掣圏真陰流 興義館総監 佐山サトル本人からの投稿メッセージです。
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2004.12.20
プロレスはこのままで良いのだろうか?何か違った方向へ行こうとしているのは、あきらかであるような気がする。かつて総合格闘技を模索した時期の方向提示は、格闘技のために行なわれたものであり、その基盤は打・投・極を広く知らしめるものだった。改革は成功したが、その精神は町人拝金根性が巣くう、商方的イベントへ移行し、スリーエス浸透に加担するものでしかない。かつてその道のために移行してきた潮流は、プロレス界に影響を与えすぎ、今、基盤を迷っているのではないかと思う。
格闘技で私が造る理想は精神世界のイベント。日本の相撲のような構築で、武士道精神を模範するものであった。
国技として義を抱き、国民の精神骨格になるもの。
私が断言して言えるのは、プロレスが人気を落としているのは、K1や総合の進出ではない。
日本のプロレスの源流は国民と共にあった。GHQの施設まわりの慰問的イベントから始まり、格闘王国としてのプロレスが花咲いていく。もちろん当時のスリーエスそのもであるが、国民高揚の一因として認められていた。その中、私達が伝えられたものは魂であったと思う。
日本のプロレスには日本のプロレスの魂が宿り、そこはK1や総合でもないし雑技団でも無い。
私は総合を創始創設した者であっても、プロレスの基盤を壊してくれとは思わない。
掣圏真陰流とはおかしな名前でしょ。しょうがない。私が格闘生活で辿り着きそうな世界を表す、最も的確な名称なのだから。その深さは精神世界を固める基盤が成されている。おそらくみなさんの想像を絶する世界であろう。
プロレスを語る者は多くいる。しかし彼らは夢と称しながら、何のためにはびころうとしているのか?その表面だけのプロパンガンダは、しょせん義のない世界を繰り返す、町人拝金主義の事物でしかない。基盤が何かを理解できるものは、少数のレスラーしかいないだろう。チケットを売ったとか、話題作りをしたとかいう世界はまるで関係ないのだ。ハデな技やフィニッシュホールドの連発も無意味である。またそこへ頼らなければならないことが、レスラー魂を放棄した安易な姿であるのだ。
精神改革が第一歩だと思います。
掣圏真陰流はシンクタンクとなる。その東京事務所は天壌無窮として、個人事務所的本部となるだろう。最近思想的な書き込みがないのは、1.27の忙しさやトレーニングの厳しさもあるが、それだけ来年から始まる実践を、準備しているということである。
今日は京都で、目の前にコンピュータないから久々に書いてます。
来年掣圏は真陰流となり大きく体制を変えます。
おかげさまで体重も順調である。藤原祭りでは正直108キロあったが、本日京都大会102キロ、1.27の目標は後10キロ以上の減量だが、このまま行けばなんなく行けるだろう。もっとも、ある減量方に自信を持ち、それで何キロ痩せるかという目標をたてた。差が大きいほど良い。減量に入る前に太るだけ太らせて、スタートしようと思っていた。そこへ藤原祭りだったのだ。
エキシビションなので、出場しなくてもいいのではと、トシちゃんに提訴していたが、ポスターに乗せたからダメだという。第一トシちゃんの所で練習しても、夜ひっつかまえられて食わされてしまう。あげくの果ては酒を飲んでの大虎騒ぎ。何か仕返ししようと、ピンと来たのが藤原祭りでのエキジビジョンであった。
前日リハーサルやるというから、藤原道場に集まり展開を作った。シメシメ・・・
リハーサルでは最後、トシちゃんが酒を飲んでの大立ち回り、私とトシちゃんはタッグチームのパートナーである。「先生(トシ)お客さんに見えるように、一気に思いっきり飲んでくださいね。中身は水ですから」なんて言いながら本番は、本物の酒を入れておいた。
最後は本人が酔って大暴れして、私も含めレフリーにも攻撃し、みんなに捕まってブレンバスターでマットに叩きつけられるという展開だが、リハーサルでは「マットが硬いので、ゆっくり落とそう」ということになっていた。
ところが誰だが解らないが、おもいっきり持ち上げ、トシちゃんは吹っ飛んでしまった。おそらく日頃練習での恨みを持つ、小林くんではないかと思うのだが、とにかくいやといほどマットに叩きつけられた。
「ウッ!」というトシちゃんのうめき声が聞こえ、そのまま俯いてしまった。リハーサルでは仰向けでそのまま、みんなでフォール。苦しんで俯せにもがいているトシちゃんを、ここぞとばかり、むんずと仰向けにして押さえ込んだ。次々に上に乗ってくる。悲鳴をあげるトシちゃん。
スリーカウントはないため、「藤原選手、暴走のため試合続行不可能でノーコンテスト」となる予定だったが、あまりの痛さに本人がギブアップしてしまった。
あんな受けた試合はない!1月3日に放映されるみたいだから期待してください。
試合後の挨拶で、「リハーサルと違いました」と言うのがまた最高です。ヤッター!って感じ。
もちろんその後「この野郎!」と言われ、またひっぱって行かれた。



2004.12.17
順調過ぎる。19日の京都大会は非常に楽しみ。
ランニング、ミット、スパーリングでは、前回の闘龍門さんのときより良い。
藤原祭りでは1.27の準備で追いまくられていたけど、時間の無い中、遠藤会長の所で、馬力とスピードを重視でやってきたせいか、翌日からの減量も弾みがつき、信じられないスピードを手に入れている。おそらく1.27は心配ないだろう。まだ完全ではないが京都大会は、今の時期でのひとつのバロメーターといえる。レジェンドのチャンピオンになることではなく、来年への奇跡的な動きの保障と、これからのプロレス界の底上げについてのことである。
1.27は順調にいけば2試合を闘うことになる。私の来年にかける意気込みだといえば、分かる人には分かってもらえるだろう。
2試合というのが、どのくらい苛酷なことなのか?私のことだから、サミーリーとタイガーマスクのプライドとして、ある種の絶対心が完全以上の動きへもっていくだろう。しかし問題はそこではない。来年のために今どれだけ苛酷に身をおき、超本格として備える基礎を造るかということなのだ。この2試合用のスーパートレーニングは、願ってもないスタートのチャンスである。
来年はみちのくさんや闘龍門さんのリングにも、積極的に上がっていくが、3月に小さな興行、6月に大きな興行を行なう。
楽しみに私のハードワークを期待してください。本年は肉離れや胆石で躓きましたが、現在は治療、体調ともすべてOKです。



2004.12.03
物物凄い!
兵頭二十八氏が書いた最新本「あたらしい武士道」は、物凄い本だ。
最強の世界の武士道本かもしれない。
また新しい聖書が増えた!
我々が世界史上の中のサムライとして、絶対に必要な知識である。
必読!「新紀元社」から



2004.11.24
ベールをしていた来年の1月27日のイベントは、レジェンド・チャンピオンシップと名うち、プロレス界全体のために、私を含め、4人のトーナメントを一夜のうちに開き、チャンピオンを決めようという、大きな意義をもった大会です。プロレス界が低迷しているというなら、みんなで力を合わせ、息吹を吹き返そうではありませんか。
プロレス界に私ができる限りの最初の大会が、この新設のチャンピオンシップです。レジェンド(伝説)に恥じないタイトルを制定し、皆さんには、チャンピオンベルトのアイデアや、デザインを募集します。試合のくわしい内容は12.2あたりに記者会見を行う予定です。試合場は代々木第二体育館、午後6時半試合開始。
一方、私のライフワークは、武道から精神武士道へ成長し、掣圏真陰流の髄をまっしぐらに歩んでいます。
当日は掣圏真陰流「市街地型白兵戦トーナメント」を開催します。尚、儀式は皆さんに見せるというよりも、試合の始まる10分前に行ないます。「道」を名乗らないのはHPを御覧になっている方なら、解っていただけますね。
私の真意がどこにあるか、そして何を及ぼすのかを見極めてください。



2004.11.06
朝までテレビの、幼稚で馬鹿げた論理観を見ても、何という研究不足!ぐらいしか感じないこの頃。みなさんもしっかりと、メディアリテラシーに励んでください。
武士道の推進が一段と進んでいる。が
ここ数日は五代目タイガーマスクを特訓していて、ちょっと休んでいる。コンピューターに武士の資料を書き写す作業で、手いっぱいというところだ。
五代目タイガーはパンクラスの舟木選手。なかなかセンスがあって素晴らしく、来年私が用意してある必殺ワザもマスターしてもらった。楽しみでしょうがない。
11月27日の私の誕生日には、特別の催しが決まった。らしい・・すんごいことになりそうだ。歌ってくれと言われ、「金太の代冒険」入れてくれたらと言ったら、「ふざけないでください」と、まじめに怒られた。何やるか知らないけれど、真剣に考えてるぞ、うちの事務所。何歌ってやろうかな。「海ゆかば」じゃ、ひっくりかえるかな。どっちみちどこかのカラオケだろう。
来年の1月27日の前に、12月5日に「藤原祭り」に出るかも知れません。
12月半ばにも京都で試合します。
万全に仕上げておかないとね。体調が戻った実感があるから、私自身も楽しみでしょうがない。
万全に向け「天壌無窮」の秘密事務所が、都内某所の出来。
武士道志塾「掣圏真陰流」の道場がもうすぐ出来。
タイガージムも出来る予定である。楽しみでしょうがない。
おまけに数値は何でもなかった。嬉しくてしょうがない。
嬉しいからちょっとバラしちゃおう。
1.27のタイトル名は「レジェンドカップ」真の復活のために、タイトルをかけるぞ!
誰かが無くしたと言われている、私が巻いていたチャンピオンベルトを手に入れ、四人でのトーナメントをやり、完全復活して、そのベルトを巻く。
もちろん掣圏真陰流「市街地型実戦トーナメント」もやりますよ。
サムライはラストではないし、プロレスも死なせません。本格的に着手する計画は着実です。
私のことだから、十中八九まで自らこれを行い。残りの一、二を他に譲りを以て項を成すだろう。
楽しみでしょうがない。



2004.10.24
先月、猪木さんに腰のドクターを勧めたのですが、そこで私の話題が出たらしく、「絶対佐山が糖尿にならないのはおかしい」と、特に猪木さんは希望的所見をのべていたというのです。何せ私が甘いものを、目の前でバクバクやるものですから、甘いものが好きで食べれない人には、かなりの反感と仲間(糖尿病)に入れという希望が強いのです。
WAWAWAの阿部社長に至っては「佐山さん絶対間違いない」と言われ、糖尿1号(阿部社長)糖尿2号(私)と呼び合っておりました。
それは医療関係のオーソリティーが、糖尿病と診断されている私の友人と、話している内容を聞いてからのことです。
「食事したら眠くなるでしょう」と聞き、続けて、「2時間後にまたお腹が空くでしょ」と糖尿病特有の症状を言うと、友人はそうだと、うなだれていました。
それを横で聞いていた私は、思わず食事が止まり、叫んでいたのです。
「それ俺じゃん!」
普段から私と一緒になって食べていた、その友人だけに、私の一声に、
「そら来たか!」と自分の病を忘れ喜び勇み、私はついに来たかと思ったのです。
「そうか、昨年からどうも自分の体ではないような感があったのは、そのためか!」私は納得してしまいました。
医療関係のオーソリティーも、友人から私の食事内容を聞き、また、一緒になってデニーズで、あずき入りパンケーキを食べていたのですから、そうとう血糖値が来ていると踏んでいました。
かくして三人で、検査の専門病院がある山梨まで出掛け、全てを検査することになったのです。
それを聞いたまた尿酸値が700以上もある友人は、絶対に私が糖尿病だと信じ、病の道に一歩私が踏み出すことを願っているようでした。これは深層心理の裏付けで、数値を聞いて仲間を作り、心の中で「自分はまだ大丈夫だ」と慰めているのです。
今回は念入りに、普段の状況と同じ環境で数値が出るよう、医療関係のオーソリティーの粋なはからい?で、前の日から、普段どおりの食事をとることになりました。たっぷりと美味しいものを食べつくし、ソフトクリームまでいってしまったのです。
実は検査から四日前の後楽園の試合の日、赤ふくを一列と、たまたま、なんだこりゃと、その下に置いてあった薄皮饅頭を一口・・・
とたん、その芸術的な味に感激し、八つを無くしていたのです。おまけに次の日とその次の日も、続けて寿司の接待を受け、数値に悪い環境は作っていたのですが・・・
不安だらけの検査が始まります。日本武士道を習う者として、不動心であらねばなりません。
しかし、結果を待っている友人達の期待感がひしひしと伝わります。
午後、大体の結果が先生から伝えられます。
ちょうどその時、以前、糖尿病と診断されても、私と一緒になって食っていた友人は、血管年令を計るベットの上で、先生の机のそばでした。
「え!」友人の悲鳴とも、落胆ともとれる嗚咽が診療室に響きます。
「佐山さん。まったく問題ありません。正常です!」
私も耳を疑いました。思わずこぼれる笑み。
走馬灯のようにちらつく、悔しがる友人たちの顔。
血管年令を計っていた56歳の友人は、あまりにもショックだったのか、90歳という結果が出てしまいました。後の検査も私は正常で、友人はそうとう悪いと診断され、そのまま入院の手続きが行なわれました。
怒る怒る。そんな理不尽なことがあっていいのかと。
私も今回は覚悟を決めていたのですが、あれだけ食いまくって、なんたるツキ。
ごめなさい友人のみなさん。

初代タイガーマスクはこのまま行けば、完全に回復すると思います。
昨年の復活から、どうも自分の体ではないと、皆さんにお伝えしていましたが、ようやく納得できる身体能力を実感できるようになりました。筋力トレーニングが随分効いているのに、間違いありません。
心配していた胆嚢も大丈夫でした。どころか、何のトラブルもありませんでした。
回復というのは絞るのみですね。
1.27に向け、あるいは来年に向けて、ベストは必ずやって来ます。
私に敬意を表してくれたみなさん。どす黒い雲がたれ込めている業界なら、タイガーロケットでブチ抜く一年にし、絶対に恩返して去ります。
今日腕回り計ったら48センチ。反射神経も漲って来た実感。健康もOK!!



2004.10.19
新約武士道「掣圏真陰流」
天壌無窮(てんじょうむきゅう)塾 塾長 臣狭山 聡
古代ローマでは、民衆にパンと娯楽を与え、政治を安定させていた。
現代の世の中も何ら変わることは無い。
娯楽などを与えることにより、幸福と自由を感じさせ、少々の政治の落ち度には目を瞑り、市民たちの幸福度を、天秤で計らせることが国家として重要な形態だ。
娯楽への政策は「スリーS政策」と呼ばれている。三つのSは、スクリーン・スポーツ・セックスと言われているものだ。
別に悪いことではない。なぜなら国民はその他に宗教と法律という、モラル心と社会性を遵守する制度を構築し、規範ある生活と、愛する家族の集合体「国体」を守るスタイルが確立され、社会態勢の中にも、遊びや自由がある両輪となるからだ。
宗教と法律の役目は違う。
私も宗教をやってないから、言える立場にないが、宗教でそなわる規範心は、法律を守る自主的な情動を託す役目となるものだ。
刑法第何十何条に「街で困っている人を助けなさい」とは明記できない。
六本木あたりや電車の中で、困った人を助けるのは、決まって外人である。日本人は見て見ぬふりをする。おとなしいとか、恥ずかしがり屋だとかでは無い。戦後から規範心が構築されておらず、彼ら外人のように宗教心が無いだけである。
「義を見て 為さざるは 勇無きなり」
かつて日本にも、彼ら一神教と変わらない精神が存在していた。それ以上のものが・・・。
わずか六十年の間にここまで変わるとは。現在多くの人が嘆いている事である。
規範を無くすことは全ての崩壊の始まりである。
なぜここまでになってしまったのか。
愚マスのポピュラリズムやリベラリズムに騙され、
「世界中みんな仲良くし、プライドを捨て国境さえいらない地球市民を目指そう」という幻想。
その深い意味や、事の起こりの原因も知らず、「宗教があるから盲目になり過ぎ、戦争が起こるんだ」なんて、めでたく考えている日本人は多い。
「え!」何かの冗談なんでしょ。と外国人に言われる。
あげくの果て、「戦争は絶対良くない」などと、宗教と国を守ることを、戦争と直結させ、「だって、だって、そうだろ!あなた達は神を信じちゃってるから解らないだけだ」と真剣に答えてしまい、ああ本当の世間知らずなんだと、世界の人にあきれられている。
おまけに、「最近、日本でも戦争を肯定する人がいる」などと、あまりにもの無知を公言する姿。
古代や中世じゃああるまいし、世界中の人はそんな常識は分かり切っている。
戦争が良くないのは、あ!た!り!ま!え!の大常識である。
え!大東亜戦争が宗教戦争だったの。
朝鮮戦争が宗教戦争だったの。
ベトナム戦争が宗教戦争だったの。
第三次四次中東戦争が宗教戦争だったの。
イラン・イラク戦争が宗教戦争だったの。
湾岸戦争が宗教戦争だったの。
アフガン戦争が宗教戦争だったの。
イラク戦争が宗教戦争だったの。
中東に対してのバルフォア宣言や、フサイン・マクマホン協定。
そんなことやられたら、互いを認め合う普遍的無意識ある民でも、どこだって戦争に突入する。
武器や資源など、利害がからむものもある。
現代の戦争は、宗教間の対立に見せ掛けて利用する、陰謀の方が多いことは明らかである。
人間に精神が存在する以上、普遍的無意識は存在し続けるが、宗教心が有ろうと無かろうと戦争は起こるのだ。
陰謀と愚に騙され規範を無くし、弱化への迎合を促進し、国を荒廃させるほうが、もっと恐い。
どうするの?アメリカの力が弱まるか、国論が変わり日本防衛、あるいは同盟必要無し論となって、尖閣諸島が取られ、資源海域を取られ、沖縄まで取られ、竹島が取られても、
「宗教があるからダメなんだ」とやるのだろうか。

