
しかし、また左翼マスコミの左翼スポーツ文化人が、精神論でなく、科学トレーニングを採用したから、今回良くなったなんてことを言っている。
そんなこと前から言えと言いたい。そして、それを信望して来てたからダメだったんだろ!って。
今の選手たちの努力を、あまりにも馬鹿にしている発言である。そんなこと言って若者が信用すると、また停滞する要因を作ってしまう。まるで現代日本の社会と正比例している。
彼達に言いたいのは、精神論も科学的に立証され、意志波とリラックス波が一体化され、集中が最高潮になることが解明されて来た今、昔の精神論が見直されて来たのが現実だということである。
意志のチロトロピン、不安のCCK4、怒りのテストステロン等のホルモン物質を効果的に出させて、集中ホルモンであるプロオビオコチルチンを生み出せるのだ。
オリンピックを見るとおもしろい。活躍する選手、活躍出来なかった選手、試合前の顔つきですべて解るからだ。
緊張してるな。重圧を受けているな。闘志が煩悩あるいは、プレッシャーに負けてるな。不動心を過信しすぎてるな。闘志が集中され煩悩を背負ってないな。等が、一目で解るものなのだ。
大試合とは見えないプレッシャーが自身を包む。いつもの試合の覚悟では、おぼつかないものである。それらを克服するには、真陰流的に言えば、プレッシャーを顔に出しただけで恥を認識する、免疫意識を持つことだ。
単にプレッシャーに立ち向い、勝った負けたではなく、リラックスがそれらに勝つ波形を免疫することにより、強さは生まれていく。これは普段の生活から言えることなのである。コーチの方々が、ここまで理論的かは別にしても、このままの科学トレーニングではいけないと、何かをつかんでいるはずである。
男子レスリング代表は靖国神社に参拝したそうだ。女子競泳代表の合言葉は「アテネの空に日の丸を掲げよう」であったそうだ。文化人と称す人々の、世の中平和調式愚科学理論にはへきへきする。
スポーツは若者に直接影響させる。世の中を堕落させ続けてきた危険な発言である。しかし多かれ少なかれ名コーチ達は分かっている。愚者がしゃべって世の中がそうなろうと、自分たちの範囲はそれを許さないと。
科学的な精神論こそ、真陰流武士道の姿なのである。
礼儀、礼節、廉恥心、人々はその裏に隠された、大きな精神の作用を見逃している。免疫を無くし、事なかれ主義を遺伝子に組み込ませてきた、現代日本に将来はあると思いますか?
スカイパーフェクTV!で8月15日に開局した「日本文化チャンネル桜」は多いに期待できる。
真の歴史を知り、文化を脳裏に取り戻すことは、自身の導きを造り、真の強さを構築する要因になるからである。真の強さとは、無意識内に構築された魂である。
魂が正義に響き、プレッシャーに響かなくなる強さこそ真の強さなのだ。
腑抜け感覚の日本人は、覚悟をしなくてはならない時代に入る。
これも英霊を裏切り、今の平和が英霊の犠牲によってあることを、認識しなかった報いだと戒める次期が必ず来る。
世界標準になることさえ恐れる者達がそうである。
国というものが何かを考え、国防が何かを考え、強さとは何かを知った時、道徳や礼儀が何かを、広く見渡せるようになるであろう。
台湾「高砂義勇兵」英霊慰霊碑を保存するための義援金募集
http://www.sankei.co.jp/event/より
太平洋戦争において「日本兵」として出征した台湾先住民出身者から成る義勇兵の戦没者を祭る「高砂義勇兵英霊慰霊碑」が敷地売却に伴う撤去により、その存続が危ぶまれています。
台北郊外の烏来(ウライ)にあるこの慰霊碑の敷地を提供していた観光会社が、昨年の新型肺炎流行による日本人観光客の減少で倒産し、土地の売却を余儀なくされたためです。
日本の正規軍とともに戦い、その半数が戦死したとされ、例え生還しても、戦後は日本国籍を失い、恩給や補償も十分受けることもできず、人々から忘れ去られてしまった義勇兵。
しかし彼等の記憶を永遠に留め、「高砂義勇兵英霊慰霊碑」を守ることこそが、日本と台湾の人々の深い心の絆を確かめ合うことになります。
高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会では、「高砂義勇兵英霊慰霊碑」を守るべく、同碑の保存費用の捻出のため、皆様のご寄付を募ることと致しました。皆様のご支援をお願い申し上げます。
【募集要項】
ご協力費 一口1000円 (お一人さま何口でも可)
締切日 平成16年9月30日(木)