何せ戦後から真実が包み隠されている国だから、真の中身を知らない人には、そう映るのはしょうがない。ほとんどの政治家だって解ってないのだから、末期的である。最近はミュージカルでも歴史の真実とやって、これまた大局を見れず、日本軍部悪説をやっているという。次々と明るみになる歴史の証拠で、かえってだんだん巧妙になるだろうが、所詮みんな過去のものになるだろう。
戦後日本のリベラル反省主義はまだ治っていない。
反省におののく精神は、弱化のリベラルへと落ちて行く。
そんなことを押しつけるのは、迫害された民が、その意味を知らない純粋な民に、「世界とはこうだ」と自分たちの理想を言っているに過ぎない。
そこへ迎合する歴史観を、自ら演じるのだから素晴らしいとしか言いようがないだろう。
結果、得られた国民性は荒廃精神である。弱さとは無意識で危機を否定してしまう。
「そんなことはあってはならない。あるはずはない。ならないでほしい」「戦争は絶対あってはならない」
国家の基本を忘れた民が行く着く先は、規範を疎かにし、スリーSに溺れ、国体観と幸福度との天秤計が壊れたスクラップ置場に横たわり「何もなければいいなあ」と恍惚感に慕る姿である。

国民一人一人が、国体と規範というものを自覚すれば、自分だけとか、お金が神様なんてことは起こらない。スリーSの娯楽も楽しめ、規範を国体と一致させることこそが国家であり、それを守る強さこそが真の自立なのだ。
戦後思想教育において、基本を疎かにした愚行のなかで、個人主義というものがもてはやされた。「戦前は自由が無かった。これからは個人主義で生きるんだ。自由・平等・博愛だ」という具合に。ウォーギルトの成果である。
日本の場合、少々の落ち度ではなく、戦後占領政策の延長を、今だに誤魔化しているのであるからたまらない。
戦後少したってから、サンフランシスコ講和条約が施行される、昭和27年4月28日の六年半もの間、全ての宗教は禁止されていた。武勇を誇る歌とか詩や物語、武道や相撲まで禁止だったのだ。
今では世界中の歴史学者どころか、実際に裁いたウエップナー裁判長やキーナン首席判事、裏で司令を出していたマカーサーでさえ、間違いを認めている東京裁判。
何の因果か迎合主義か。
いくら政治家がテレビで何を言おうと、自立した軍隊を持ち、その指揮権を把握した責任ある言動でなければ、茶番に見えてしまう。
天壌無窮はその指揮権をとった国としての、国体がどうあるべきかを研究する機関でもある。
それには絶対に真の歴史観は欠かせない。
この度、某所に作られた天壌無窮の秘密事務所は、びっしりとコンピュータ化し、資料を詰め込んでいる。残念ながら誰もが入れるところではない。あくまでも研究の城となるところなのだ。
また某所に「武士道志塾 掣圏真陰流道場」を作っている。
まさに新約武士道の士官を養成するところである。
関係各位に申し上げたい。
私達は真剣に日本を取り組んでいる。
真の国体自立を目指す若者がいるのなら、武士道精神の「導き」をこの場で与えられるよう、勧めていただきたい所存です。

国とはどうあるべきかは、どう娯楽を与えられているかも含む事を、皆も承知しておいてほしい。
でないと茶番だらけの世の中になってしまう。
宗教心のない国だから、しっかりとメディアリテラシーして、人が強く生きることを自覚しなくてはならない。

最初目指すものはスポーツの確立であった。それがどうしたというのだ。
リングと国体精神とが無に等しい現実。
マスコミ受けしか頭に無い馬鹿。礼儀の無さ、金にホイホイ、良かれと感じたほうにホイホイ。
礼儀もできないヤツとは、こういう者。しょせん現代日本の末期的症状で、出来上がった腑抜けでしかない。
小さな頃から教会で、規範を徹底されている民とは大違いである。何の精神構築機関もないくせに、欧米並みにリベラルを口にする愚民。ジェンダーフリーまで作ってしまった愚行。
宗教という絶対の規範心あっての、自由・平等・博愛であるなら話は解る。
ならばその実態は?自由をはき違え、平等を権利とした愚民の博愛。どうして信じられるだろうか。
街には芯の弱い不良が氾濫し、犯罪のオンパレード。母親が子供を殺す率は世界一。
警察に文句を言う前に、なぜこういう国になったのかを把握しようではないか。

武道でなくてはならないという確信が生まれ、その追求の段階で、宗教性や武士道にブチ当たった。
歴史無くして真の武士道は語れない。
あの虐げられた2133778柱の英霊や、大東亜解放で生き残られた方々も然り、真のサムライであったという事実、次々にあがる証拠や証言。

武士道の追求は精神に至るものである。
真の精神を垣間見たとき、あなたの背後に閃光が走るだろう。
先人の三千年の足音を聞く衝撃である。
我々日本人の魂は、民を統治するためや、やすらぎを求めるためや、虐げられた救いからは出来ていない。
死をかけた純粋な人々から生まれた規範である。
「義を見て 為さざるは 勇無きなり」
先人の魂は決して殺してはならない。
私は絶対にやりとげる。
祖国やアジアを守るために、死をかけて戦った勇者達、三千年の歴史を背負ってくれた先人のためにも。

新約はサムライの格好をして、武士道とやるものではない。
大義である魂「道」を追求するのだ。
真の武士道とは、命の契りを交わし、国(当時は藩や家)を守り、その規範を民にまで影響させる道である。
精神のことをいうのであり、表面的な格好をするのではないということだ。
国体を先人の如く守り抜くために、どういった行動をとるかということが本質なのである。
刀は武士道の魂の象徴として存在していった。
キリスト教における十字架のごとく、私は刀のペンダントを胸につける。
三千年と共にあるのだ。勿論、切腹用の短刀の方をつけているのだ。
新約武士道は切腹を肯定しないが、先人の魂がそこに宿ってきたことは、日本人なら解るはずである。
サムライの格好をしないというのは、儀式などの時は別であり、伝統儀式などは精神の高揚のためにも、執り行わなくてはならない。「魂振り」「魂鎮め」等の儀式である。
次回 天壌無窮塾
茨城下館市
プリンスホテル高松
10月22日 7:00受け付け7:30開場
問い合わせ0296−25−5557

最近、私が太っていると誤解をされています。
確かに太っているのに違いはないのですが、ウエイトは胆嚢炎で苦しんでいた時より減っているのです。
現在はある大きな目標を求めての、段階過程に過ぎません。
ウエイト・トレーニングを始めたことは書きましたね。
実は筋力を蘇らせることに重点をおいたのです。ただ減量し、動きだけを重視することをやめたのは、前から何か自分の体ではないと思い続け、筋力の低下ではないかと感じていたのです。
遠藤会長の指導のおかげで、腕回りが47センチにもなってしまいました。全盛時が43センチでしたから驚異的です。肩や背中も急激について来たのです。
今年中に腕回り50センチを目指します。
別に筋肉増強剤や、プロテインを飲んでるわけではありませんよ。私の体はまだ脂肪がのった状態ですが、筋力アップは確実になされています。筋力が蘇り、代謝が効率良く機能し始めた時、タイガーマスクが皆さんの前に蘇ります。
現在ウエイトを始めて二ヵ月あまりですが、宇都宮や後楽園で、太っているけど早いと言われているのは、上体が発達し筋力アップした段階なのです。筋力から代謝能力を上げ、ウエイトが落ちスタミナも増す計算です。1.27の時にベストにもっていく作戦なのです。



2004.10.12
びっくりした!本日あのカタブツ氏に、取材だと言われて新宿に行った。
取材だというのに、写真だけ撮ってくれという。
何が何だか解らないけれども、都庁近くの公園でカタブツ氏との写真や、車に寄り掛かった写真や、ファンの人と並んでの写真を撮られた。しかもカメラは「写るんです」だった。
その間、5分あまり、これで取材終わりというのだ。何の取材?と言っても答えない。
あやしいと思い、問い詰めても何も言わない。
「だって、佐山さん本当のことHPに書いちゃうんだもの」と言って口を閉ざすばかり、「佐山さんに書かれて、マロが仕事してないの編集長にバレて、水晶支給下げられたんですから」
ここはカタブツ氏の性格は解っているから、
「今度、水晶欲しいっていう人がいるんだけどね」と誘ってみたところ、
「え!本当ですか?今月まだノルマ残ってるんですよ」とすぐ乗ってきた。
「その人、腰が悪くてさ「いい石でも無いかなあって」言ってるんだよね。すっごい金持ちで、金はいくらかかっても良いって言うんだよ」
ちょっと間が空いた。と思うと。
「へー・・・ところで今日の撮影は何か、言いましたよね」
「だから何回も聞いたけど言わないじゃん」
「そんなこと無いですよ「何の取材」って言われたから答えようが無かったんですよ。「何の撮影」って言ってくれれば答えたのに」
「あそう。じゃあ何の撮影なの」ちょと呆れたが、ここはガマンするしかない。
「実はね、マロ最近コンピュータ貰ったんですよ」
その瞬間、一緒に来ていたカメラマンの顔が変わった。
後で聞くと、編集長が渋谷でホームレスの時、ある御屋敷の粗大ゴミで出た、コンピュータを見つけて持ち帰り、紙プロ再建のために役立てた、紙プロ唯一の機械が最近無くなったというのだった。
「それでね」カタブツ氏の話は続く
「最近フォトショップというソフトに、はまってるんですよ。これが便利でねえ」
おもいきり得意がっている。
「何が便利なの?」
「何がって、いくらでも合成出来るんですよ。つまり、写真と写真を合成すれば、行ってもない所、行ったことに出来るんですよ」さらに得意がってしゃべりだした。
「今までは言ってもないこと、書いてりゃよかったけど、写真はダメでした。それがどうでもなるんですよ」
「えー!じゃあ今日のは?」
「よくぞ聞いてくれました!ウチの編集長、言うにことかいて、このマロに朝霞の自衛隊に、佐山さんと取材行って来いって言うですよ!」
朝霞あたりで遠いのか、かなり不満があるようだった。
「ところがどっこい。朝霞の陸上自衛隊駐屯地広報センターの、資料写真手に入れてるんだもんねマロ」
「へえー!」
「だからいつものように、佐山さんは何にも言わなきゃいいんですよ。マロが勝手に作っておきますから。今回は写真だって出来るんですよ。そのためにワザと性能の良いカメラ忘れたふりして「写るんです」にして、合成バレないようにしてるんですから」
カメラマンはそうだったのかと驚いていた。
「ところで、その腰の悪い人大変ですよね」
水晶の話を振ってきた。
「そうなんだよ、だから今度ね」
「今度!」
嬉しそうに目を輝かせた。
「今度、良い医師、紹介してあげるんだよ」
「え!」
騙されたと思っても、ただでは引かないのがカタブツ氏である。
「実は佐山さん、マロは気功で何百人もの腰を直してあげてるんですよ」
後にいるカメラマンが怪訝そうな顔して、一生懸命、手を横に振り、口パクで「ウソ、ウソ」と言っている。
「なあ」っといきなりカメラマンに向かって
「今日おまえ腰が凄い悪いって唸ってたんだよな!」
「え!」いきなり言われ「ええまあ・・」と答えるしかないようだ。
「見ててくださいよ」
カタブツ氏は嫌がってるカメラマンを、公園のベンチに寝かせ、手をかざしながら呪文を唱え始めた。
公園を行き来する人達も変な顔でみている。
私はそっと帰って来た。



2004.10.06
西村幸祐氏のサイトより引用。
■2004/07/12 (月) 遂に暴かれた「南京虐殺」の嘘
http://www4.0diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=401628&start=21&log=200407&maxcount=42
今日、東京地裁で百人斬訴訟の第6回裁判が行われた。前回の裁判の日に「アメリカ発、30年ぶりの告発。南京百人斬訴訟」を書いたので再読をお勧めする。いわゆる南京虐殺のシンボル的存在として、支那は向井、野田両少尉が百人斬競争を行ったと喧伝した東京日日新聞(現毎日新聞)の浅海記者の記事を、さも南京虐殺の証拠として得意気に宣伝してきた。向井少尉の次女、向井智惠子さんの話だと年々南京記念館の展示物が大きくなっている。実は今日の裁判で、その記事の写真を撮った毎日新聞のカメラマン佐藤振寿氏(90歳)の陳述が行われた。

佐藤氏は療養中であり、医師の付き添いで出廷したが、彼が自分の生命を掛けてまで出廷したのは、歴史の歪曲を許してはならないという強い意志があったからだ。途中、ドクターストップが何回も掛かりながら、佐藤氏は1時間掛けて歴史的証言を行った。東京日日新聞の「百人斬競争」の記事は全くの虚偽であるという証言だ。昨夜、選挙関連のテレビ朝日の番組で司会の田原総一郎氏が小泉首相の靖国参拝に言及した時、南京事件にも話が飛んだが、出席者の国会議員も司会の田原氏も余りに粗雑な歴史認識の持ち主なので改めて驚かされた。南京虐殺は東京裁判からの流れで日本側に人道に反する虐殺が無かったら困るので、連合国によって捏造されたプロパガンダである。その後、70年代から本多勝一(朝日)と支那共産党の利害が一致し、さらにが80年代以降の江沢民の反日政策の根幹を成す政治的道具として機能してきた。
しかし、今日の佐藤振寿氏の証言は重い。世界史が書き換えられる可能性も大きい。再度、無実の罪で南京裁判で銃殺された向井少尉の辞世を。

辞世  大日本帝国陸軍少尉 向井敏明
我は天地神明に誓い
捕虜住民を殺害せること全然なし
南京虐殺事件等の罪は
絶対に受けません
死は天命と思い日本男士として
立派に中国の土となります
然れども魂は大八州島に帰ります
我が死を以て中国抗戦八年の
苦杯の遺恨流れ去り
日華親善東洋平和の因とも
なれば捨石となり幸いです

中国の御奮闘を祈る
日本の敢奮を祈る
中国万歳 日本万歳
死して護国の鬼となります
天皇陛下万歳

新約武士道「掣圏真陰流」
天壌無窮(てんじょうむきゅう)塾 塾長 臣狭山 聡
ついに出てきましたね。
第二次上海時変における戦闘の過程で、上海から南京方面に船で逃げた中国軍兵士は、一般人の服をはぎ取り、自ら一般人のふりをして逃げ込んだ。そこを捕えた日本軍は彼たちを処刑した。しかし南京における、一般人および捕虜を殺生した証拠は一切無い。当時、住んでいた人も、一切動乱の気配すら感じなかったという。東京裁判では30万人を虐殺したことになっているが、当時、南京には20万人しか住んでいなかった。
中国国民党は何かあるごとに、ささいなことでも国際連合に提訴したり、アメリカに訴えていたが、この南京のことは一切何もしていない。
この時期あるとすれば当時のニューヨーク・タイムスに、南京で中国軍が日本軍のふりをして、6人を殺したという記事くらいであった。
今もある英国の新聞マンチェスター・ガーディアンの記者、H・J・テンパリーが南京虐殺の虚報を報じ、スマイス教授という中国の人物が、膨らまして伝え、アイリス・チャンによって世に広められた。
東京裁判の時、H・J・テンパリーは一切裁判に関わっていない。
なぜなら彼は、中国国民党の情報省の人間であることが解っている。
一昨年八月十五日、ニュースステーションで、市民グループによる、実際に南京虐殺を行なったという、旧日本軍兵士にインタビューする番組が流れた。御覧になった方もいることでしょう。
老人施設にいるような、旧日本軍兵士と称する人達に対するインタビューである。
「おじいちゃん、南京では大変だったんだってねえ?」と諭すようなしゃべり方。
「そうなんだよ、南京では日本軍の言うことを聞かないで入っていき、凌辱の限りを尽くし、最後は堤防に皆並べて機関銃で撃ったんだ。自分から川へ落ちるやつもいたけど追い掛けて撃ったんだ。可哀相なことをしたけど戦争だからなあ」淡々と感情を込めてしゃべっていた。
その後のキャスターの「何とも言えないというコメント」が流れ、旧日本軍の悪さを強調する。
しかしテレビにお爺ちゃんの保険証が映り、一昨年の時点でそのおじいちゃんは72歳、南京事件とされている時は、12才の子供であることが解ってしまった。
何という誘導インタビュー。構ってもらいたいお爺ちゃん達に対しての、市民グループの巧妙な仕掛けである。メディア・リテラシーは、よほどしっかりしなくてはなりません。
著名人や他の政治家のごとく、戦略史観に騙され染み付いた、歴史認識ではしょうがないが、信じられないことに、現在の政治家の中には「そんな歴史ウンヌンはどうでもいいんだ」と言う者もいる。おいおいそれで日本の魂を背負って、代表面しているのだろうか。前後の状況も解らず「私は悲惨な事を経験した。だから言わせてもらう」ではまったくお話にならない。
そんな文化人、著名人、政治家先生の日本へ対する魂なんて本当にあるのだろうか。
魂を捨てた人間に何があるのだろう。
魂を破壊された国に何があるのだろう。
国を忘れ、平和だから楽園を信じる民。
尊敬も自己犠牲も正義も仁義も捨て、金に走る民。
もし自分がこの民だったらどうしますか?世の中には凡者と愚者と信者がいます。もちろんここでいう信者とは、宗教のことではありません。
信じると信用と信念の、しいてあげれば日本信者というところでしょうか。
文化人や著名人であろうと、愚者は愚者。信者は信者。あなたであろうと、愚者は愚者。信者は信者なのです。
もし貴方が大義を持ったなら。どんな著名人を見ても、愚者であれば何も感じなくなるでしょう。
大義とはそういうものです。
魂とはそういうものです。



2004.10.05
新約武士道「掣圏真陰流」
天壌無窮(てんじょうむきゅう)塾 塾長 臣狭山 聡
「陰」とは無意識下に構築された「魂」が秘められたものであり、「響き」の実体である。五感によりとらえられた入力は、記憶形態に照合され、感情の響き「波形」となって意識へと導く。
私達はその記憶形態の構築を魂として「真の強さ」におき、礼儀正しく人をいたわれる人間たる目的で、規範を植え付けなくてはならない。
よって意志と不動心は、正しく構築された魂から生まれるものである。
現代の若者の「切れる」ことが、ストレスからなんて言っているのは馬鹿げている。その前に規範の構築が人間には必要なのだ。ゆとり教育なんてやればやるほど、より規範を無くすだけだったではないか。平和ボケに侵された科学的と称す教育は絶対ダメという結論だ。非平和的な教育も良いわけないのは当たりまえである。誤解はしないでいただきたい。
私に教育を任せてくれたら、5年で周辺諸国を黙らせてみせる。
10年あれば国としての真の復活を遂げる。但し、私に政権を取らせると、沢山の抹殺対象者がカタブツ氏によって抹殺されるので、やめておこう。
物部氏より伝えられた「魂振り」「魂鎮め」は、真陰における精神の技法として儀式化していく。
精神は「響」きを伴う。「真陰」は波形で「魂」を表し、制動や静なる高揚をするのだ。
常派から退派→窮派→パニック派と落ちて行き、
常派から不動派→無派→乗派→超派へと運ばれる。
すべて「陰」の成せる技なのである。
現代科学で解明されている脳波の形、デルタ派・シータ派・アルファ派・ベータ派・ガンマ派は、直接「魂」の表れに関係するが、実は何らかの異なる波形があり、将来においてより解明されるはずである。
武士が描いた死への覚悟は剣術で発展し、忠義への規範となっていった。
真剣において恐怖に響かぬ心とは、相手の動きを影のごとく感じとり、自らを死の覚悟と利して間合いを制し、太刀をあびせるものだ。
そこには冷静な感知が必要で、無闇やたらに突っ込む勇気では有り得ない。
「掣圏」の掣という字が、制の下に手があるのは「手刀」すなわち、刀で制すという意味からだ。
勿論「圏」は間合いとか、目に見えないプレッシャーの意味である。それらは戦(いくさ)においても、定義化されていった。死ぬ覚悟で戦にのぞむ方が、生きる確率が高いというものである。
ではどのようにして、その響きのない真の勇気は構築されてきたのか。
人間の無意識に眠る魂は、規範の種類とも大いに関係する。それらを遵守する姿勢により、心理学でいうペルソナが生まれるからだ。掣圏が独特の敬礼をするのは、そのためである。
ペルソナとは成り切ってしまう心理である。よく警察官が制服を着ていると勇気が出て、普段ではやれないことも、自然に率先してやってしまうという。
我が国に伝えられた規範は、神道・仏教・儒教・朱子学等の思想に影響された、独特の武士道という、最も自己のペルソナに、強く正しい影響を与える精神である。古来より、それらは魂を基調とし、「魂振り」も「魂鎮め」として、普遍的な構築から生まれる「真の強さ」をもたらした。
私の格闘技は腑抜けを作るためのものであっては、決してならない。
なぜ儀式なのか礼儀なのか、大きな目的を持って造られているものなのである。
虚勢を張るものや、私生活に帰った時に変わってしまうものであってはならない。
ペルソナを無意識化にまでする、真実の武術にしたいのである。
「掣圏真陰流」がただのスポーツ格闘技でなく、これからの日本精神の建て直しをする原動力となるようにしたい。皆さんも真剣に理解していただきたいのです。

もし地球が楽園と化したなら、国や個人が持つ強さはいらないだろう。
「地球市民として自由で平等で平和な世界を創ろう!」 なんていう標語も良いかもしれない。
みんな仲良く尊重し合って暮らしていける地球を。なんてね。
もし現代、こんな事を本気で思っている者は、よっぽど平和ボケしているか、外国のタフさを知らないか、大きな差別を受けた者であろう。これがメディアに出る皆さんの、カメラを前にしたポピュラリズムの発想となっているのだ。しっかりとメディアリテラシーして下さい。
平和ボケに陥った民には現実を見ることができない。メディアに騙され、教育に騙され、連合国に騙され、どこに行けばいいのか、規範を忘れ、金だけに走る腑抜け日本でよいのか。目を覚ませ、日本人!
精神世界から言えば最悪ではないか。
解るよ。解る!理想的な非現実的世界を夢見る体質。
すべては60年前、歴史の湾曲までもして、魂を抜くために、体の良い民主主義と称して行なわれた、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)
メディアは規制を受け、全新聞には十日間連続で連合国からみた、都合の良い「太平洋戦争史」を押しつけられ、現在のテレビにあたるラジオでは、再放送も含め週三度の「真相はかうだ」→「真相箱」→「続真相箱」という、歴史湾曲を国民に植え付ける番組が、一年間放送された。神道・仏教・儒教・朱子学や、すべての宗教を禁止され、武勇を誇る歌うや芝居、武道、相撲も禁止された。
今では世界の歴史学者がその虚実性を認めている「極東軍事裁判」(東京裁判)が行なわれ、罪もない7名が死刑に処され、各地ではBC級戦犯として1161名という優秀なる人材が処刑されたのだ。
そして我が国史上最多の切腹は戦後であった。勿論2133778柱の英霊も然り、日本の行く末を考えると、最も甚大な被害は人材だったのである。
そして公職追放。
あれだけ戦った戦争で、日本に武勇伝が無いのに気付けば誰だって分かることである。

私は都内某所に歴史の研究室を持つことになりました。何か真実の資料がありましたら、皆さんも協力してください。
なぜそこまでやるかって?
タイガーマスクファンなら、私にさわやかなイメージを持たれているのはわかります。コアなファンなら知っていることですが、私の先祖は姫路藩の剣術の師範でした。墓は大阪にあります。
そのルーツは藤原氏の直系なのです。おそらく酒井家に呼ばれ関東から来たのでしょう。
まだビックリするような事もありますが言いません。
中臣氏の初代は「阿麻毘舎卿」(中臣酒人宿祢は氏族名) であり、藤原氏の初代は「中臣鎌足」であって、「天児屋根命(あめのこやねのみこと)十世孫臣狭山命(おみさやまみこと)」の裔 (すえ) です。
「鹿島大宮司家は、臣狭山命の子狭山彦命が家祖」私が鹿島神宮に導かれる所以です。
タイガーマスクの前に、一日本人として三千年の足音を聞く者としての使命があります。
今後残された時間で、タイガーマスクとしての夢はできるだけ努力しますが、その仮面の下の実物は、あのゾロのような者であるのです。なんちゃって、ちょっとカッコつけすぎましたスミマセン。おやすみなさい。
次回 天壌無窮塾
茨城下館市
プリンスホテル高松
10月22日 7:00



2004.09.30
新約武士道「真陰」
天壌無窮塾 塾長 臣狭山 聡
この度、天壌無窮の事務所が東京都心某所に出来ます。歴史の研究館でもあります。事務所の中は歴史の本や資料だらけで、コンピュータにも資料を詰め込んでいます。徹底的な精神の失地回復運動を、強固な意志において遂行するためにも、専用の事務所を持つことにしました。よりパワーアップした新約武士道世界を、創世することを誓います。

まったくでたらめなメディアの歴史観に対し、広く国民の皆さんが真の自立をし、メディアリテラシーできるよう、愚劣なプロデューサーを抹殺いたします。(伊藤博文といえばおわかりでしょう)
我が国はこのような愚者共によって、戦後すぐのアメリカの占領宣伝戦略を助長してきました。信じられないことに今の今もです。
今ではアメリカは同盟国ですから、どうのこうの言うつもりはありませんが、国を売るひん曲がった歴史観は、日本人自らが進めて来たことなのです。対極も解らず平和のみを口にする、ポピュラリズムの人気取りしかない著名人。もしサムライならば、こんなことを許すはずがありません。東京宣伝裁判などから、戦後の日本軍部悪説は、自ら国を売る愚者共によって徹底されました。
平等意識とか言う宣伝に目を眩まされ、自衛隊や警察という職業に罵声を浴びせ、当時、制服でご飯を食べている自衛隊員に「税金泥棒」と言って、石を投げつける者もいたそうです。近年でも「警察は税金で働いているのだから、尊敬するする必要はない」などと、堂々と新聞にまで書いちゃっている愚を通り越した下もいるくらいです。
警察だって人間ですから色々あるでしょう。しかし規範を無くし、自由・平等・博愛に溺れ、国に命をかける人よりも、芸能人やスポーツ選手を尊敬し、最も大事な人々を蔑む民を育てる体質の方が最悪です。
何処に尊敬の価値があるのでしょうか?
スリーSの効果には役立つとは認めます。それは大事なことです。イチロー頑張れー!
ただ知られている方達に合っても、私が何とも思わない態度をするので、「私、有名なんですよ」とまで言われたことがあります。私がちょっと知られているからといって、有名合戦してるのではないですよ。そんな性格では無いです。しかし念がまったく湧かないのです。
何が国家で規範とは何か、もう一度見つめなおしてもらたいと思います。
家族や隣人や村、アジアを守るために、銃弾の中に身を投げ出した人々。
歴史の真実を知ると「志」が生まれ、生きる真実が解るようになるのです。
次回 天壌無窮塾
茨城下館市
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10月22日 7:00



2004.09.18
新約武士道 「真陰」
天壌無窮塾 塾長 臣狭山 聡
武士道に「義」無き「勇」はない。サムライの魂は「義」に響き「恐」に響かず。これを勇という。
「義を見てなさざるは勇無きなり」武士道の有名な言葉だが、反対の意味でもよく用いられた。
「義」の無い「勇」はあってはならない。ということである。
無意識に「魂」が構築されてない、ただの「勇」とは、虚勢を張り威張る姿というところだ。礼儀や規範心がなく、我が者顔に街を闊歩する馬鹿共という所でしょうか。普段、慢心や奢りの態度を醸し出している者は、真の勇者でないことを曝け出しているに過ぎない。
「義」の無い「勇」を出さず、「義」有るとき「勇」を出す「サムライ」の態度は、普段は温和であり優雅であり、知・仁に優れた姿である。
しかしそれだけではなく、正義から生まれる狂気を秘めた者でなくてはならない。
腑抜け社会には解らないだろうなあ。
その心的表裏として「義」ある時、無意識に構築された絶対の「魂」によって、宇宙的に純粋な「勇」が発揮されるのだ。そういう者でないと国家は守れない。
これを平成の愚者共は、「切れる」と「勇」の区別がつかない。
虚構の平和時にしたり、叱られることを知らないお坊っちゃま根性では、ある外国語の発音が、全く聞き取れないものがあるように、自己の脳に構成されておらず、「忍耐」の免疫もなければ「勇」も解らないのだ。カッコだけの浅はかなリベラルを謳い、基本的な一歩を制御された社会は、滅亡の一途を辿るだろう。
責任ある者へ、無責任な反権力なんてカッコをつけ(もう古い)、ポピュラリズムだけで、罵りまくるリベラル・キャスター。結局、占領政策に日本を裏切り続け、キャツらの肩を今だに持ち続けているに過ぎないではないか。堕落するだけの言論である。
ろくに取材もせず、一方的に主観を流す愚マス。
現在変な番組やメディアや、市民グループが多いと思いませんか、有害以外何物でもないものが。おかしいでしょう。税金払ってるんだから、尊敬する必要無しなどと、国家権力に対し敬意をはらわないこと。メディアリテラシーできない民は、一見カッコ良いから、マスコミという媒体に酔い痴れてしまう。結果、国歌国旗に敬意をはらえない、堕落した民と全く同じことだ。
彼らリベラルが武器とする「愛」なんてチャンチャラ可笑しすぎる。「愛」の基本は本能や無意識から醸し出すもので、決して見返りを求めるものではない。
これも「魂」の構築である。
確かに武士道は「愛」のために「勇」を出すことをしない。「愛」と「義」が重なり勇を出すものだ。
人間なら表面上「勇」を出さなくても、愛のために頑張ることはするが、侍は廉恥心ゆえに表にださないだけだ。
「愛義」が「仁」であり、ようするに武士道の「仁愛」である。現代日本のように愛の導きが無意識下に構築されてないくせに、愛を叫んでも真から湧くものはない。
小さな頃からしっかりと愛を無意識化された人々とは、雲泥の差があるのだ。
よって、規範構築の無かった教育の果ては、単なる生活必需品の元「金」だけとなる。
多いよね、この国。「お金が愛」だと言っている者。好きなタイプ「お金持ち」
愛を構築されている民と話したことあるだろうか、世界は全く違うぞ!
本能の愛すらも無くしかけ、金作りロボット化した民。
この者達がうったえるリベラルとは、真から言っているものとは到底思えない。国よりも金のために生きたいから、国を守ることや愛国なんてイヤ、国より権利だ、平等だ、博金だ。
建前のポピュラリズムは、国を弱者へと導く無用のものなのだ。
斯くして規範を無くす民となっていった。

礼儀
自由の定義 義の定義 道の世界

我々の人生を取り巻く世界には、資本主義、共産主義、社会主義、立憲君主制、専制君主制など色々あり、将来においても、さらに新しいものが出来るかもしれない。しかし、どんな世界にも、人が人として社会を組める、規範というものがあり、その基本に本能による愛がある。
対して自由とは規範の無い世界。
人は人を殺すことができるし、その殺した人の肉を食べることもできる。襲って物を取ったり強姦することさえできるのだ。それだけではない。他人に遠慮はいらず、不謹慎な態度やマナーなども自由である。
人間の元はすべて自由である。これを自由主義というものでないことは誰でもわかりそうだが、今の日本、分かってないから異常なのだ。
一神教社会が自由というのは、我々がしたらされている自由の意味とは異なる。小さな時から教会などで、無意識に蓄められた規範という基本を持ち、社会での自由があるのだ。
一方、挨拶とは存在観の承諾儀式である。
形而上のものへの存在観、または形而下のものへの存在観に対し、私という人格はあなたに対し、こう接しますという意思表示なのだ。
まず礼は、自己の人格の目的により異なっていく。普段なら「なごみ」を基本に置いた挨拶であろう。「親しき仲にも」からVIPの目上の人まで、相手との圏によって変わってくる。また時と場所によっても変わるのが、礼儀であるのだ。場の雰囲気を作るあるいは保つもの。
始めも終わりも人間社会の第一歩である。礼儀や態度も然り、規範がないとはそれすらも解らないことなのだ。
武士道は定義化されていない。近代もっともそれが進んだのは明治である。対列強との防衛の威信をかけ、国力を強靱にするためというよりも、欧米列強のごとく肩を並べるよう、明治政府が国民に対し、国家として当たり前の、システムと教育を施し、国際社会の中でもしっかりと自立した体制をとったのである。奴隷制度の無かったそれまでの日本の、国民が一体となって防守にあたる体制が、ようやく作られたのである。
初めて普通の国家になったのだ。
戦後、町人拝金主義だけが占領政策に勧められ、真の国家の体裁をなしていない。
今だにこの導きが抜けない日本国民は、のうのうと腑抜け面して、愚行のシステムを受け入れさせられ、自由をはき違えた生活を謳歌しようとさえしているのが現状だ。
ならば「志」ある者達を造ろう。本物の国家を復活させよう。
本物の国家とは、ありもしない弱みを握られ、脅かされ金を払っているものではない。
自立とは真のサムライが行なうしかないものである。
煩悩に迷った時、常に無に帰し、武士道の義を脳裏にする事。
清廉潔白「志」の大義をまっとうする士。
規範の秩序を守る士であり、導く士であり、知・仁・勇の士である。



2004.09.12
戦後歴史の湾曲は、日本文化の規範までを踏みにじり、自由・平等・博愛を、訪問販売セールスマンに勧められるごとく信じ込み、さらにさらに荒廃し続ける日本!国を守ることをおろそかにし、愛とかリベラル的なことを、すべて正しいと甘んじ、崩壊イズムを生んできた。
今になって「このまま行けばどうなるんだ」と思っている人は多いが、どこに行けばいいのか、何が原因なのか、手探りで一生懸命這いずる、底無し沼に沈み始めた姿をさらしている。宗教心の無い国が世界に習うでもなく、子供の体罰さえ行なってはならないという具行。今の日本のどこに、世界のような規範を教える機関があるというのか。
毎週教会で正義や礼儀をインプットされている民とは、先人の影響が残らなくなって来ている現代日本、その差は歴然と開こうとしている。視野の無い者達が表面のリベラルだけマネをするのではなく、深い彼らの潜在意識を、紐解き自立しなくては滅んでしまう。
よーく考えよう。国とは何か、生きるとは何か。
いつまでもアメリカの保護があると思っている人、めでたいめでたい。アメリカは善良な民の多い世論の国であるが、白人の普遍的無意識の国でもある。アメリカで実態を見てきた頭のスマートな帰国子女達は、何が彼らの建前で、何が彼らの本音であるか解るようになる。実は帰国子女たちに愛国者が多い。パッパラパーでケツ振って喜んでる馬鹿は違うよ。
経済は国際協調無しでは有り得ないのにプラス、国の安全情勢は第一条件である。
何が国の本質かが解るはずである。この本質が欠けている国はどこ?
国としての基本を忘れ、金のみに走らされた戦後。
まだ気骨ある精神が残っている方々がいる時代は、それでも良かったが、規範を忘れ、自由・平等・博愛に走った民の、底無し沼に沈む全体像は見たくもない。形状の大きなビルも都会もマスコミも国家も、精神という日本人だけが沈む込む廃墟の姿。戦後経済は良かったが、精神においては「戦前」を売ることで、アメリカに従順し、ひ弱さを作って来た。意義ある降伏という価値観で、人種差別の壁を引き裂き、国際的に協調できたことは良かったんだよ。
ただひとつ覚えておいてもらいたいことは、アメリカが夢抱いたアジアへのフロンティア進出は、日本によってブチ壊され、敗れても気骨ある日本の先人達が、植民地という最悪な条件をとらせなかったということである。そこにはYP体制へのワンクッション「尊敬」があったのだ。先人の「強さ」がこの国を守ったのである。さらに世界の植民地政策は無くなっていった。あの戦いから、解放運動は高まり、その後どこにも植民地は出来ていない。
自立錯覚の日本。弱いだけなら良いが、宗教観のない弱さは道徳の乱れを作り、勤勉や純粋性までもを失い、今、男女の「らしさ」さえ取ろうという、歴史的な具行を犯そうとしている。
対してタイガーイズムは「真の強さ」をテーマに日本武士道文化を精神的に復活させ、世界情勢を見据えながらも、外国の精神文化ではない、独自の21世紀型精神文化を作り上げるものだ。