お申し込み方法 郵便振替口座 00100−2−463465
口座名「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会#(タカサゴギユウヘイエイレイイレイヒヲマモルカイ)
銀行口座 みずほ銀行 東京中央支店 110−(普) 5662608
口座名「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会」
問い合わせ先 「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会」事務局 03−3275−8906
メール:t-jigyo@sankei-net.co.jp
※高砂義勇兵については、「高砂義勇伝 異国で眠る皇国の戦士」(http://www.takashago.com/) を参照のこと。
※※この運動は巨大掲示板2chの有志諸兄が発起人となった。
新約武士道
掣圏真陰流
魂は響きが起こる。
これを古代では「魂振り」と読んでいた。
現代医学で解く心の流れとは、五感で伝えられた脳細胞が反応し、各脳内物質によって感情を起こす。その種類は160種にも及び、どう反応するかは、各自に貯えられた無意識の構築(本能も含む)によって、各々変わってくる。
サムライはこの構築、即ち「魂」によって何事にも響かない強さを持つ者なのだ。
響きは自律神経に伝えてしまう。それは交感神経と副交感神経とのバランスによって保たれており、自己ではコントロールできない神経なのである。
ある考えにより危険や重圧を感じた脳は、電気反応を起こし、脳内物質を活発化させ脳に信号を送り込み、さらに波動を起こす。これは脳波と呼ばれるもので、デルタ、シータ、アルファ、ベータ、ガンマと各波形がある。高い波形は物事を決める「勇」の邪魔ものとして、ストレスを出す物質が交感神経へと運ばれ、神経のバランスを崩す。手に汗をかいたり、心臓の鼓動が早くなったり、表情が曇ったりして、自分ではコントロール出来ない神経となるのである。邪念や不安から始まり、恐怖となって、最後に脳はパニックを起こす。
掣圏真陰流では、これを響きという。古代でいう弱い方の「魂振り」のことである。強い方とは、強すぎると言っても良いが、怒りの興奮である。ともあれ真の強さを求める場合、両者は鎮めなければならない。
上がってしまった交感神経は、下げるのではなく、副交感神経を上げ、交感神経とバランスを取ることにより、煩悩から解き放たれる。興奮は脳の制御によって冷静化する。
これが古代で言うところの「魂鎮め」であり。
武士道が求めた「静かな強さ」なのである。強い意志(チロトロピン)が存在し「魂振り」と「魂鎮め」によって得られた行動は、最も最適な「勇」を生む。
武士道とはそういうものだ。
「魂振り」「魂鎮め」を行なうのも、強い意志「大義」あってのものである。
無論、武士道にとって大義とは魂の「核」である。
信・忠・義・勇・節・智・仁の構築こそが、核を中心にした「魂」を育て、真のサムライとなるのだ。
「陰」とは、室町後期、愛洲移香齋が宮崎の洞窟で創始した剣術の流儀であり、いつからか新影流となって、柳生新影流に伝わっていく。
掣圏真陰流の「陰」とは、壺の蓋の意である「今」と、雲気を意とする「云」によって構成され、雲気とは「魂振り」「魂鎮め」を司る「魂」の意味なのだ。
また掣圏真陰流は「魂」の波動を、各波名で表している。
我々が通常の状態を「常波」、少しでも心が退く状態を「退波」、追い込まれて行く状態を「窮波」、最後にパニックになる状態を「乱波」
反対に「常波」から冷静に動く方の最初の波形が「不動波」、戦いの最中などに無我になる「無波」、戦闘時に無波を越え乗って行く「乗波」
そして、あらゆる物がとまって見えたり、最高の動きとなるものが存在するが、ここでその秘伝を公開するわけにはいかない。私は必ずやりとげるであろう。あと少しでもう何かが見えている。洞窟でも入ろうかと思っている。
真陰流の精神構築は、日本のために、そら恐ろしいくらいの、武士道の蘇生をさせるだろう。
来たれ若者よ!真の日本を知り強くなってくれ。
日本のDNAを真剣に蘇らせようとしている男より。
新約武士道
掣圏真陰流 狭山掣圏
古来より我が国に伝えられて来た「魂」とは、現代でいうところの、精神の「情熱」(魂振り)と「冷静」(魂鎮め)というところである。もちろん、その興奮と冷静をひき起こすには、それなりの組み込みが必要であり、深く刻み込まれた組み込みこそが「魂」なのである。