まずは戦後敗戦処理において、今の今まで、何がどういう示唆で行なわれ、どうなったかを、精神科医のごとく人々の深く刻み込まれた無意識から、呼び起こさなくてはならない。心に入れられた催眠は、その過程を逆戻しして、無意識の中身を意識上に戻らせることで解けるからである。国民に入れられた、平和ボケし個人主義に走る、この60年間の呪縛はどうしようもないものがある。
大多数の人が「だってもう日本に戦争は起こらないでしょ」などと、子孫のことなど何も考えられない、小さな視野しか持ち合わせていないことで、お分りいただけるだろう。
催眠は無意識が勝手に意識に上げるもので、あなたも、あの人も、近所のあの人も、テレビのあの人も然り。
病原の源、無意識に構築された平和ボケリビドーが、共通して固まっている。これこそ導きがない国の、悲しい末路に没しようとしている姿なのである。
地政学的にいっても日本は決して安全な場所ではない。
「アメリカが守ってくれているから大丈夫。アメリカを大切にしよう」とか、「反アメリカ」などと、真剣に論議しあっているのだから、あきれてしまう。勿論、大切にするべきではあるが、いつまでも守ってくれるという、そんな時代が続くはずがない。
国家として一番重要な懸案を忘れているのではないか。
どうすれば一国の自立した国民精神を、取り戻せるのかを考えるべきではないか。
ズバリはっきり言うが、古今東西、国家とは軍と共にある。
自分たちの国は自分で守るという精神から、正しい規範が生まれ、世の中がしまってくるのだ。
今の時代、軍事政権になってはダメだが、民度のまだ高い我が国は、決してそんなことにはならない。
これを言うと「だって日本は軍国主義だったではないか」などと、戦後押しつけられた占領デマゴギーを、まともに信じる者がいることが問題なのだ。
まだ日本が自立していた時の時代背景を考えると、不当に処刑された戦犯の方々や、我々子孫を守ってくれた先人の奮闘ぶりと、その後の扱われ方には情けなくて涙が出てくる。前野先生の本や、渡部昇一氏の最新歴史書でも読んでくれることを、節に祈るのみ。
ズバリ!国家として自国の軍を持つということこそが常識なのだ。
軍国主義のせいで被害をこうむったから、我が国だけは特別なんだというのは、大きなごまかしと、裏切り行為である。
兵頭氏が言うように、奴隷制度のなかった我が国の町人共が「今度のお殿様はよくやってくれるべかなあ」などと、つぶやいているにすぎない。そんな町人が動かすフニャフニャ・イズムは、小泉さんがいくら頑張っても、キャタピラの無い戦車みたいなものだ。
戦後不当にも憲法まで押しつけられ「平和憲法なんだ」と迎合し、民族三千年の責任回避を犯し、感動さえしている姿。今いきなり第9条を変えろと言っても、誰も覚悟ができていない民族。
恥ずかしいかぎりである。
まずは戦前の意義を知り、真実とは何だったかを広く知ることから始めるしかない。

まずは国民の意識が自立し、必要に迫る軍隊を持ち、自分のことのように事が実感としてせまり、責任ある真の自立が始まるのであるのだ。これが世界の常識であり、先人たちの強固な防衛が、今の特別な期間を作ってきたのである。もう甘えは通用しない。これからが日本の正念場である。
「自分の国に何かあったら、自分の血を流してまで守るか?」とのアンケートに、世界の殆どの国の平均が約80パーセントに対し、日本だけが10パーセント台。
ジェンダーフリー問題はさらに悲惨である。1960年代にアメリカで始まったジェンダー運動は、男女同権を訴えるもので、それ自体はすばらしい。
ところが95年からマネしだした、この導きのない国の、愚劣な具行ぶりには開いた口がふさがらない。
いつのまにか「男らしさ女らしさというのを辞めよう」というものにしてしまったのだ。
人間の生理学を無視し、エストロゲン、アンドロゲンの分泌をも制御してしまった。
学芸会で「浦島太郎」を逆で演じさせる。「お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に」を、「お爺さんは川に洗濯に、お婆さんは山に芝刈りに」と。
あるいは体育の着替えで、男女同じ部屋で着替えさせたり。
「らしい」を考えるから、プレッシャーを生むんだとか言い、男が「家族を食わして行かなくてはならない」と考えるからプレッシャーを背負うという結論。はたしてカマ野郎と傲慢女が蔓延し、人類が築いてきた規範をも、この国でぶち破ってくれた。宗教がないとは恐いことである。
はたして世界「らしく」アンケートは語る。
「男は男らしく」
中国81.1%
米国63.5%
韓国54.09%
日本43.4%

「女は女らしく」
中国71.6%
米国58.0%
韓国47.7%
日本28.4%

末期症状である。もう騙されてはならない。
私が言う武士道とは剣術のことではない。武士道という「道」の意義である。「武士道」とは、命の契りを交わし、国(当時は藩や家)を守り発展させるための「道」を極めるものだ。そこには国を荒廃させない、規範の伝導と真の強者たる侍としての「道」がある。
一方、剣術や柔術や弓術などの武術は字の如く、上記の「道」を極めるための術である。逆に言えば術を通して道を極めるもので、国を荒廃させない規範構築法こそが武士の道なのだ。
新約武士道「真陰」とは、そのためにある重い意味の名前である。



2004.09.03
「真陰」武士道
現代に蘇生させる武士道とは制度のことではない。21世紀の時代、真の復活をする武士道が、剣術というものが主ではあり得ない。武士道とは魂のことであり、武術はそれらを高めるための術である。精神性を高めるのに武術は礼儀とともに存在し、魂の響きを鎮める構築法のひとつであるべき体得のものだ。
勿論伝統の剣術も良い。しかし弓術であれば、現代であるから射撃でもかまわない。
武士道とは命の契りを交わして国(当時は藩や家)を守り、規範を導いて来た「もののふ」の精神的な大義である。そのための術を研くことは「志」であり、「真陰」はその精神的な規範と強さを蘇らせるものだ。現代武士道の現代武士道たる強さと規範を構築するために、組織化された精神道である。
デモクラシーで自由平等博愛の時代。
旧来の封建的な侍制度を復活させるものでもあり得ない。
占領政策に侵され、自ら自由平等博愛の奴隷に、しかも腑抜けた人格破壊を組み込んでしまった日本人に、せめて欧米文化人くらいの、誇りと強さを取り戻すことが第一である。
なぜなら真の強さは規範であり、正義であるからだ。正義を嫌う風潮こそ、荒廃の第一歩である。もういいんだよ。正義を口にしても。
全ての差別をなくし、みな平等にという考えの必要以上の押しつけは、能力ある者を断罪する制度であり、悪平等は「身の程知らず」即ち「礼儀知らず」を生み出すだけであって、ある民族が日本という民を、蹴落とすために奨めた策略でしかない。と言ったら大げさすぎだと思う?
我々は自分自身が強くある国民にならなくてはならない。
少なくともこの国の真の歴史や、宗教という規範をも忘れ、自由・平等・博愛を必要以上に信じ込み、自ら墓穴を掘っている日本人の多いこと。デモクラシーに遅れた国は全てこの壁を通るとお思いだろうが、これほど行き過ぎた民族はいない。
だいいち日本は、民主主義に遅れてはいなかったというのが真実だ。
規範が薄くなってしまい導きが解らず。誰かが用意したマニュアルをガリ勉よろしく、実戦に移してしまいフリーズする体質。
その他、この国はウイルスが多すぎる。このウイルス退治は愛国心というソフトしかない。
竹島問題、尖閣諸島問題、歴史の見直し問題、諸外国からの裏工作に、徹底的に弱く、それらから守ることすら出来ない体質。絶対に、日本に超法規的な組織、CIAのようなものが必要である。破防法よりも遠慮のない、超法規的FBIのような警察力もほしい。そしてそれらを応援する、愛国的なマスコミも必要である。
誰が守るんだ。市民グループと見せ掛けた超法規的な団体からの攻撃を。
アメリカの笑い話がある。
「愛国心の無いCIAエージェント」
これでアメリカ人は多いに笑う。他の国でも同様であろう。世界のような陰組織無くして真の独立はあり得ない。またサムライなくして、その組織が成立するわけがない。
自由平等博愛は大切なワードである。しかし欧米の彼らには宗教という規範の核があって、それらを唱えている。 自由・平等・博愛とは規範の核があってこそ、成り立つジャンルの主義なのである。
規範無き自由・平等・博愛は、放縦・無礼・偏愛に堕するのみ。
規範を知らないナマズが、自由だ!平等だ!博愛だ!とやったらどうなると思う。どこでも電気出しちゃうぜ。そんな川には入れない。
戦後押しつけられなくとも、我が国にはちゃんとしたデモクラシーがあった。日本軍部がめちゃくちゃにしたという、戦後定説が覆された以上、このデモクラシーも考え直さなくてはならない。
大正時代に表れた民主主義は世界と比較しても、大変進んだものだった。
戦争の影からそれらが暗くなって行くが、あの時代がどういう状況の時代か?
根源を問いたださず、悲惨だったと繰り返す愚者マス。
イコライフスクではパルチザンによって石田領事家族以下700名が惨殺され、各地の居留地ではアメリカ、ロシアに誘導された国民党と共産軍が合体し各地で日本人が襲われ惨殺された。
ただでさえ日本国内が貧窮していた時代、資源確保の先人となって満州開拓に向かった先人達は、五族共和の夢を追い掛け、開拓の戦いをしていた。
日本は国際情勢を見据えてトラブルを嫌い、軍を出動させなかった。現地の日本人は関東軍に対し「腰の軍等は竹光なのか」と泣いていたという。そこへ救世主のごとく表れたのが、石原関東軍であった。勇気と決断力の賜物である。そんなことが出来るのも、正式な国が成り立っていたからである。
CIAもFBIも軍隊も持たない国が、ある超法規的グループから市民団体のふりして、押し掛けられたら、マスコミなんかは何も解らずすぐギブアップだ。
そして世論が動く。

だったらその前に満州や朝鮮に入るなって?
はい。もう歴史は史実として覆っております。「新歴史の真実」や「親日派のための弁明」等をお読みください。他にも沢山ありますよ。証拠が沢山残っていて良かったです。あの731細菌部隊に扱われている写真も、斎南事件で惨殺された日本人の遺体であったとは・・・。
そんな議論は、このHP読者には解りすぎるくらい解ってますね。ここでは省きますよ。

石原知事が言った三国人とは、終戦後のことを差す。戦いに破れた日本は、多いに傷ついていた。その時できたのが三国人と呼ばれた人々である。
つまり、戦前日本の統治下にあった国は戦後、戦勝国でも敗戦国でもないという意味で、第三国と定義され、その国の人たちは「第三国人」と呼ばれた。その人々は例の戦後ストーリーで、日本が強制連行してきたことになっているが、現在証拠が出揃い、ほとんどの者がそうでなかったことが解明されて来ている。
その中には終戦を境に、自分たちを「戦勝国民である」と勝手に位置づけ、戦後の混乱に乗じて日本人を相手に横暴に振る舞う者達が現れた。そしてその非道ぶりには警察ですら手に負えず、無法状態に等しかった。おまけに戦勝国民は治外法権だったのである。
強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、経済犯、實力(実力)犯を中心にあらゆる悪事を重ねていたという。銀座、浅草、新宿、新橋、澁谷は支配され、政府も警察も動揺し、手をこまねいていた。勿論地方都市にしても然りである。これに立ち向かったのは連合国のMPであるが、中でもアメリカのMPが一番強かったという。
警察力はないに等しい時代、各国のMPも手に負えず、アメリカのMPが来たとき彼らは退散し、まわりで見ていた日本人は拍手していたという。そこへ例のウォーギルト作戦である。当時の人が何でも信用してしまうのはしょうがない。
一方、三国人といっても、全て人がそうであったわけではないことを、明記しておかなくてはならない。連合国の中でも「中華民国台湾青年隊」等は、日本が自分たちの国だと思っていたから、苦々しく思っても、どうしようもなかったという。日本人以上に日本のことを思って、亜細亜防守のために、いっしょに戦ってくれた彼らに、感謝しようではありませんか。

台湾"高砂義勇兵#英霊慰霊碑を保存するための義援金募集
http://www.sankei.co.jp/event/より
大東亜戦争において「日本兵」として出征した台湾先住民出身者から成る義勇兵の戦没者を祭る「高砂義勇兵英霊慰霊碑」が、敷地売却に伴う撤去によりその存続が危ぶまれています。
台北郊外の烏来(ウライ)にあるこの慰霊碑の敷地を提供していた観光会社が、昨年の新型肺炎流行による日本人観光客の減少で倒産し、土地の売却を余儀なくされたためです。
日本の正規軍とともに戦い、その半数が戦死したとされ、例え生還しても、戦後は日本国籍を失い、恩給や補償も十分受けることもできず、人々から忘れ去られてしまった義勇兵。
しかし彼等の記憶を永遠に留め、「高砂義勇兵英霊慰霊碑」を守ることこそが、日本と台湾の人々の深い心の絆を確かめ合うことになります。
高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会では、「高砂義勇兵英霊慰霊碑」を守るべく、同碑の保存費用の捻出のため、皆様のご寄付を募ることと致しました。皆様のご支援をお願い申し上げます。
【募集要項】
ご協力費 一口1000円 (お一人さま何口でも可)
締切日 平成16年9月30日(木)
お申し込み方法 郵便振替口座 00100−2−463465
口座名「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会#(タカサゴギユウヘイエイレイイレイヒヲマモルカイ)
銀行口座 みずほ銀行 東京中央支店 110−(普) 5662608
口座名「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会」
問い合わせ先 「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会」事務局 03−3275−8906
メール:t-jigyo@sankei-net.co.jp

※高砂義勇兵については、「高砂義勇伝 異国で眠る皇国の戦士」(http://www.takashago.com/) を参照のこと。

同国だと思い一緒に戦い、戦後保障の名目状の何も請求せず眠る彼ら。我が国が何もしてあげられない以上、民間でやるしかないですね。インドネシアのように「日本から戦後保障なんか受け取れません、これは独立した御祝儀として受け取らせてもらいます」と言われるのも嬉しいが、彼ら高砂義勇兵は日本国で守ることすらできない。



2004.08.30
”武士道とは死ぬことと見つけたり”
かの「葉隠」武士道が残した有名な言葉である。
命の価値の薄い時代、というより、命の信用度が必要であった時代、藩や主君への、潔白なる義の証のために、厳しい規範制度が用いられ、崇高なる儀式として、サムライという特権階級だけが許された「切腹」があった。
「切腹」とは武士道への潔白をかけた「名誉」の証であり、「腹に (やましさは) 何も無い」事を実際に腹を切って示すのである。
一方強さとは、無意識に構築された「義」の魂から生まれる響きと、それに対して弱くブレる響きを鎮め、同調する「静」なるものである。
弱さの響きにおいて最も大きなもののひとつが、自己の死への直面だ。
「義」のために最もブレる「死」を鍛練し、名誉とまでして「魂」を造ったのがサムライである。死を克服しようといういう心理は、生きることにおいてブレを無くしていく。しかしサムライが命をかけているから、強く勝てるという直接的なものではない。サムライとしての英知を輝かせ、知行合一された責務を全うできる「魂」を持った者が「強い」というのだ。
「義」なくして、ただ怒りにまかせて死ぬことは、匹夫の勇として、武士道では軽蔑された。
「義」のために、腹を切る覚悟が無意識にまで到達している者たちの心は、強いものになる。
武士道ではむやみに腹を切ることを固く禁じた。
怒りや名誉だけで、腹を切る者に真の「強さ」はないからだ。
いずれこの崇高なる行いは「強さ」に関係はするが、勝敗とは別のものである。勝敗は付随された真の精神力の方であり、死が関係しているかと言えば、不偏的には関与するが、術としては関係ない。
確かに義のためなら死ねる、ということは一生に一度は皆さんも経験があるかもしれない。
この時の勝負は強いだろうが、勝つこととは別ものである。
一頃スポーツの世界で流行った「自分のためにやりまーす」とか「科学トレーニングで根性なんていりません」とかいう、プレッシャーから逃げる方法は、愚の骨頂であったことは歴史が証明している。
武士道とはプレッシャーに打ち勝つのではなく、何があっても響きもしない精神のことなのだ。

「切腹」がなぜ腹なのかという事は、昔から腹が魂の宿る所とされており、「腹が座る」とか「肝を冷やした」とか、腹にまつわる語源が数々あることで分かる。勝負ごとをしたり、極度の緊張をする時に、自律神経によって内臓がある種の反応を起こす。心臓が鼓動をうったり、胃や秘蔵が痛くなったり、鳥肌なんか立ってたりすると、サムライとして笑われた。
現代医学でいうと、五感を伝えるニューロン(神経細胞)が、脳波からホルモン物質を出させ、自律神経に影響させる症状なのだが、当時の人の考えは、その症状こそが、弱さの証拠となったのは当然である。
びびると症状が出るのであるから、サムライとしては、そのこと自体を「恥」としたのである。
ならばその腹切って「死をもいとわぬ姿をお見せしんぜよう」ということになり、「潔白なる義の証を、身をもって御覧にいれよう」という趣旨になるのだ。
果たして武士の習いである切腹は、精神に何を及ぼすのか、
新選組によってサムライになれた者は「これで切腹ができる」と喜んだという。
無意識内に死を儀式として構築されたことにより、サムライになれ、潔白たる精神で国を導く覚悟が存在したことを、裏付ける名誉のものとなるのだ。また逆に言えば主君に対し、絶対的な忠誠を誓えという制度でもある。
しかしサムライとして死してまでの誇りとは、勝つことではなく、武士道を全うすることにあるのだ。死ぬとは生きたいという表裏的な心理が働き、その生の世界では、強くあろうという無意識が生まれるのである。