強さのために組み込んだ「魂」は、その証として、勇となり、徳となり、仁となって表に出る。
サムライの真の強さとは、秘めたる魂を普段表に出さないことで造られている。
何を意味するかというと、戦時の重圧の姿に打ち勝つ、冷静から始まる精神状態の事である。
古来から伝えられてきた「静なる強さ」というのは、心を重圧から鎮め、自分の魂の力で打ち勝つ「克己」をいうのである。それを戦時で通用させるためには、冷静なる心「不動心」を普段から魂に宿らせなくてはならない。
我が国に伝わる「自分に勝て」という言葉は、自分に勝つために魂を鍛えろというものなのだ。
正義は奮起させてくれる。悪は退いてしまう。しかしこの心の奥底の基準が「悪」を認定しなければ退くこともないが、正義の基準も低くなり奮起も起こりにくい。正と悪に鈍感な者の「魂」なんて、強くあろうはずもない。勇も徳も仁も表に出ないのである。
道徳の無い者の心の弱い姿なのだ。
物部氏が伝えた「魂振り」「魂鎮め」の儀式は、氏の大儀「魂」が武人の心としていた証である。
やがて仏教が伝来し、人々は死へのやすらぎを求めた。しかしサムライの死とは、床の上のことではなく、戦場あるいは義のためのものであった。死をも恐れず戦う姿とは、無頼者のイメージから、やがて何事にも響かない、不動心を持った、真の魂を持つ者の姿になっていく。神道思想は先祖を敬い、道徳的にも、勇気的にも先祖に恥をかかすことはできない、あるいは子孫に恥じる事は出来ないという、我が国独特の信仰を持ち、静なる仏教思想と同化していった。
日本人がよく批判される「恥」の心である。
積極的でないと言われる我々の姿は、真の強さを形成させた、静なる「魂」の行動なのだ。
それは「徳」の一つ「廉恥心」から出るものである。
謙虚は弱い者の姿ではない。真に強いものの「徳」の姿なのだ。
最近の日本人は謙虚を解らず、強がりで態度を表す馬鹿が多い。弱いくせに自己主張しようとする。愚者は謙虚に対しての応答すら解らず、ひれ伏しているととらえる。こちらが謙譲の心を起こさしめ、詫びれば、たちまち「謝罪と賠償を(以下略)」となるが如くである。
宗教心も無く、道徳心もなく、反体制だ。なんていって育てられたからであろう。
謙虚さとは強さの証であり、その物腰にこそ強さ弱さが見てとれるものなのだ。
それが解らず威張ってしまう者こそが、愚者の烙印を押された者なのである。
武士道とは互いに謙虚であるはずである。それが読めない愚者には鉄槌がくだされなくてはならない。まさしく「空気の読めない」者には「空気」を知らしめねばなるまい。
本年度のテレビ番組ベスト1が決まりました。7月28日にNHKが放映した「その時歴史は動いた・日米開戦を決めた7日間〜新資料が明かす運命の外交戦・ハルノート他」です。
史実がどんどん証明されて来ますね。
即時開戦を望んでいなかったアメリカ、ABCD包囲陣からの条件をのみ、撤退を決めていた日本。平和の条約が内定していた双方。
そんな中、執拗に開戦を迫る蒋介石側の、あまりのしつこさに怒るハル長官。
そのことなどを日本側も無線を傍受して、アメリカを信用しきっていたこと。
しかし「イギリスはあと一週間しかもたない」と、アメリカに開戦を迫ったチャーチル。
と同時に決定的なのが、東シナ海の日本のいつもの輸送船団を、アメリカ側が間違えて、大船団が南進中と誤報し、ルーズベルトが「日本は信用できない」と怒ったこととある。
番組はここまでだが、誰が誤報を流したのか、あるいはわざとそういうことにしたのか、ここのところが将来明かされていくだろう。
いずれ大陸での日支事変から、援蒋ルート壊滅のために仏印に入った日本に対して、敷かれた石油の遮断。
実は日本との条約もほぼ決まり、アメリカは一年くらい先の開戦を考えていた。
当時、東条首相が平和交渉をやっていたのは事実だったのだ。
開戦を考慮する交渉を内定した、9月6日の御前会議から、10月に入り天皇が、やはり平和交渉をせよと東条首相に命じていたが、ある時期からアメリカからの交渉が一向に来ず、いきなりハルノートを突き付けられたと、史実では教えられていたが、今回、NHKによって、この期間の内容が明らかにされたのである。
そして条約の内定を破ったのはアメリカということになる。
史実として伝えられていたことが、本当だったと証明された。
え、いったい誰が日本は戦争をしたくて、東条首相が出て来たと言ってたの?
石油がほしくて、南進したなんて言い出したのかな?
そしてやはり、あのハルノートが戦線布告であったことが、証明されたのですよ。みなさん。
17日は盛大に行なわれ、大変ありがとうございました。
武士道のことを沢山話そうと思ったのですが、会場内はギャルが多く、史実を見つめ、しっかりとしなくてはならないよという話が、メインになってしまいました。
それにしてもチェアーウォーカー情報誌「WaWaWa」の実力にはびっくりです。
もっとびっくりなのは、会場内のギャル達が真剣に聞いてくれていたことで、さらにびっくりなのが「WaWaWa」の編集部に、会場に来ていた子達から、また私の話を聞きたいとメールが殺到したということです。
あのラモス氏とも話しましたが、氏の器、ただものではありません。
ああいう人が次期、日本の監督になれば、外国から武士道を覚まさせられることになって、強くなるんじゃないでしょうか。
10月2日が次の試合だと思っていたら、9月中頃にもうひとつ決まりそうです。
秋に武士道復活の祭典を行なう予定だから、戒めて練習いたします。
サムライとは自己の規範の中核に義を置き、何事にも響かない、静なる強さを持つ者である。
サムライが「もののふ」と呼ばれるのは、武力の物部氏からのもので、やがて貴族の「さぶらふ」者から「さぶらひ」即ち「さむらい」に転訛したのである。
物部氏の「もの」は魂を表すもので、古来から日本の象徴であった。物部氏は「魂(たま)振り」「魂(たま)鎮め」の儀式をとりおこない、陽の「魂振り」で魂を奮い立たせ、陰の「魂鎮め」によって、その荒ぶる魂を慰撫する儀式を行なっていたのだ。その子孫、中臣鎌足、即ち藤原鎌足と、武道の神様、鹿島神宮の鹿島大宮司家は、鎌足の子が家祖である。
武士道とは、国を守るために命を賭す契をかわした大義である。
剣術、槍術、柔術、弓術、馬術などは、術をもって、この「道」を極める手段のものに過ぎない。
そこに愛国心、礼儀、礼節、思想なくして何があるのか。
ある時期から武道は、礼儀礼節だけを重んじるものと変わり、思想がなくされてしまった。思想とは人間の核を生むことである。なぜなら一神教ではない我が国の精神核は「義」であり、それは自己の信じる思想によってのみ、構築できるものであるのだ。
他から導かれる姿ではなく、自分に打ち勝つ「克己」を生む体質となっていくのである。
思想は普遍的無意識を作り、普遍的無意識は歴史から多く構築されるものである。
歴史を語れない武士道はあり得ない。そして安易に「道」という言葉も使ってはならない。(一般の方々が使う道ではない)
先人が大義の道を志して進んだ道を、我々が安易に汚してはならないのである。歴史を背負うとはそういうものだ。特に精神を殺されてからの復活となると、その要因となる、近代史の真実を見つめることは大変重要である。
外圧に押され、明治までは武士道があったが、昭和に入っての軍部の姿は武士道ではないなどとは、史実を殺された人間しか言えない言葉である。昭和の武人達も、偉大すぎるくらい偉大であった。大東亜をかけ、あれだけ戦い、ひとつも武勇伝が無いほうが、おかしいと思わないのだろうか。ただ生かされているだけの、真の「道」大義を背負わない人間を「腑抜け」あるいは「平和ボケ」という。
ただそれだけなら良いが、目的も持たず規範の何かも分からず、街の空気を汚している者どもよ、先人の意志を継ぎ現代に蘇るサムライが、貴様たちを抹殺し、少年少女合唱団のようにしてやる。
世は帝国時代、列強の進出にズタズタにされた中国は、朝鮮の独立権をめぐって、明治27年から日本と争い敗れた。この時、清国とロシアの間で、もし日露間で開戦があった時には、ロシアに味方するという密約があったのだ。
明治33年、中国で義和団事件が起こり、北京で各国の公使館が乗っ取られ、国際連盟が動き、日本や米国を含む八ヶ国が鎮圧に向かう。日本はそこで優秀なる任務を果たしたのである。
各国が撤退した後も、ロシアだけは居座り、やがて満州を制圧し、中国を半植民地化した。危機感を抱いたイギリスは、朝鮮の一部を占領し、ロシア南下を阻止しようとした。
あの時代、もしロシアをくい止めなければ、朝鮮、満州、中国までもがロシアの支配地となり、やがて日本も列強の手に落ちることを意味していた。明治32年にイギリスは日本と同盟を組み、その占領期間を2年で終了させ、後は日本に朝鮮を守らせた。
かくして明治37年ロシアは朝鮮に南下し、日露戦争が始まる。
無論イギリスは日本を応援した。ロシアは内政問題をかかえ、革命前夜の雰囲気。
明治14年にはポグロムが発生し、ユダヤ人約2000万人が、ロシア国内で一般市民に虐殺されている状態だった。