「葉隠」によれば、あの忠臣倉も武士的な行為ではないという。大石をはじめ四十七士は、なぜ吉良を討った後、すぐに切腹しなかったかと言っている。当時の人にとって切腹は美徳であり、腹を切って死ぬことは、自己の無意識に肯定されている。そのため反対に美徳が先行し、責任を果すことなく、むやみに死ぬことを禁じていた。
それにしても「葉隠」は、なぜすぐに腹を切らなかったのかと評価するのか。美徳とまでなった切腹は、魂に何を影響させるのか。
よく平和ボケした愚者愚者どもが史実も知らず、旧日本軍はサムライではなかったと称すが、実は日本の歴史の中で、戦後が一番切腹が多い。
自殺では無い。潔白なる義の証のための自決である。
自殺とは弱さの証であるが、自決は義の証なのだ。
硫黄島で自決した浅田少佐の「日本武士道を習う者として」と残した遺書。
沖縄で自決した太田中将の「沖縄県民に万世一生の御報償を」と残した遺書。
特攻隊や各地で玉砕された方々の遺書。
戦後に責任を取って自決された方々の遺書。
どれをとっても日本武士道と何ら変わらない。
狭山は切腹を肯定するのか?、命は精神と関係あるのか?と聞きたいところでしょう。
新約武士道はこの現代、自決を勧めることはできない。先人の崇高なる精神を「魂」に刻むことで充分である。武士道から自決を取ると武士道でなくなる?今の時代そんなことを言う人はいないかもしれない。
しかし新約で蘇生するにあたり、この自決という術を鎮魂させ、より多くの武士道精神を「強さ」として、構築することは可能である。先人の魂を我が普遍的無意識に刻み込み、進化としての武士道を念頭に「魂」を作るのである。
ここで「死ぬことよりも、生きることの方がつらいんだ」などと、愚者どもの説法を言うつもりは全く無い。サムライの自決は、悩んでの自殺、あるは怒りにまかせたり、名誉欲からの自決ではない。自決のない武士道が腑抜けと言われるのか、より優れたものへの進化なのかは、新約の構築法にある。
日本武士道よどこへ行く!
武士道は決してラストではない!
もし心ある外国の人が、日本で武士道が真に蘇生し、封建制や「切腹」制度ではなく、先人の意志を「魂」に刻み、普遍的無意識の中に、歴史観を含む武侠の士志を「義」をもって復活させると聞いたら「やるな」と思うだろう。そしてその士志達が、礼儀正しく正義感に優れ、愛国者であったなら、真に尊敬され、愚低外国人には恐れられるだろう。

”武士道とは死ぬことと見つけたり”
この真の意味は、死ぬ覚悟で向かっていけば死なない。という意味である。
死を覚悟すれば既に死を恐れ「魂を響かせる」事が無い、という逆説的な意味である。



2004.08.24
9月17日の試合は中止いたしました。
現在10月2日の試合のため、藤原道場とボディービルの遠藤ジムに通って、ベストを尽くしております。
前回の試合では、足の指を8針も縫う怪我をしていましたが、どうも昨年の試合以来、胆嚢炎になったりして、自分の体ではない違和感があります。
この際、遠藤会長にお願いして、初心に戻り秋の試合に備えたいと思います。
10月にビッグな試合の計画をしています。もちろん「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る」チャリティーも行ないます。
私の体調は昨年よりもベストになると思って良いです。
この前みたいな偶発的な事故が無いかぎりですが・・・。
とにかくベストベストベストです。
「高砂義勇兵」の恩のために。



2004.08.24
オリンピックの活躍最高だね。
しかし、また左翼マスコミの左翼スポーツ文化人が、精神論でなく、科学トレーニングを採用したから、今回良くなったなんてことを言っている。
そんなこと前から言えと言いたい。そして、それを信望して来てたからダメだったんだろ!って。
今の選手たちの努力を、あまりにも馬鹿にしている発言である。そんなこと言って若者が信用すると、また停滞する要因を作ってしまう。まるで現代日本の社会と正比例している。
彼達に言いたいのは、精神論も科学的に立証され、意志波とリラックス波が一体化され、集中が最高潮になることが解明されて来た今、昔の精神論が見直されて来たのが現実だということである。
意志のチロトロピン、不安のCCK4、怒りのテストステロン等のホルモン物質を効果的に出させて、集中ホルモンであるプロオビオコチルチンを生み出せるのだ。
オリンピックを見るとおもしろい。活躍する選手、活躍出来なかった選手、試合前の顔つきですべて解るからだ。
緊張してるな。重圧を受けているな。闘志が煩悩あるいは、プレッシャーに負けてるな。不動心を過信しすぎてるな。闘志が集中され煩悩を背負ってないな。等が、一目で解るものなのだ。
大試合とは見えないプレッシャーが自身を包む。いつもの試合の覚悟では、おぼつかないものである。それらを克服するには、真陰流的に言えば、プレッシャーを顔に出しただけで恥を認識する、免疫意識を持つことだ。
単にプレッシャーに立ち向い、勝った負けたではなく、リラックスがそれらに勝つ波形を免疫することにより、強さは生まれていく。これは普段の生活から言えることなのである。コーチの方々が、ここまで理論的かは別にしても、このままの科学トレーニングではいけないと、何かをつかんでいるはずである。
男子レスリング代表は靖国神社に参拝したそうだ。女子競泳代表の合言葉は「アテネの空に日の丸を掲げよう」であったそうだ。文化人と称す人々の、世の中平和調式愚科学理論にはへきへきする。
スポーツは若者に直接影響させる。世の中を堕落させ続けてきた危険な発言である。しかし多かれ少なかれ名コーチ達は分かっている。愚者がしゃべって世の中がそうなろうと、自分たちの範囲はそれを許さないと。
科学的な精神論こそ、真陰流武士道の姿なのである。
礼儀、礼節、廉恥心、人々はその裏に隠された、大きな精神の作用を見逃している。免疫を無くし、事なかれ主義を遺伝子に組み込ませてきた、現代日本に将来はあると思いますか?
スカイパーフェクTV!で8月15日に開局した「日本文化チャンネル桜」は多いに期待できる。
真の歴史を知り、文化を脳裏に取り戻すことは、自身の導きを造り、真の強さを構築する要因になるからである。真の強さとは、無意識内に構築された魂である。
魂が正義に響き、プレッシャーに響かなくなる強さこそ真の強さなのだ。
腑抜け感覚の日本人は、覚悟をしなくてはならない時代に入る。
これも英霊を裏切り、今の平和が英霊の犠牲によってあることを、認識しなかった報いだと戒める次期が必ず来る。
世界標準になることさえ恐れる者達がそうである。
国というものが何かを考え、国防が何かを考え、強さとは何かを知った時、道徳や礼儀が何かを、広く見渡せるようになるであろう。



2004.08.22
台湾「高砂義勇兵」英霊慰霊碑を保存するための義援金募集
http://www.sankei.co.jp/event/より
太平洋戦争において「日本兵」として出征した台湾先住民出身者から成る義勇兵の戦没者を祭る「高砂義勇兵英霊慰霊碑」が敷地売却に伴う撤去により、その存続が危ぶまれています。
台北郊外の烏来(ウライ)にあるこの慰霊碑の敷地を提供していた観光会社が、昨年の新型肺炎流行による日本人観光客の減少で倒産し、土地の売却を余儀なくされたためです。
日本の正規軍とともに戦い、その半数が戦死したとされ、例え生還しても、戦後は日本国籍を失い、恩給や補償も十分受けることもできず、人々から忘れ去られてしまった義勇兵。
しかし彼等の記憶を永遠に留め、「高砂義勇兵英霊慰霊碑」を守ることこそが、日本と台湾の人々の深い心の絆を確かめ合うことになります。
高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会では、「高砂義勇兵英霊慰霊碑」を守るべく、同碑の保存費用の捻出のため、皆様のご寄付を募ることと致しました。皆様のご支援をお願い申し上げます。
【募集要項】
ご協力費 一口1000円 (お一人さま何口でも可)
締切日 平成16年9月30日(木)
お申し込み方法 郵便振替口座 00100−2−463465
口座名「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会#(タカサゴギユウヘイエイレイイレイヒヲマモルカイ)
銀行口座 みずほ銀行 東京中央支店 110−(普) 5662608
口座名「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会」
問い合わせ先 「高砂義勇兵英霊慰霊碑を守る会」事務局 03−3275−8906
メール:t-jigyo@sankei-net.co.jp

※高砂義勇兵については、「高砂義勇伝 異国で眠る皇国の戦士」(http://www.takashago.com/) を参照のこと。
※※この運動は巨大掲示板2chの有志諸兄が発起人となった。



2004.08.21
新約武士道
掣圏真陰流
魂は響きが起こる。
これを古代では「魂振り」と読んでいた。
現代医学で解く心の流れとは、五感で伝えられた脳細胞が反応し、各脳内物質によって感情を起こす。その種類は160種にも及び、どう反応するかは、各自に貯えられた無意識の構築(本能も含む)によって、各々変わってくる。
サムライはこの構築、即ち「魂」によって何事にも響かない強さを持つ者なのだ。
響きは自律神経に伝えてしまう。それは交感神経と副交感神経とのバランスによって保たれており、自己ではコントロールできない神経なのである。
ある考えにより危険や重圧を感じた脳は、電気反応を起こし、脳内物質を活発化させ脳に信号を送り込み、さらに波動を起こす。これは脳波と呼ばれるもので、デルタ、シータ、アルファ、ベータ、ガンマと各波形がある。高い波形は物事を決める「勇」の邪魔ものとして、ストレスを出す物質が交感神経へと運ばれ、神経のバランスを崩す。手に汗をかいたり、心臓の鼓動が早くなったり、表情が曇ったりして、自分ではコントロール出来ない神経となるのである。邪念や不安から始まり、恐怖となって、最後に脳はパニックを起こす。
掣圏真陰流では、これを響きという。古代でいう弱い方の「魂振り」のことである。強い方とは、強すぎると言っても良いが、怒りの興奮である。ともあれ真の強さを求める場合、両者は鎮めなければならない。
上がってしまった交感神経は、下げるのではなく、副交感神経を上げ、交感神経とバランスを取ることにより、煩悩から解き放たれる。興奮は脳の制御によって冷静化する。
これが古代で言うところの「魂鎮め」であり。
武士道が求めた「静かな強さ」なのである。強い意志(チロトロピン)が存在し「魂振り」と「魂鎮め」によって得られた行動は、最も最適な「勇」を生む。
武士道とはそういうものだ。
「魂振り」「魂鎮め」を行なうのも、強い意志「大義」あってのものである。
無論、武士道にとって大義とは魂の「核」である。
信・忠・義・勇・節・智・仁の構築こそが、核を中心にした「魂」を育て、真のサムライとなるのだ。

「陰」とは、室町後期、愛洲移香齋が宮崎の洞窟で創始した剣術の流儀であり、いつからか新影流となって、柳生新影流に伝わっていく。
掣圏真陰流の「陰」とは、壺の蓋の意である「今」と、雲気を意とする「云」によって構成され、雲気とは「魂振り」「魂鎮め」を司る「魂」の意味なのだ。
また掣圏真陰流は「魂」の波動を、各波名で表している。
我々が通常の状態を「常波」、少しでも心が退く状態を「退波」、追い込まれて行く状態を「窮波」、最後にパニックになる状態を「乱波」
反対に「常波」から冷静に動く方の最初の波形が「不動波」、戦いの最中などに無我になる「無波」、戦闘時に無波を越え乗って行く「乗波」
そして、あらゆる物がとまって見えたり、最高の動きとなるものが存在するが、ここでその秘伝を公開するわけにはいかない。私は必ずやりとげるであろう。あと少しでもう何かが見えている。洞窟でも入ろうかと思っている。
真陰流の精神構築は、日本のために、そら恐ろしいくらいの、武士道の蘇生をさせるだろう。
来たれ若者よ!真の日本を知り強くなってくれ。
日本のDNAを真剣に蘇らせようとしている男より。



2004.08.20
新約武士道
掣圏真陰流 狭山掣圏
古来より我が国に伝えられて来た「魂」とは、現代でいうところの、精神の「情熱」(魂振り)と「冷静」(魂鎮め)というところである。もちろん、その興奮と冷静をひき起こすには、それなりの組み込みが必要であり、深く刻み込まれた組み込みこそが「魂」なのである。
強さのために組み込んだ「魂」は、その証として、勇となり、徳となり、仁となって表に出る。
サムライの真の強さとは、秘めたる魂を普段表に出さないことで造られている。
何を意味するかというと、戦時の重圧の姿に打ち勝つ、冷静から始まる精神状態の事である。
古来から伝えられてきた「静なる強さ」というのは、心を重圧から鎮め、自分の魂の力で打ち勝つ「克己」をいうのである。それを戦時で通用させるためには、冷静なる心「不動心」を普段から魂に宿らせなくてはならない。
我が国に伝わる「自分に勝て」という言葉は、自分に勝つために魂を鍛えろというものなのだ。
正義は奮起させてくれる。悪は退いてしまう。しかしこの心の奥底の基準が「悪」を認定しなければ退くこともないが、正義の基準も低くなり奮起も起こりにくい。正と悪に鈍感な者の「魂」なんて、強くあろうはずもない。勇も徳も仁も表に出ないのである。
道徳の無い者の心の弱い姿なのだ。
物部氏が伝えた「魂振り」「魂鎮め」の儀式は、氏の大儀「魂」が武人の心としていた証である。
やがて仏教が伝来し、人々は死へのやすらぎを求めた。しかしサムライの死とは、床の上のことではなく、戦場あるいは義のためのものであった。死をも恐れず戦う姿とは、無頼者のイメージから、やがて何事にも響かない、不動心を持った、真の魂を持つ者の姿になっていく。神道思想は先祖を敬い、道徳的にも、勇気的にも先祖に恥をかかすことはできない、あるいは子孫に恥じる事は出来ないという、我が国独特の信仰を持ち、静なる仏教思想と同化していった。
日本人がよく批判される「恥」の心である。
積極的でないと言われる我々の姿は、真の強さを形成させた、静なる「魂」の行動なのだ。
それは「徳」の一つ「廉恥心」から出るものである。
謙虚は弱い者の姿ではない。真に強いものの「徳」の姿なのだ。
最近の日本人は謙虚を解らず、強がりで態度を表す馬鹿が多い。弱いくせに自己主張しようとする。愚者は謙虚に対しての応答すら解らず、ひれ伏しているととらえる。こちらが謙譲の心を起こさしめ、詫びれば、たちまち「謝罪と賠償を(以下略)」となるが如くである。
宗教心も無く、道徳心もなく、反体制だ。なんていって育てられたからであろう。
謙虚さとは強さの証であり、その物腰にこそ強さ弱さが見てとれるものなのだ。
それが解らず威張ってしまう者こそが、愚者の烙印を押された者なのである。
武士道とは互いに謙虚であるはずである。それが読めない愚者には鉄槌がくだされなくてはならない。まさしく「空気の読めない」者には「空気」を知らしめねばなるまい。



2004.08.19
本年度のテレビ番組ベスト1が決まりました。7月28日にNHKが放映した「その時歴史は動いた・日米開戦を決めた7日間〜新資料が明かす運命の外交戦・ハルノート他」です。
史実がどんどん証明されて来ますね。
即時開戦を望んでいなかったアメリカ、ABCD包囲陣からの条件をのみ、撤退を決めていた日本。平和の条約が内定していた双方。
そんな中、執拗に開戦を迫る蒋介石側の、あまりのしつこさに怒るハル長官。
そのことなどを日本側も無線を傍受して、アメリカを信用しきっていたこと。
しかし「イギリスはあと一週間しかもたない」と、アメリカに開戦を迫ったチャーチル。
と同時に決定的なのが、東シナ海の日本のいつもの輸送船団を、アメリカ側が間違えて、大船団が南進中と誤報し、ルーズベルトが「日本は信用できない」と怒ったこととある。
番組はここまでだが、誰が誤報を流したのか、あるいはわざとそういうことにしたのか、ここのところが将来明かされていくだろう。
いずれ大陸での日支事変から、援蒋ルート壊滅のために仏印に入った日本に対して、敷かれた石油の遮断。
実は日本との条約もほぼ決まり、アメリカは一年くらい先の開戦を考えていた。
当時、東条首相が平和交渉をやっていたのは事実だったのだ。
開戦を考慮する交渉を内定した、9月6日の御前会議から、10月に入り天皇が、やはり平和交渉をせよと東条首相に命じていたが、ある時期からアメリカからの交渉が一向に来ず、いきなりハルノートを突き付けられたと、史実では教えられていたが、今回、NHKによって、この期間の内容が明らかにされたのである。
そして条約の内定を破ったのはアメリカということになる。
史実として伝えられていたことが、本当だったと証明された。
え、いったい誰が日本は戦争をしたくて、東条首相が出て来たと言ってたの?
石油がほしくて、南進したなんて言い出したのかな?
そしてやはり、あのハルノートが戦線布告であったことが、証明されたのですよ。みなさん。

17日は盛大に行なわれ、大変ありがとうございました。
武士道のことを沢山話そうと思ったのですが、会場内はギャルが多く、史実を見つめ、しっかりとしなくてはならないよという話が、メインになってしまいました。
それにしてもチェアーウォーカー情報誌「WaWaWa」の実力にはびっくりです。
もっとびっくりなのは、会場内のギャル達が真剣に聞いてくれていたことで、さらにびっくりなのが「WaWaWa」の編集部に、会場に来ていた子達から、また私の話を聞きたいとメールが殺到したということです。
あのラモス氏とも話しましたが、氏の器、ただものではありません。
ああいう人が次期、日本の監督になれば、外国から武士道を覚まさせられることになって、強くなるんじゃないでしょうか。