ロシアはユダヤ人をも敵にまわし、日本は世界的に大きな援助を得ることになる。斯くして日本は勝利したが、8万の犠牲と国力を無くした。そして満州の権益を受ける。
その後の辛亥革命で清は滅び、孫文の出番となるが、軍閥の猿世凱の天下になってしまう。日本は中国革命の父、孫文を応援し、革命前は孫文も日本に留学し亡命さえしていた。しかし中国はまとまることはなく、各地で軍閥が隆起する時代となっていく。
人種差別はなはだしき頃、日露戦争における日本の勝利は、各地の植民化された国々の人の、度胆を抜く一方、希望を与えた。白人以外の国が白人国家に勝ってしまったのは、大航海時代以来500年の秩序を変えることになったのだ。
しかしロシアを蹴落とした日本は、虎視眈眈と中国を狙う列強の、最大の障害国となってしまっていた。
ハワイを得たアメリカは米西戦争の結果、明治35年にはフィリピンを制圧し植民化していた。明治中期ころアメリカの西海岸は、中国人労働者とヨーロッパから遅れて入って来た、アイルランド人との衝突が盛んな時期であった。彼らにはもう東海岸での活躍起点はなく、西に新天地を求めてやってきた。当時カリフォルニアは、鉄道開拓に従事していた中国人労働者クーリーが、彼らの邪魔者となっていたのだ。
さっそく政府に働きかけ排除にかかった。
そこへ移民してきたのが日本人である。当然、大きな排日運動が展開されていった。今でもその時の新聞が残っているのを、色々な本で見かける。ジャップはサルであり、出ていけというものだ。また日本人には二世三世の土地の所有も認めない、法律まで作られた。
当時は日本でも大変な物議をかもしたが、憂慮した日本政府は米国と紳士協定なるものを結び、もうこれ以上移民を送らないようにしたのである。またアメリカは日露戦争後に日本が得た、南満州鉄道の権利を買う契約をしたが、危機感を感じた日本政府は契約を破棄した。
ようするに破綻した中国に表れた各軍閥も、支那から独立したがっていたし、世界も混乱に乗じて、支那に入りたかったのである。
そしてロシアの脅威も、ロシア革命後に再びやって来るのだった。
もともと満州という所は、強大な支配を受けたことがなかった。ツングース係民族と蒙古係民族の、断続的な衝突があるだけのところだったのだ。
そんな中、日本がその先頭に立ってしまったのは、自衛のことだったのである。日露戦争といっても、ロシアという国とまともに戦ったわけではない。南下を防ぐための局地防衛戦でしかなかったのである。第一次世界大戦、日本はドイツに宣戦布告し、青島などに入るが、ヨーロッパまで行って戦うことはなかった。
一方アメリカはイギリスの要請を受け、ヨーロッパで戦い多くの戦死者も出した。必然的に、イギリスはアメリカの言うことを聞くようになる。
パリ講和会議の席上、日本は人種差別撤廃をする「人種平等の原則」を主案し会議にはかる。
差別に苦しむ多くの国々から手紙をもらった。
結局11対5で勝つが、時の大統領ウイルソンから、「このことは大変重要な件なので、全会一致でなければならない」と否決されてしまった。
日英同盟も四ヶ国条約において廃止させられ、軍閥の猿世凱に突き付けた対支二十一ヵ条要求からの、石井ランシング協定も、九ヶ国条約で廃止された。
蒋介石の国民党を援護し、中国自体から日本を追い出したい米英。
ソ連の共産党の影響を強めたい毛沢東の八路軍。
日本の視線に立った汪兆銘の国民党左派。
三者は軍事、資金、人数でほぼ互角であった。しかし米英露の後押しされ国共が合作し、汪兆銘派は衰退していく。排日運動から各居留地で日本人が虐殺され、満州を守りたい側の日本は泥沼化して行った。虎視眈眈と狙う列強国際連盟の条件を背景に、日本は弱いと判断し、中国の民意は一体化していき、最後は共産党を選んだ。
中国側の外交はしたたかで、昭和2年に行なった当方会議の結論として、田中義一当時外務大臣が天皇に上奏したと言われる「田中上奏文」なる偽書を世界に流していた。これは日本の世界征服説で、まず満蒙から征服し次に支那へというものである。まったくのでたらめ文で、時の天才外務大臣松岡氏がすべてカラクリを暴いていったが、最後まで影響が残ったという。
上海事変の時の日本軍による爆撃で、赤ちゃんが真っ黒になり、泣き叫んでいる写真が流され、日本は国際世論に叩かれたが、それも後ろでスタッフらしき者が、セットを作っている写真が、現在見つかっている。
南京大虐殺を報道した、イギリスのマンチェスターガーディアンスの新聞記者、HJティンパリーは、東京裁判に現われなかった。彼は中国国民党の情報省の人間だったのである。
そんな世の中、どんな器の政治家や本物の右翼が奔走したと思いますか。みなさん。
昭和天皇が側近にお伝えになった日記には、腐敗した政治から、軍が立ち上がったとある。この時代を取り巻く日本を、どんな気持ちで引っ張っていったのだろうか?
欧米と組んで排日運動を起こされ、満州の北東部イコライフスクでは石田領事家族以下700名が惨殺され、済南や通州などの居留地で大量虐殺され、その日本人の死体を731部隊の証拠写真だとやられている姿。
自立とはそのような環境を生き抜くことである。誰がいるのだろうか?この腑抜け日本。
「そんな歴史はどうでもいいのです」なんておっしゃる政治家もいるくらいである。
現代中国がかかえる問題は、我々で言うところの、一般ゴシップ誌みたいなもので、反日記事を掲載しているところだ。
共産党政府に対する反共記事は許されないが、そのぶん反日記事にまわってしまうという。
エログロ記事も中国では許されないが、反日の記事なら良いそうである。例えば日本の雑誌や新聞が載せる女体盛りの写真なんかを、悪い民族の食事習慣として載せられるということだ。
しかし、日本にある在日中国人のための、90パーセントの新聞が反日だそうである。
そんな風に見られているんだね我々。どおりで犯罪も多いはずである。
かと思えば台湾の高砂一族のような方々もいてくれる。肯定否定、普遍的無意識とはそういうものだ。そしていつかアメリカの世論も変わるかも知れない。
どこの世界にそんなことも予想できないで、のんきに頼ってばかりの国があるだろうか。
目を覚ませ日本!
我々は、一刻も早く真の武士道精神を取り戻さなくてはならない。
パラリンピックカウントダウン日本選手団を応援しよう
チェアーウォーカー情報誌WaWaWa記念イベント
2004.08.17(火曜) 開演7:00 受付6:00
佐山 聡「新約武士道発表 講演ならび記者会見」
ラモス留偉「スポーツマン魂」
氏神一番 「パラリンピックキャンペーンソング発表」
チケット:1500円 会場:新宿ロフトプラス1 問い合わせ:03−3205−6864
現在計画していることは、武士道の歴史を変えることにもなるでしょう。私が武士道と言っても、いったい佐山は何をやろうとしてるのか不明だと思います。真剣に武士道を現代に蘇らせるのです。チョンマゲをしたり、袴を履いたりする訳ではありませんよ。また、何かの売りのためにやるんだと思う方々も、いるでしょうが、私を甘くみてはなりません。
徹底的にやります。
おそらく未来の本には、「日本には武士道というものがあって、アジア解放の礎となったが、物質的には戦いに破れ、民主主義という名の元に物質社会にされ、精神性を無くされ、国防さえ感じなくなっていた。しかし新たに武士道が復活し、人々の規範や勇気を取り戻して、生きるとは何かとの根本的な計りを、死人が生き返るが如く、人間としてみるみるうちに赤みをおびて来だした。そして街には不良が闊歩することもなく、犯罪も激減し、フリーターと呼ばれる人種もいなくなり、職人芸も復活し、交番へ財布を届けることも多くなった」とね。
後半の私はマスクをかぶり、一人でも多くの理解者を得ようとした。
今度はそんなものじゃない。体が続くかぎり日本のために、引っ張っていこうと思う。
次のマスクは度胆を抜くかもね。10月2日からになるけれども。
17日の講演が終わって本格的に練習に入ります。
どこか合宿場所ありませんか?藤原敏男のいない所。
さて、サッカー。あれが普遍的無意識といえるものです。
以前、申し上げたとおり、ここはスイスなどの中立国たる場所ではないのです。
平和ボケしている民の目は覚まされると、期待はしますが、問題はここまで精神没落した民の、回復がなされるかということです。
普通、戦争に負けた国が精神復活するには、100年かかるといいます。今の日本、このまま進めば半永久的に、なされないのではないでしょうか。今回の問題が歴史に触れてくれたことは、多くの資料が残り、世界情勢が異なる現在では、反対にラッキーといえるでしょう。ここぞとばかりに近代史研究者達が、この湾曲された史実を、ことごとく引っ繰り返すでしょうから。
ただし尖閣諸島問題で、中国政府にコントロールされた可能性もありますし、それをまた現地駐在の日本の中共マスコミが、日中双方を煽った可能性もあります。「どうせ腑抜け日本人だから、ここで恐れて何もできなくなる」とか、尖閣をめぐる国際世論のかけ引きでしょう。