10月2日が次の試合だと思っていたら、9月中頃にもうひとつ決まりそうです。
秋に武士道復活の祭典を行なう予定だから、戒めて練習いたします。



2004.08.14
サムライとは自己の規範の中核に義を置き、何事にも響かない、静なる強さを持つ者である。
サムライが「もののふ」と呼ばれるのは、武力の物部氏からのもので、やがて貴族の「さぶらふ」者から「さぶらひ」即ち「さむらい」に転訛したのである。
物部氏の「もの」は魂を表すもので、古来から日本の象徴であった。物部氏は「魂(たま)振り」「魂(たま)鎮め」の儀式をとりおこない、陽の「魂振り」で魂を奮い立たせ、陰の「魂鎮め」によって、その荒ぶる魂を慰撫する儀式を行なっていたのだ。その子孫、中臣鎌足、即ち藤原鎌足と、武道の神様、鹿島神宮の鹿島大宮司家は、鎌足の子が家祖である。

武士道とは、国を守るために命を賭す契をかわした大義である。
剣術、槍術、柔術、弓術、馬術などは、術をもって、この「道」を極める手段のものに過ぎない。
そこに愛国心、礼儀、礼節、思想なくして何があるのか。
ある時期から武道は、礼儀礼節だけを重んじるものと変わり、思想がなくされてしまった。思想とは人間の核を生むことである。なぜなら一神教ではない我が国の精神核は「義」であり、それは自己の信じる思想によってのみ、構築できるものであるのだ。
他から導かれる姿ではなく、自分に打ち勝つ「克己」を生む体質となっていくのである。
思想は普遍的無意識を作り、普遍的無意識は歴史から多く構築されるものである。
歴史を語れない武士道はあり得ない。そして安易に「道」という言葉も使ってはならない。(一般の方々が使う道ではない)
先人が大義の道を志して進んだ道を、我々が安易に汚してはならないのである。歴史を背負うとはそういうものだ。特に精神を殺されてからの復活となると、その要因となる、近代史の真実を見つめることは大変重要である。
外圧に押され、明治までは武士道があったが、昭和に入っての軍部の姿は武士道ではないなどとは、史実を殺された人間しか言えない言葉である。昭和の武人達も、偉大すぎるくらい偉大であった。大東亜をかけ、あれだけ戦い、ひとつも武勇伝が無いほうが、おかしいと思わないのだろうか。ただ生かされているだけの、真の「道」大義を背負わない人間を「腑抜け」あるいは「平和ボケ」という。
ただそれだけなら良いが、目的も持たず規範の何かも分からず、街の空気を汚している者どもよ、先人の意志を継ぎ現代に蘇るサムライが、貴様たちを抹殺し、少年少女合唱団のようにしてやる。

世は帝国時代、列強の進出にズタズタにされた中国は、朝鮮の独立権をめぐって、明治27年から日本と争い敗れた。この時、清国とロシアの間で、もし日露間で開戦があった時には、ロシアに味方するという密約があったのだ。
明治33年、中国で義和団事件が起こり、北京で各国の公使館が乗っ取られ、国際連盟が動き、日本や米国を含む八ヶ国が鎮圧に向かう。日本はそこで優秀なる任務を果たしたのである。
各国が撤退した後も、ロシアだけは居座り、やがて満州を制圧し、中国を半植民地化した。危機感を抱いたイギリスは、朝鮮の一部を占領し、ロシア南下を阻止しようとした。
あの時代、もしロシアをくい止めなければ、朝鮮、満州、中国までもがロシアの支配地となり、やがて日本も列強の手に落ちることを意味していた。明治32年にイギリスは日本と同盟を組み、その占領期間を2年で終了させ、後は日本に朝鮮を守らせた。
かくして明治37年ロシアは朝鮮に南下し、日露戦争が始まる。
無論イギリスは日本を応援した。ロシアは内政問題をかかえ、革命前夜の雰囲気。
明治14年にはポグロムが発生し、ユダヤ人約2000万人が、ロシア国内で一般市民に虐殺されている状態だった。
ロシアはユダヤ人をも敵にまわし、日本は世界的に大きな援助を得ることになる。斯くして日本は勝利したが、8万の犠牲と国力を無くした。そして満州の権益を受ける。
その後の辛亥革命で清は滅び、孫文の出番となるが、軍閥の猿世凱の天下になってしまう。日本は中国革命の父、孫文を応援し、革命前は孫文も日本に留学し亡命さえしていた。しかし中国はまとまることはなく、各地で軍閥が隆起する時代となっていく。
人種差別はなはだしき頃、日露戦争における日本の勝利は、各地の植民化された国々の人の、度胆を抜く一方、希望を与えた。白人以外の国が白人国家に勝ってしまったのは、大航海時代以来500年の秩序を変えることになったのだ。
しかしロシアを蹴落とした日本は、虎視眈眈と中国を狙う列強の、最大の障害国となってしまっていた。
ハワイを得たアメリカは米西戦争の結果、明治35年にはフィリピンを制圧し植民化していた。明治中期ころアメリカの西海岸は、中国人労働者とヨーロッパから遅れて入って来た、アイルランド人との衝突が盛んな時期であった。彼らにはもう東海岸での活躍起点はなく、西に新天地を求めてやってきた。当時カリフォルニアは、鉄道開拓に従事していた中国人労働者クーリーが、彼らの邪魔者となっていたのだ。
さっそく政府に働きかけ排除にかかった。
そこへ移民してきたのが日本人である。当然、大きな排日運動が展開されていった。今でもその時の新聞が残っているのを、色々な本で見かける。ジャップはサルであり、出ていけというものだ。また日本人には二世三世の土地の所有も認めない、法律まで作られた。
当時は日本でも大変な物議をかもしたが、憂慮した日本政府は米国と紳士協定なるものを結び、もうこれ以上移民を送らないようにしたのである。またアメリカは日露戦争後に日本が得た、南満州鉄道の権利を買う契約をしたが、危機感を感じた日本政府は契約を破棄した。
ようするに破綻した中国に表れた各軍閥も、支那から独立したがっていたし、世界も混乱に乗じて、支那に入りたかったのである。
そしてロシアの脅威も、ロシア革命後に再びやって来るのだった。
もともと満州という所は、強大な支配を受けたことがなかった。ツングース係民族と蒙古係民族の、断続的な衝突があるだけのところだったのだ。
そんな中、日本がその先頭に立ってしまったのは、自衛のことだったのである。日露戦争といっても、ロシアという国とまともに戦ったわけではない。南下を防ぐための局地防衛戦でしかなかったのである。第一次世界大戦、日本はドイツに宣戦布告し、青島などに入るが、ヨーロッパまで行って戦うことはなかった。
一方アメリカはイギリスの要請を受け、ヨーロッパで戦い多くの戦死者も出した。必然的に、イギリスはアメリカの言うことを聞くようになる。
パリ講和会議の席上、日本は人種差別撤廃をする「人種平等の原則」を主案し会議にはかる。
差別に苦しむ多くの国々から手紙をもらった。
結局11対5で勝つが、時の大統領ウイルソンから、「このことは大変重要な件なので、全会一致でなければならない」と否決されてしまった。
日英同盟も四ヶ国条約において廃止させられ、軍閥の猿世凱に突き付けた対支二十一ヵ条要求からの、石井ランシング協定も、九ヶ国条約で廃止された。
蒋介石の国民党を援護し、中国自体から日本を追い出したい米英。
ソ連の共産党の影響を強めたい毛沢東の八路軍。
日本の視線に立った汪兆銘の国民党左派。
三者は軍事、資金、人数でほぼ互角であった。しかし米英露の後押しされ国共が合作し、汪兆銘派は衰退していく。排日運動から各居留地で日本人が虐殺され、満州を守りたい側の日本は泥沼化して行った。虎視眈眈と狙う列強国際連盟の条件を背景に、日本は弱いと判断し、中国の民意は一体化していき、最後は共産党を選んだ。
中国側の外交はしたたかで、昭和2年に行なった当方会議の結論として、田中義一当時外務大臣が天皇に上奏したと言われる「田中上奏文」なる偽書を世界に流していた。これは日本の世界征服説で、まず満蒙から征服し次に支那へというものである。まったくのでたらめ文で、時の天才外務大臣松岡氏がすべてカラクリを暴いていったが、最後まで影響が残ったという。
上海事変の時の日本軍による爆撃で、赤ちゃんが真っ黒になり、泣き叫んでいる写真が流され、日本は国際世論に叩かれたが、それも後ろでスタッフらしき者が、セットを作っている写真が、現在見つかっている。
南京大虐殺を報道した、イギリスのマンチェスターガーディアンスの新聞記者、HJティンパリーは、東京裁判に現われなかった。彼は中国国民党の情報省の人間だったのである。
そんな世の中、どんな器の政治家や本物の右翼が奔走したと思いますか。みなさん。
昭和天皇が側近にお伝えになった日記には、腐敗した政治から、軍が立ち上がったとある。この時代を取り巻く日本を、どんな気持ちで引っ張っていったのだろうか?
欧米と組んで排日運動を起こされ、満州の北東部イコライフスクでは石田領事家族以下700名が惨殺され、済南や通州などの居留地で大量虐殺され、その日本人の死体を731部隊の証拠写真だとやられている姿。
自立とはそのような環境を生き抜くことである。誰がいるのだろうか?この腑抜け日本。
「そんな歴史はどうでもいいのです」なんておっしゃる政治家もいるくらいである。
現代中国がかかえる問題は、我々で言うところの、一般ゴシップ誌みたいなもので、反日記事を掲載しているところだ。
共産党政府に対する反共記事は許されないが、そのぶん反日記事にまわってしまうという。
エログロ記事も中国では許されないが、反日の記事なら良いそうである。例えば日本の雑誌や新聞が載せる女体盛りの写真なんかを、悪い民族の食事習慣として載せられるということだ。
しかし、日本にある在日中国人のための、90パーセントの新聞が反日だそうである。
そんな風に見られているんだね我々。どおりで犯罪も多いはずである。
かと思えば台湾の高砂一族のような方々もいてくれる。肯定否定、普遍的無意識とはそういうものだ。そしていつかアメリカの世論も変わるかも知れない。
どこの世界にそんなことも予想できないで、のんきに頼ってばかりの国があるだろうか。
目を覚ませ日本!
我々は、一刻も早く真の武士道精神を取り戻さなくてはならない。

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チェアーウォーカー情報誌WaWaWa記念イベント
2004.08.17(火曜) 開演7:00 受付6:00

佐山 聡「新約武士道発表 講演ならび記者会見」
ラモス留偉「スポーツマン魂」
氏神一番 「パラリンピックキャンペーンソング発表」

チケット:1500円 会場:新宿ロフトプラス1 問い合わせ:03−3205−6864

現在計画していることは、武士道の歴史を変えることにもなるでしょう。私が武士道と言っても、いったい佐山は何をやろうとしてるのか不明だと思います。真剣に武士道を現代に蘇らせるのです。チョンマゲをしたり、袴を履いたりする訳ではありませんよ。また、何かの売りのためにやるんだと思う方々も、いるでしょうが、私を甘くみてはなりません。
徹底的にやります。
おそらく未来の本には、「日本には武士道というものがあって、アジア解放の礎となったが、物質的には戦いに破れ、民主主義という名の元に物質社会にされ、精神性を無くされ、国防さえ感じなくなっていた。しかし新たに武士道が復活し、人々の規範や勇気を取り戻して、生きるとは何かとの根本的な計りを、死人が生き返るが如く、人間としてみるみるうちに赤みをおびて来だした。そして街には不良が闊歩することもなく、犯罪も激減し、フリーターと呼ばれる人種もいなくなり、職人芸も復活し、交番へ財布を届けることも多くなった」とね。
後半の私はマスクをかぶり、一人でも多くの理解者を得ようとした。
今度はそんなものじゃない。体が続くかぎり日本のために、引っ張っていこうと思う。
次のマスクは度胆を抜くかもね。10月2日からになるけれども。
17日の講演が終わって本格的に練習に入ります。
どこか合宿場所ありませんか?藤原敏男のいない所。



2004.08.10
さて、サッカー。あれが普遍的無意識といえるものです。
以前、申し上げたとおり、ここはスイスなどの中立国たる場所ではないのです。
平和ボケしている民の目は覚まされると、期待はしますが、問題はここまで精神没落した民の、回復がなされるかということです。
普通、戦争に負けた国が精神復活するには、100年かかるといいます。今の日本、このまま進めば半永久的に、なされないのではないでしょうか。今回の問題が歴史に触れてくれたことは、多くの資料が残り、世界情勢が異なる現在では、反対にラッキーといえるでしょう。ここぞとばかりに近代史研究者達が、この湾曲された史実を、ことごとく引っ繰り返すでしょうから。
ただし尖閣諸島問題で、中国政府にコントロールされた可能性もありますし、それをまた現地駐在の日本の中共マスコミが、日中双方を煽った可能性もあります。「どうせ腑抜け日本人だから、ここで恐れて何もできなくなる」とか、尖閣をめぐる国際世論のかけ引きでしょう。
かくして日本は「そうはいくかい」と言わず「そうはいってしまう」民ですから、志ある者達を造る、真の武士道を育てるのです。激情には激情で対するなんてことは致しません。静なる強さは深い見識を持ち、決して響くことはないからです。
ここでアメリカの動きです。彼らの一旦作った歴史は変えるわけにはいかないでしょう。しかも問題は民主党の動きです。ニューヨークにある在米中国人をまとめる大きな組織は、その人口数からも民主党の大きな力となっているのです。
今はヒラリー女史の大きな支持基盤です。クリントン大統領が親中派だったのもこのためです。
そしてイスラエルと中国の関係は、大変良好なのです。事変とは他の事でも起こり得ます。
史実はひとつの武器にはなりますが、それだけで勝負しようと考えてもダメなのです。
真に愛国心を持つ政治家が、堂々たる勇気と信念を持って、アジア、欧米、イスラム諸国、ユダヤ組織などに物申し、駆け引きが出来なくてはなりません。でないと国は守れないでしょ?
いったい誰がいるのでしょうか?町人拝金ボケした者達でしょうか?
愛国心はいりませんか?歴史認識はいりませんか?
今回のことはほんの一角の物事です。領土や歴史をめぐっての原始的トラブルです。
歴史は繰り返します。
賢者は歴史で学び、愚者は自分の経験で学ぶというのは、こういう時、深く分かりますね。
CIA入社の絶対条件とは愛国心です。
武士道とはこういう時のためにも、不動の精神を作り上げ、アジアの一国として平和に存在するために、我が国に無くてはならないものなのです。騙された史観を押しつけられるのではなく、堂々とした心で何事にも響かない、史上最高の文化の現代版再構築なのです。今度は「智」と外交を、表と裏でもっともっと強化させましょうよ。
サムライとは国(藩)を守るために、命の契りまで交わし、国の体制を滅ぼさないために、規範までも強いていた者達なのです。現代でいえば真の愛国心を持ち、荒廃が何かを解る人ですね。

現代に発進させる「武士道」という観念は、世界の宗教観を遺憾とし、元敵国の占領政策や、スリーS政策にどっぷりと浸り、自由をはき違えている者にとっては、まったく実態がつかめないでしょう。かくいう私も宗教をやってないし、スリーS政策で育てられた輩ですから、解らない気持ちがよく解ります。
ようするに規範の感覚のない世の中になろうと、していることすら感じてないのです。そしてそれが人間が持つ「真の強さ」と多いに関係があるのです。
強さとは、腕力や傲慢さの事ではありません。あなた自身が持つ純粋な心です。

躾のために叱る(体罰)ことと、幼児を持ち上げてたたき落とす虐待が、同じとしか見れない世の中自体がおかしいのです。こんなことやってたら国は滅びますよ。
いつ頃だったか約20年も前くらいに、欧米の子供への教育法が日本で流行りました。「子供は出来るかぎり可愛がり、甘やかせて育てよう」というものです。かっこだけブルジョア化した民は、欧米の流行の理論に飛びつきました。
「そうか!欧米の一家団欒の姿はこの教育なんだ」
テレビや映画で見ている「欧米ファミリー」の夢物語です。かくしてサルまね家族が、表面幸福を実行しだし、「ダーリン」「ハニー」「パパ・ママ」の家庭ができることを理想としました。そんな民ですから、学校に対してもそれを望みました。かくして人格形成としてもっとも大切なものを忘れ、史上空前の愚者が出来上がるシステムが構築されたのです。
文化とは水みたいなもので、淡水に住む鯉や鮒や蛙の文化が、いきなり海水になったりしたらビツクリです。人間であれば家庭は崩壊し、子供は不良化し、あっちこっちで異常な事件のオンパレード。それだけならまだ良いのですが、この壊れたガギ共に、根性や精神力や気骨さなども無いのですから終わりです。よってたかって弱い者に振るう行動は、強さではなく弱さです。
では、規範を持って堂々としている者と、何が違うのでしょうか?
欧米の彼らには宗教という柱があります。毎週教会に連れられていき、いやというほど説法を聞かされます。挨拶の大切さ、マナーの大切さ、正義の大切さ。家族の大切さ、愛国心。
ありとあらゆる道徳観念を教会で、ニューロンにたたき込まれ、その絶対心を無意識にまで構築されるのです。教会によっては、おっかないサムライのような神父さんもいます。
そういう「核」を育てるシステムがあって、規範という柱を構築された子供達を、これまた規範を構築された大人達が可愛がって育てるのなら解る気もするのですが、現代日本のように、人間の最も大切な部分を作ろうともせず、反対に自虐するやりかたで、表面の夢だけ見て、サルまねをやっているのですから大笑いです。
このことが私の言う「弱さ」に通じます。勘違いしないでくださいね。宗教をやれと言っているのではありません。また、多くの人はまだ規範を無意識に止めています。ただ、流されようとしているのです。早く眼が覚めてほしいものです。
勿論我が国は、仏教、神道等に影響され、独特の規範を「武士道」でつくってきました。数十年前まではその多くは残っていたのですが、いつからか、形だけ欧米化という滑稽な姿をさらけだし、従来の規範さえ散っていったのです。卑屈の歴史観を押しつけられた、普遍的無意識に強い心など宿るはずもありません。強い心とは正義などの規範から生まれるものなのです。
戦前は正義を語ったから、戦争になったんだという者もいますが、正義が強すぎればおかしくなる事くらい、昔から我が国のサムライは知っていることです。

私は外人に宗教は?と聞かれると「武士道」とか「サムライ」と答えています。新約武士道「○○」は「静なる強さ」というキーワードの下、私の体験と、師範としての体験と、科学的見地から確立しましたが、偶然にもおよそ古来の武士道の考え方と似ています。
武士道といっても剣術を主にする訳ではありません。伝統を背負う心の主観として、居合いなどをやって鍛練はしますが、あくまでも目的は真の精神面の構築です。現在約二十年をかけ、強さに関し、あらゆる研究や思想を解読しながら、武士道が何であるかを悟ろうとし、出来上がり間近です。この結果に私自身も驚いていますし、一緒に研究をしている、TIAの幹部達も感銘を受けています。
それほど先人は凄いと認識させるものでもあります。
ただし私は研究のために、武士道をひもといているのではありません。行き着く武士道精神復活の魂は、日本国の命のためのものです。実行をともなわせなくて何の武士道でしょう。

規範を無くしたサルまね族が、現代の不安定社会を作って来たのです。
あなたはどう生きますか?
キリスト教が唱える愛の世界も奥の深いものです。キリスト教信者でもない者が、愛を多発する姿に呆れ返る限りです。仏教の慈悲も奥の深い教えです。
ただそれだけやってもダメなのです。愛の、慈悲の、核を知り人間形成が成り立つのです。
日本人は教会や規範の構築に行くかわりに、お金儲けに奔走しますね。実力社会ですからそれも良いことでしょう。
しかし、物はお金で買えても、品性は買えないのです。
今の日本を見ても解るとおり、やがてもっと品性がなくなる社会が来るでしょう。
人間の核を無くすとはそういうものです。そしてやがて国が崩壊するでしょう。

「○○」は、サムライの作法と思想を身につけ、居合や格闘術や禅や礼儀作法やマナー等の、実技を行ない無意識下に、強さ「核」を構築させるものです。
いったい武士道とは何なのでしょうか?最初の発表会是非お楽しみを。

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INDEX

■2004.12.20 プロレスはこのままで良いのだろうか?…


■2004.12.17 順調過ぎる。…


■2004.12.03 物物凄い!…


■2004.11.24 ベールをしていた来年の1月27日のイベントは、…


■2004.11.06 朝までテレビの、幼稚で馬鹿げた論理観を見ても、…


■2004.10.24 先月、猪木さんに腰のドクターを勧めたのですが、…


■2004.10.19 新約武士道「掣圏真陰流」


■2004.10.12 びっくりした!…

■2004.10.06 西村幸祐氏のサイトより引用。…

■2004.10.05 新約武士道「掣圏真陰流」


■2004.09.30 新約武士道「真陰」…この度、天壌無窮の…


■2004.09.18 新約武士道「真陰」
武士道に「義」無き「勇」は…

■2004.09.12 戦後歴史の湾曲は、…


■2004.09.03 「真陰」武士道


■2004.08.30 ”武士道とは死ぬことと見つけたり”

■2004.08.24 9月17日の試合は中止いたしました。…


■2004.08.24 オリンピックの活躍最高だね。…


■2004.08.22 台湾「高砂義勇兵」英霊慰霊碑を保存するための義援金募集


■2004.08.21 新約武士道…魂は響きが起こる。…


■2004.08.20 新約武士道…古来より我が国に…

■2004.08.19 本年度のテレビ番組ベスト1が決まりました。…

■2004.08.14 サムライとは自己の規範の中核に義を置き…


■2004.08.10 さて、サッカー。…


■2004.07.29 新約武士道を実行に移す時が…


■2004.07.26 びっくりした。…


■2004.07.22 なんとびっくりメディアリテラシー。…

■2004.07.21 新約武士道


■2004.07.20 TIAの幹部より、…


■2004.06.19 天壌無窮塾(てんじょうむきゅうじゅく)…地球市民思想とは…


■2004.06.13 なんて思っている日本人は、…


■2004.06.13 天壌無窮塾(てんじょうむきゅうじゅく)…武士道精神を背負った者が、…


■2004.06.08 天壌無窮塾(てんじょうむきゅうじゅく)…「日本人はどこに行っても…


■2004.06.07 天壌無窮塾(てんじょうむきゅうじゅく)…近代の戦争は…


■2004.06.05 びっくりした。…


■2004.06.04 天壌無窮塾(てんじょうむきゅうじゅく)…天壌無窮塾は社会的な…


■2004.05.31 天壌無窮塾…自然崇拝…



2004.07.29
新約武士道を実行に移す時が来たようです。先日最終的な打ち合せを行い、その究明にちなむ命名が決まり、武士道の歴史の1ページにその名を刻むことになります。
武士道をあらゆる方面から追い続け、古来の文献を参照し、最新科学や経験を駆使し研究して、その精神の本筋を求めて来ました。今さら武士道をと思われるでしょう。またこういう世の中だから必要だという意見もあるでしょう。
私達は世の中が軟弱だからとか、道徳のない若者が増えたからだとか、温故知新で良いものを復活させるなどという、浮かれた発想で取り組んではいません。
正真正銘魂の復活です。
そもそも武士道とは何か。
かつて格闘スポーツを創始し、何か重要なものが足らないことを痛感していた日々、真の強さを求めるために、内在させる強さこそが「武道」ではないかと考えました。我が先人の心を信じ、サムライとして共鳴したいという、普遍的無意識があったからでしょう。「武道」をたどって行くと、当然のことながら前身である「武士道」へ当たり、さらに徹底追求をすることにより、隠された真実がすべて見えてきました。まるで先人の魂を継承する義務を、啓示されたかのようにです。
「オレ達はどうでも良い。しかし子孫にこの三千年の魂の真実を伝承してくれ」と。
歴史の真実を伝えなくてはならない運命に、動かされるのは当然ではないでしょうか。
「魂」の追求か、「歴史」の追求か、いつのまにか両者を追う私がいました。
多くの人に誤解されてでも、やりぬかなければならないことも「道」であると猛進したのです。
そもそも武士道にとって「道」とは、当時では藩ですが、明治では国となり、ある目的を持った「魂」の掟でありました。藩(国)を守るために、契り(命に変えてまでも)をかわした者達の「大儀」こそが「道」の正体なのです。
したがって武道と呼ばれるものは、「武道」ではなく「武術」、すなわち道を極めるための方法、「術」に過ぎないのです。武術たる様相も無くし、格闘スポーツに成り下がり、民衆に受けを狙った金蔓ではありません。現在「武道」と名乗り活動を行なっている人達は、それなりの覚悟を持って行動している人達なのです。
私が「武士道」を名乗るのは、その最上級の覚悟のことです。
侍というと「剣の道」と考えているかたも多いようですが、当時は道という言葉は使われませんでした。剣術、柔術、弓術等が「道」を求めるための術だったのです。

武士道とは何かと尋ねられると、葉隠では「武士道とは死ぬこととみつけたり」といっております。実際にはより深い意味があるのですが、現代では誤解される言葉でもあります。武士道では「切腹」などもあるからです。しかし我々は新約武士道として、先人を神格化させ、そこには近付いてはならない事を明確化します。
また、自殺と切腹とは弱さと強さとの、あまりにも違いがあります。
この差を説き、自殺は武士としてあり得ないことを規範させます。
新渡戸稲造氏が伝えた規範の面から、外国に紹介するために書いた「武士道」も、完全に真実を捉えているものでないことは、重々承知しております。
とりようによって武士道は、主君のために都合良く出来ている制度でもあるからです。それがそうであるか無いかは、個のための武士道を規範化し、潮流の意義と一体となって行くものを造らなくては、新約武士道としての価値はありません。

新約武士道は、我が先人の真実を追い、心とは何か、魂とは何かを解析し、実際に行なうものです。武士道精神のひとつの言葉「知行合一」は、英知と行いが同時に進行するということで、私達は机上の理論で終わらせることはありません。
規範の面から見ますと、現代日本はすべてを失おうとしているようです。数千年の歴史により、人間の無意識にまで刻まれた規範は、私達の社会を構成させています。
法律で、困った人がいたら助けなさいと、規定できるでしょうか。礼儀や作法や道徳を定められるでしょうか。諸外国で信仰されている一神教は、小さな時から両親や親族に手をつながれ、毎週教会に連れていかれ、挨拶のしかたや、道徳、正義、愛国心までも、徹底的に植え付けられ、各自の無意識に規範を定着させます。
実際プロテスタントの神父は、厳しい侍のような方々だと言われます。彼らが自由だ平等だ博愛だと言っても、そこには教会で躾けられた、規範というものを持ち合わせて、成り立っているものなのです。六本木あたりで人が倒れて助けるのは外国人ですし、電車で困窮している人を助けるのも然りです。見てみぬふりをしてすまそうとするのが、規範構築を消された現代日本人の姿なのです。そんな社会が「自由だ!」なんて叫ぶと、規範をさらに乱す勝手な輩が表れるのは当然のことです。武士道精神在りし日の日本で、そんな者がいたでしょうか。反対に世界一だったはずです。

武士道は規範を持ちますが、宗教ではありません。
儒教や朱子学にも影響されて来ましたが、仏教によって死に対する恐怖が和らげられ、神道によって祖先への崇高さを身につけ、先人に恥じない行為をする信仰を与えられた、我が国独自の集大成です。これを日本文化と呼び、武士道は史上最も優れた精神文化と呼ばれている所以なのです。
私達が無くした最も重要なものは「義」です。
「義」とは一言で言うことはできない、大変奥深いものですが、武士道としては、無意識の中にある、個人的と普遍的なものの「核」になるものです。一神教の核に、掲示された「神」があるなら、宗教でない武士道が持つ核とは「義」です。新渡戸氏が伝承してくれたように、我々が一般に使っている「義理」という意味はありませんし、よいように扱われる「忠義」でもありません。
「克己」自己に打ち勝つ絶対心のための、正しい道理といえるものです。私達は正しく強く優しく生きるために「克己」を持たなくてはなりません。腕力のことではなく、然るべき時に然るべき方向へ導く心の支配です。その強さは自己の内面、心の「陰」、すなわち無意識の中に構築された免疫とでもいえるものの中にあります。
この度、私達は新約武士道として、この時代に歴史的な新流儀を打ち建てます。
 長いあいだこのHPを御覧になったり、私の講演を聞いていただいた方々には、この度、発表する武士道の流儀名を御聞きになり、すべて納得されるでしょう。新約武士道「○○○」となります。この数か月追込みで、ほとんど寝てませんが、遂に歴史的な発表近しです。

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2004.07.26
びっくりした。あのカタブツ氏が各地で事件を起こして、紙プロに迷惑をかけているというのである。最初聞いたときは、チカンか無銭飲食か覗きか?と心配したが、厳密に言うとまだ捕まってないらしい。
中村カタブツ41才、見た目には60才くらいに見えるが、この御人も日本国を憂えいている一人である。身長160センチ体重53キロ、あまり知られてないが、北振一刀流格闘術の四段を持つ男だ。世界広しといえど、この男ほど見た目と違う者はいない。服装はどんなに寒くても、バミューダパンツにサンダル。服代のかからない夏は生き生きとしている。
先日の猛暑では画期的な、メッシュのカツラを発明したと自慢し、「どうだ。これだと暑くなさそうだろう」とうそぶいていたが、メッシュの部分がてっぺんだけだったので、ただの髪の多いハゲになっただけだったという。メッシュといってもかなり大きめの網で、ほとんど穴のようなものだったからだ。とにかく誰がどうみても、格闘術の達人には見えないのである。
ところが彼のおこしている事件とは、チーマー狩りであった。
金髪にイヤリングにタトゥー、少しでも変なヤツを見つけると、そばに近寄っていき、
「命があるうちにこの国から消えなさい」と耳打ちするというのだ。たいがいの相手はカタブツ氏の容姿を見て「なーんだ」とバカにし、舐めにかかる。
「爺さん頭は可笑しいけど、中身もおかしいのか!」
「マロは爺さんじゃない!」
口論になった相手が面倒くさがって、暴力にでてきたとき、作戦は成功するという。
先週も渋谷で、いつものように先に手を出させ、カウンターを入れるパターンを決めてきたらしい。わざと口論をして相手を挑発しながら、自分から先に手を出さない戦術だ。かなりの腕がないと使えない技術である。敵の先手のタイミングがわからないと、不意をつかれて反対に打たれてしまうからだ。実は口論の最中にわざと油断させるポーズをとり、相手に気付かれず、軽い構えをとっているのだった。
このとき単に足を揃えて立っていると、相手の動きを読みとれても、パンチをはずしカウンターまで取ることは難しく、完全に構えてしまうと、スキのない姿に相手は殴れなくなくなってしまう。それでは作戦失敗だ。何の疑いもなく、油断して出してくる素人のパンチを読むことくらい、カタブツ氏にとっては容易いことでだった。
この日も二人組の最初の男の、大振りの右フックを軽く内側からかわし、態勢を戻したかと思うと、一旦軽くバックステップして、全体重移動を乗せたストレートを合わせた。周りで見ている人は何が起こったか分からない。イヤ、やられた本人ですら分かってないだろう。
どう見ても強そうな方が先にパンチをふるい。
やられるだろうと思われた貧素な方が、きれいにカウンターを合わせたのである。男は前方からアスファルトにつっこみ、意識はあったが立とうとしても、体がいうことをきかなかった。
予想外の展開にもう一人は意味が解らず。相棒の倒れた姿を見ていた。
まさかカッパ男に、まともに倒されたなんて信じることができない。
男が出した答えは、何かのアクシデントに違いないという結論だった。
「この、カッパ野郎!」
いきなり殴りかかって行ったが、そこは百戦錬磨。
男のパンチはスローモション以下に見えている。
出してきたときはすでに前方サイドへ入り、相手の拳をわずかに外して交差したかと思うと、出会いがしらに強烈なローキックを炸裂させた。
男がバランスを崩したところへすかさず、右のボディーブロー。
と思いきや、それはただ触っただけ
男は注意が左脇腹にいった時、なぜか強烈な衝撃が頭部に走っていた。
実はボディーブローと見せ掛けたのは。しなるように放たれた左ハイキックへのフェイントだったのである。
スネの真ん中くらいが顔面側部へ入り、完全に神経を失った男は、ボロ人形のように道路に崩れていった。
そのときカタブツ氏のカツラがずれ、ちょうどメッシュの部分が両目の位置へ来てしまい、鼻を残し、顔面を覆う髭づら男になってしまっていた。戦いの興奮からか、わからずにこの姿のまま、さっそうと渋谷の繁華街に消えていったカタブツ氏だった。
ちょうどそこへ通りかかったのが、渋谷のホームレスのボスになっていた山口氏だったのである。
週刊誌に出したCMがバレ、変なものを売っていると噂が広まり、紙プロを守るためにホームレスの生活を、余儀なくされていたのだ。どちらともなくアッと!指を指し合う。
「カタブツ!」「編集長!」
久々の再開に二人は抱き合って喜んだ。
この時の衝撃でカツラが取れ、どう落ちたのか、山口氏の下腹の部分へ粘着部がくっついてしまった。
もちろんふたりはわかっていない。
そこへ抱き合ってしまったから、よけいについてしまったのである。
最初この話を聞いたとき、そんなことあるのかなと思っていたが、事実は小説よりも奇なりとは、よく言ったものだ。二人が次回の再開を約束して分かれた後、なんと山口氏がワイセツブツチンレツ罪で、捕まったというのだ。
無罪を訴えたが、警察は聞き入れてくれなかった。
「なぜわざわざ、あの部分が出せるような物を作って、歩いていたんだ?」
「知らないですよそんなこと」
「しらばっくれるな!女の子たちがキャアキャア言って通報してきたんだぞ!」
「本当に知りませんよ」
 まだメッシュの部分から○○○を出さなかったということと、被害者が無かったということで、罪にはならなっかったが、いわれなき汚名を着せられたまま、釈放されたのである。



2004.07.22
なんとびっくりメディアリテラシー。
イラクにおいての日本軍の活動に対して、お金を出すから反対のデモをしてくれと、日本の左翼記者からの仕掛けがあったというのだ。現地のサマワにおける、日本軍の活動に満足していないという報道にも裏があるという。一時、日本のジャーナリストが狙われているという事が流れたが、実はこの左翼記者達が狙われていたようである。
海外に駐留する記者が、どう見ても造っただろう(少数意見を全体的に演出)という場面を流すが、ここまでしているとは・・・、視聴率のためか、思想のためか、反日日本人ここにも現わる。



2004.07.21
新約武士道
武士道の復活といっても、そう容易いものではない。そもそも武士道自体の定義がなされてないし、偉大なる先人である彼らの、背中を見ることも出来ないからだ。
なぜなら我々の受け継ぐはずの心は殺されている。
形だけの復活なら時代劇でも見ればよい。
戦後ウォーギルトによる、全国民への感化は、そら恐ろしいくらいリベラルに没してしまった。サムライを亡くし、外圧に弱くされたこの国は、西洋かぶれを大きく拡大解釈し、世界のリベラル勢力宣伝を真に受け、一億総無規範時代を迎えようとしている。決して資本主義による道徳の欠落とか、豊かに育った過程で純粋さを失った姿ではない。
欧米社会はどんなに富を得てきても、その純粋さと規範は無くさない。
彼らには宗教という規範的導きがあるからだ。多くの日本人が思っていることは、多くの外国人が理解できない。「なぜ宗教を信じるのだろう?宗教があるから戦争をするのに」導きを無くし荒廃しようとしている民が、宗教を知らずに安易に語る言葉ではない。彼らの普遍的無意識は、彼らの規範でもある。我が国は宗教戦争をしていない。規範の部分に位置したのが武士道であったからだ。
いったいどこに外国に対し、堂々と物を言える者がいるのか日本!
導きを無くした民が見せるジェスチャーは、その後に見える「受け」だとか「金」だけである。
多くの人が騙されている戦前の日本は、堂々としていたのだよ。