かくして日本は「そうはいくかい」と言わず「そうはいってしまう」民ですから、志ある者達を造る、真の武士道を育てるのです。激情には激情で対するなんてことは致しません。静なる強さは深い見識を持ち、決して響くことはないからです。
ここでアメリカの動きです。彼らの一旦作った歴史は変えるわけにはいかないでしょう。しかも問題は民主党の動きです。ニューヨークにある在米中国人をまとめる大きな組織は、その人口数からも民主党の大きな力となっているのです。
今はヒラリー女史の大きな支持基盤です。クリントン大統領が親中派だったのもこのためです。
そしてイスラエルと中国の関係は、大変良好なのです。事変とは他の事でも起こり得ます。
史実はひとつの武器にはなりますが、それだけで勝負しようと考えてもダメなのです。
真に愛国心を持つ政治家が、堂々たる勇気と信念を持って、アジア、欧米、イスラム諸国、ユダヤ組織などに物申し、駆け引きが出来なくてはなりません。でないと国は守れないでしょ?
いったい誰がいるのでしょうか?町人拝金ボケした者達でしょうか?
愛国心はいりませんか?歴史認識はいりませんか?
今回のことはほんの一角の物事です。領土や歴史をめぐっての原始的トラブルです。
歴史は繰り返します。
賢者は歴史で学び、愚者は自分の経験で学ぶというのは、こういう時、深く分かりますね。
CIA入社の絶対条件とは愛国心です。
武士道とはこういう時のためにも、不動の精神を作り上げ、アジアの一国として平和に存在するために、我が国に無くてはならないものなのです。騙された史観を押しつけられるのではなく、堂々とした心で何事にも響かない、史上最高の文化の現代版再構築なのです。今度は「智」と外交を、表と裏でもっともっと強化させましょうよ。
サムライとは国(藩)を守るために、命の契りまで交わし、国の体制を滅ぼさないために、規範までも強いていた者達なのです。現代でいえば真の愛国心を持ち、荒廃が何かを解る人ですね。
現代に発進させる「武士道」という観念は、世界の宗教観を遺憾とし、元敵国の占領政策や、スリーS政策にどっぷりと浸り、自由をはき違えている者にとっては、まったく実態がつかめないでしょう。かくいう私も宗教をやってないし、スリーS政策で育てられた輩ですから、解らない気持ちがよく解ります。
ようするに規範の感覚のない世の中になろうと、していることすら感じてないのです。そしてそれが人間が持つ「真の強さ」と多いに関係があるのです。
強さとは、腕力や傲慢さの事ではありません。あなた自身が持つ純粋な心です。
躾のために叱る(体罰)ことと、幼児を持ち上げてたたき落とす虐待が、同じとしか見れない世の中自体がおかしいのです。こんなことやってたら国は滅びますよ。
いつ頃だったか約20年も前くらいに、欧米の子供への教育法が日本で流行りました。「子供は出来るかぎり可愛がり、甘やかせて育てよう」というものです。かっこだけブルジョア化した民は、欧米の流行の理論に飛びつきました。
「そうか!欧米の一家団欒の姿はこの教育なんだ」
テレビや映画で見ている「欧米ファミリー」の夢物語です。かくしてサルまね家族が、表面幸福を実行しだし、「ダーリン」「ハニー」「パパ・ママ」の家庭ができることを理想としました。そんな民ですから、学校に対してもそれを望みました。かくして人格形成としてもっとも大切なものを忘れ、史上空前の愚者が出来上がるシステムが構築されたのです。
文化とは水みたいなもので、淡水に住む鯉や鮒や蛙の文化が、いきなり海水になったりしたらビツクリです。人間であれば家庭は崩壊し、子供は不良化し、あっちこっちで異常な事件のオンパレード。それだけならまだ良いのですが、この壊れたガギ共に、根性や精神力や気骨さなども無いのですから終わりです。よってたかって弱い者に振るう行動は、強さではなく弱さです。
では、規範を持って堂々としている者と、何が違うのでしょうか?
欧米の彼らには宗教という柱があります。毎週教会に連れられていき、いやというほど説法を聞かされます。挨拶の大切さ、マナーの大切さ、正義の大切さ。家族の大切さ、愛国心。
ありとあらゆる道徳観念を教会で、ニューロンにたたき込まれ、その絶対心を無意識にまで構築されるのです。教会によっては、おっかないサムライのような神父さんもいます。
そういう「核」を育てるシステムがあって、規範という柱を構築された子供達を、これまた規範を構築された大人達が可愛がって育てるのなら解る気もするのですが、現代日本のように、人間の最も大切な部分を作ろうともせず、反対に自虐するやりかたで、表面の夢だけ見て、サルまねをやっているのですから大笑いです。
このことが私の言う「弱さ」に通じます。勘違いしないでくださいね。宗教をやれと言っているのではありません。また、多くの人はまだ規範を無意識に止めています。ただ、流されようとしているのです。早く眼が覚めてほしいものです。
勿論我が国は、仏教、神道等に影響され、独特の規範を「武士道」でつくってきました。数十年前まではその多くは残っていたのですが、いつからか、形だけ欧米化という滑稽な姿をさらけだし、従来の規範さえ散っていったのです。卑屈の歴史観を押しつけられた、普遍的無意識に強い心など宿るはずもありません。強い心とは正義などの規範から生まれるものなのです。
戦前は正義を語ったから、戦争になったんだという者もいますが、正義が強すぎればおかしくなる事くらい、昔から我が国のサムライは知っていることです。
私は外人に宗教は?と聞かれると「武士道」とか「サムライ」と答えています。新約武士道「○○」は「静なる強さ」というキーワードの下、私の体験と、師範としての体験と、科学的見地から確立しましたが、偶然にもおよそ古来の武士道の考え方と似ています。
武士道といっても剣術を主にする訳ではありません。伝統を背負う心の主観として、居合いなどをやって鍛練はしますが、あくまでも目的は真の精神面の構築です。現在約二十年をかけ、強さに関し、あらゆる研究や思想を解読しながら、武士道が何であるかを悟ろうとし、出来上がり間近です。この結果に私自身も驚いていますし、一緒に研究をしている、TIAの幹部達も感銘を受けています。
それほど先人は凄いと認識させるものでもあります。
ただし私は研究のために、武士道をひもといているのではありません。行き着く武士道精神復活の魂は、日本国の命のためのものです。実行をともなわせなくて何の武士道でしょう。
規範を無くしたサルまね族が、現代の不安定社会を作って来たのです。
あなたはどう生きますか?
キリスト教が唱える愛の世界も奥の深いものです。キリスト教信者でもない者が、愛を多発する姿に呆れ返る限りです。仏教の慈悲も奥の深い教えです。
ただそれだけやってもダメなのです。愛の、慈悲の、核を知り人間形成が成り立つのです。
日本人は教会や規範の構築に行くかわりに、お金儲けに奔走しますね。実力社会ですからそれも良いことでしょう。
しかし、物はお金で買えても、品性は買えないのです。
今の日本を見ても解るとおり、やがてもっと品性がなくなる社会が来るでしょう。
人間の核を無くすとはそういうものです。そしてやがて国が崩壊するでしょう。
「○○」は、サムライの作法と思想を身につけ、居合や格闘術や禅や礼儀作法やマナー等の、実技を行ない無意識下に、強さ「核」を構築させるものです。
いったい武士道とは何なのでしょうか?最初の発表会是非お楽しみを。
パラリンピックカウントダウン日本選手団を応援しよう
チェアーウォーカー情報誌WaWaWa記念イベント
2004.08.17(火曜) 開演7:00 受付6:00
佐山 聡「新約武士道発表 講演ならび記者会見」
ラモス留偉「スポーツマン魂」
氏神一番 「パラリンピックキャンペーンソング発表」
チケット:1500円 会場:新宿ロフトプラス1 問い合わせ:03−3205−6864
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