平和ボケしているのはしょうがない。兵頭氏が説くように、この国はもともと奴隷制度を経験してこなかった。城主が変わるだけで、なんの身の危険を感じて来なかったのだ。
彼らはただ真面目に暮らすだけでよかった。もともと一神教でない彼らの導きは、お上から影響を与えられた武士道精神であった。
今、多くの書物がら、徳目を並べたてた儒学的な道徳心を、武士道と受け取られているが、それは民のための武士道精神と言ってもよい。我々の先人が築いてきた真の武士道は、権力者によって定義化された徳目ではない。
仏教的な「あの世」「この世」思想を神道に合体させたような、あの世の先人に申し訳が立たないという、純粋な心から自然に生まれた規範こそが武士道なのである。
そのために特殊階級である我々は「強さ」を持たなくてはならないのだ。かつて先人が経験から学びとった「静」なる強さが武士道であるという、精神論の規約を、である。
五条の徳「仁義礼知信」や武士道の「知仁勇」が徳目なら、私が提唱する信・忠・義・勇・節・智・仁とは徳目ではない。これらは、現代の精神分析学をさらに神経生理学へと踏み込み、強さとは何か、どうすれば強くなれるのかを解く鍵である。絶滅してしまった武士道のDNAを、細かく分析して、組み立てるような作業なのだ。
もちろんここまでのことは、今までの私の本には書いていない。現時点でバラしたくもなく、さらに追求もあるからだ。安易な商売道具にも使われたくない。しかしこの前の「武道通信」さんの講演では、一部を披露させて頂いた。
皆さんは驚くかもしれないが、私が言っている近代史の真実というのも、この「強さ」を求める中の一環である。また日本武士道を習うものとして当たり前のことなのだ。
大東亜の戦いという有史以来の危機に見舞われ、戦後、日本武士道は瀕死の断末魔をあげている。ラストとまで銘打たれた映画まで作られ、喜びいさんでいる国民。
有史以来の危機とは、物質的に戦争に負けたことではない。意図ある戦後宣伝戦略に乗せられ、今日まで先人の魂を売って、のうのうと平和ボケ、規範ボケしている魂のことである。問題は現代武士道をどう捉えるかだ。そもそも時代によって変わってきた武士道であるが、泰平の時代に培われ文化化して来たものが主流では有り得ない。
今、私がやろうとしていることは、中途半端なものではないのだ。よく言われるのは、最初に格闘技を開発してきて、今先頭にいなくて良いの、という言葉だが、私にはまったくピンと来ない。
テレビでやってる格闘技と、武士道とでは私の価値観は天と地ほど違うし、こんなことは将来の分析では、当たり前のことになるのは目に見えている。関係各位、せいぜい視聴率と発行部数のため頑張ってくれ。私は資本主義では追いかけられない、もっとも優れたものを追っている。
私の意図も解らず出入りしてきた人たちは、鼠の尻尾を踏んでいるつもりだろうが、実際は竜の尻尾であったことを思い知るだろう。
いずれにせよ、この潜伏期間は武士道を培養しきるものである。二日間寝なかったことはざらである。そろそろ武士道の道場をどこかに出そうかと思っている。何か希望や情報があったら知らせてください。本格的なサムライの育成場所である。選手とか会員ではなく「書生」と呼ばれるかもね。禅から、居合から、格闘術、歴史学、武士道学、本格的な格闘部門、絶対に良き理解者がいなくてはならない。
真の日本復活はこの道場から始まる。



2004.07.20
TIAの幹部より、以下のURLから引用して送られて来たものです。
36."2605年8月17日" インドネシア独立秘話(1998.8.22)
http://www004.0upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/indonesia.html
インドネシアのムルデカ(独立)広場中央に聳える高さ137mの独立記念塔。この地下1階に、インドネシアの「三種の神器」(独立宣言書・独立時に掲揚された国旗・国章)が奉納されています。「第一の神器」は、スカルノ(初代大統領)とハッタがサインした独立宣言書なのですが、ここに記された日付は「05年8月17日」。インドネシアが独立したのは西暦1949年。なのに、日付に記された年は「05」年。実は、この「05」年は、当時、「昭和」と共に日本で使われていた「皇紀」(神武天皇の即位した紀元前660年を元年とする)で、「2605」年が略されたものなのです。さて皆さん、なぜ、スカルノ等はインドネシア独立宣言書に日本独自の紀年法である「皇紀」で年月日を記載したのでしょうか? そこには、インドネシアの独立に深く関わった「日本」の存在があったのです。と言う訳で、今回はインドネシア独立と日本との関係について触れてみたいと思います。

まず最初に、日本とインドネシアの「出会い」から書きましょう。よく「大東亜戦争」(太平洋戦争)と言うと、日本が米英(及び連合国)に対して宣戦布告した事になっていますが、こと、オランダに関しては、逆にオランダから日本に宣戦布告してきたのです。当時、オランダもアジアに植民地を持っていました。「オランダ領東インド」(通称、「蘭印」)−インドネシアの前身です。日本の初戦における電撃的な勝利に危機感を感じたオランダは、「大東亜共栄圏」構想−アジア解放を「錦の御旗」に掲げて蘭印へ進軍して来るであろう日本軍の機先を制する目的で、先手を打って日本に宣戦布告してきたのです。これに対して、日本軍は昭和17(1942)年3月1日、今村均(ひとし)中将率いる「帝国陸軍ジャワ派遣軍第16軍」(通称「治(おさむ)部隊」)、2個師団総勢55,000人を擁して、ジャワに敵前上陸し、インドネシアへの第一歩を踏んだのです。さて、ジャワに上陸した「治部隊」ですが、ジャワに伝わる一つの伝説「ジョヨボヨの予言」(北方から小柄な黄色人種がやって来て、自分達を解放してくれる。しかし、ジャゴンの花が咲く頃には帰ってゆく・・・)が奏効して、親日一色に染まったジャワ島民の支持もあり、「治部隊」の2倍の兵力を擁していたオランダ軍(蘭印連合軍)を、上陸後、僅か9日にして降伏させたのです。

さて、ジャワを占領した日本軍はこの地で一体何をしたのでしょうか? 第一になされた事は「民心の安定」でした。それは、今村司令官の発した「布告第1号」に見る事が出来ます。

1. 日本人とインドネシア人は同祖同族である
2. 日本軍はインドネシアとの共存共栄を目的とする
3. 同一家族・同胞主義に則って、軍政を実施する

当時、植民地の住民にとって「共存共栄」等と言う言葉はとても信じられないものでした。なぜなら、欧米列強にとっての植民地とは、「支配者」と「被支配者」の関係でしかなかったからです。ところが日本軍は開口一番、「共存共栄」を唱えたのですから、住民が驚いたのも無理はありません。しかし、今村司令官の布告は終戦まで、決して破られる事はなかったのです。更に、ジャワ軍政府の施政も住民の支持を得ました。例えば、
1. 農業改良指導
2. 小学校の建設と、児童教育の奨励
3. 新聞「インドネシア・ラヤ」の発刊
4.0 英・蘭語の廃止と、公用語としてのインドネシア語採用
5. 5人以上の集会の自由
6. 多方面でのインドネシア人登用
7. インドネシア民族運動の容認
8. インドネシア人の政治参与を容認
9. 軍政府の下に「中央参議院」を設置
10. 各州・特別市に「参議会」を設置
11. ジャワ島全域に、住民による青年団・警防団を組織
12. 「インドネシア祖国義勇軍」(PETA)の前身を創設
等ですが、これらは住民にとって、どう見ても、独立への「ステップ」としか映りませんでした。そして結果的に、ジャワ軍政時代にインドネシア独立の「段取り」は全て整えられたのです。

一方、インドネシア人にとって「救世主」と映った今村司令官ですが、大本営との意見対立(ジャワ軍政の施政方針は多分に今村司令官の独断であった)で、在任僅か10ヶ月でジャワ軍司令官を解任、終戦の際に戦犯としてバタビアのチビナン監獄に収監されました。そして、今村将軍(終戦時、陸軍大将)も「死刑」の危機にあったのです(部下の何人かは既に処刑されていた)。この時、映画さながらの「ドラマ」があったのです。なんと、インドネシア独立の父・スカルノ等独立運動指導者が、死刑寸前に今村将軍を「奪還」しようとしたのです。結果的に、今村将軍は死刑執行寸前に釈放され、この奪還作戦は幻に終わったのですが、さて皆さん、ここまで書いた所で、今回のテーマに戻ろうと思います。そうです。なぜ、インドネシアの独立宣言書に「皇紀」が採用されたのか? それは、大本営の命令に反して、独断でジャワ軍政を進めた今村将軍と、独立戦争の際、独立義勇軍(インドネシア国軍の前身)に身を投じた2,000人もの旧日本兵(彼らの多くは復員せず独立戦争に参加。独立後もインドネシアに残った)に対してはらわれた最大の「敬意」ではなかったでしょうか。

余談(つれづれ)
スハルト前大統領は在職時に、インドネシアの体制を「家族主義」と称しました。勿論、これには、スハルト体制下、一族及び子飼いの側近が政治・軍事・経済の枢要を占めた事実を正当化する意味もあったでしょう。しかし、その根底にあったものは、ジャワ軍政当初、今村司令官が布告第1号で唱えた「同一家族・同胞主義」ではなかったでしょうか? オランダによる植民地支配から解放し、独立建国に至るレールを敷いた今村司令官によるジャワ軍政。それは、今日に至るまで、インドネシアの根底に深く根を下ろしている様に思えて仕方ありません。

参考文献
* アジアに生きる大東亜戦争(ASEANセンター編 展転社 1988)

インドネシア編
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_1.html
こんな歌を知っていますか?インドネシアで50年間歌い継がれてきた「祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチ」です。
“アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり 己を捨てて全力を尽くす
連合国を粉砕せんと 玉散ることもいとわず
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ
古きアジア 不幸に苦しむ 烈しき圧制に 幾世紀も忍ぶ
大日本 雄々しく立てり アジアを救い 我らを守る
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ…”

だ…大日本?!なんだか、聞いてるこちらがこそばゆくなってしまうような歌詞ですが、これはいったいどういうことでしょうか?

じつは350年間の長きにわたって、オランダの植民地にされてきたインドネシアが独立を勝ち取ったのは、昭和17年(1942)3月の日本軍進攻がきっかけでした。350年間の過酷で計算されつくした植民地政策によって、有色人種であるアジア人は白人の支配を脱することは不可能だと思いこまされていました。しかしそこに白人よりも小さな身体の日本人が突然やってきたかと思うと、なんとたった9日間の戦闘でオランダ軍は全面降伏してしまったのです。自分達と肌や髪の色の同じ小柄な日本人が、絶対にかなうはずもないと思っていた白人をあっという間にやっつけてしまったのです。この様子を目の前で見たインドネシアの人々は、そうだ!自分達もやればできるんだという勇気を持ったのでした。現地の人々に大歓迎された日本軍は、オランダによって流刑されていたインドネシア独立運動の指導者スカルノとハッタを獄中から救出し、日本軍への協力を求めました。こうして昭和20年8月に日本が敗戦するまでの3年半、オランダ時代とはまったく違う軍政が実施されました。詳しくは後に掲げる参考文献にあたってほしいのですが、ここではインドネシアの中学3年用の歴史教科書から引用してみましょう。

「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。…」わたしたち日本人にはまったく教えられていませんが、インドネシアの子供達はこういうふうに、このあいだの戦争について習っているのです。ちょっと驚きですね。

しかし独立を約束した日本が連合国に敗れたとたん、またもやイギリス軍、ついでオランダ軍がインドネシアを再占領するために戻ってきたのです。ところがインドネシアの人々はもう以前のインドネシア人ではありませんでした。自分達の力で独立を目指して戦う勇敢な戦士となっていたのです。そしてスカルノとハッタは連合軍が来る前に、昭和20年(1945)8月17日午前10時、多くの民衆の見守るなか、独立宣言文を読み上げたのでした。ちなみにこの宣言文の日付けは「17-8-‘05」と記されています。「’05」とは、これまた誰も知らないでしょうが、「皇紀」または「神武紀元」といって日本が使っていた暦に基づいています。西暦(西洋の暦)はキリストの誕生を元年としますが、「皇紀」は初代の神武天皇の即位の日を元年としています。どちらも神話、伝説上のことですから、正確であるわけはないのですが、「皇紀」によると昭和20年は「2605年」にあたります。その下2ケタをとって「‘05」。なんて聞くとまたまた驚きですが、今もジャカルタのスカルノ、ハッタ記念公園(独立宣言広場)に行けば、この宣言文がレリーフになってスカルノとハッタの銅像のまんなかにあるので誰でも見られます。さあ、そのとき、なあんにも知らなかったら赤っ恥でしたねえ。ハネムーンやサーフィンで大人気のバリ島ではなんと!いまでも「皇紀」カレンダーが売っているそうです。“ほんとはこの国のこと、よく知らなかった・”とかのんびりしたこと言ってる場合ではありませんね。

さて話を戻しますが、独立を目指すインドネシアにとっては日本敗戦後のこれからが死闘でした。日本軍による3年半の軍事訓練を受けたとはいえ、近代的兵器で武装したイギリス、オランダなどの連合軍にそう簡単に勝てるわけがありません。敗れた日本軍の兵士たちはこの状況を見て、独立を約束しながら果たせなかったという責任感もあったでしょう。多くの人が現地に残り、インドネシアの民衆の先頭に立って戦い、その半数以上が彼の地の土となりました。このインドネシア独立戦争は連合国を相手に4年間も続き、死者80万人という犠牲を払いました。そして命を捧げた日本兵はインドネシア独立の英雄として、ジャカルタ郊外のカリバタにある国立英雄墓地に丁重に祀られています。

こうした歴史的事実からインドネシアの独立記念日では、インドネシアの服装の男女2名になんと!日本兵の服装をした1名を加えて3名で、国旗を掲揚します。もちろんこれは独立を支援した日本軍に敬意と感謝を表しているのですが、こんなことは日本では全く知られていませんね。

そして戦後賠償の問題でも、交渉にあたった国会議長のアルジ=カルタウイナタ氏は日本軍が創設した祖国防衛義勇軍(PETA)の大団長だった人なので、日本軍がインドネシア独立のためにいかに努力したかを肌身にしみて知っていました。そこで彼は岸信介首相に対して「独立のお祝いというつもりで賠償金をください。日本が悪いことをしたから賠償しろというのではありません。」と言っていますし、当時のインドネシアでは「むしろ日本に感謝使節団を送るべきだ」という声もあがっていたといいます。さて、もうこれで冒頭の歌が半世紀にわたって歌われているという理由は分かっていただけたと思います。今もしもあなたに、ちょっと照れくさいような笑みが浮かんでいたら、それが「誇り」というものかもしれません。

●もっと詳しく知りたい人には
名越二荒之助編『世界から見た大東亜戦争』展転社
ASEANセンター編『アジアに生きる大東亜戦争』展転社
上坂冬子『南の祖国に生きてーインドネシア残留日本兵の現在』文芸春秋
ビデオ『独立アジアの光−東南アジアの歴史と現代−』Tel 03-3476-5695
をお勧めします。



2004.06.19
天壌無窮塾(てんじょうむきゅうじゅく)
天壌無窮塾 塾長
TIA   代表 佐山 聡
地球市民思想とは良い響きで、いかにも人権を保護し、平等性を訴えているような言葉である。果たしてそのような文化はどうなっただろうか? 思想、教育、モラル、経済、全てにおいて、最低限の平均値に陥り没落していった。
神をうんぬんのことではなく宗教心などがあり、礼儀、モラル、正義心、犠牲心等が、教育あるいは満ちている所では、それによる自国の荒廃を押さえ、周辺にもその良さを伝えることは出来るかもしれない。いまこの国に当てはめると、犯罪はさらに増加し、さらにクソ不良が増え、オカマが増殖し、どんどんレベルを下げることになる。まず自国の規範を取り戻し、自立してから地球市民的な構想に、お付き合いするべきなのである。
何を戦後の劣等感にしたり、忘却感に際悩まされているのだろうか?荒廃した愛では地球は救えない。真の導きはTIAが提唱する、新訳武士道の「義」を理解した、勇秀なる精神の持ち主による、奴隷平和ぼけ根性を呪縛された者達への、世論変換である。
催眠を解くには、無意識内にある、過去の姿「原因(リビドー)」を意識上へ認識させなくてはならない。だから「戦後」から始めるのだ。史観というのは見方によって、いくらでも解釈が変わる代物である。戦争で勝ったほうが歴史を作るとも言われている。
世界広しといえども、史実を変えてまで自国を蔑む史観を持っているのは、この国だけであり、左翼マスコミに影響された世代とのギャップは、脳裏にまで染み込む人間の性となり、知らず知らずの間に、どうしようもない反日習慣を作っているのが現状だ。
そのギャップがこの国の国民を、必要以上のリベラル的ボケを生んでいる。従属佞心思想、無国家共産思想に操られ、反ナショナリズムが掲げられ、国旗も上げられない国なんて、義も勇もない士農工商時代の百姓町民が、支配者に怯えている奴隷従属者にすぎない。もちろんこの時代、それが行きすぎる、ナショナリズム的な風潮を醸し出すはずもない。
男らしさ女らしさではなく人間らしく? 愚か者!
何という愚行。自然界破壊への導火線に火をつけるだけに過ぎない。この場合、自然破壊とは、人類が築き上げてきた規範とモラルである。ますます規範が乱れ腑抜けにされていく民族。我々がやるしかない。影のサムライ階級を造り上げ、真の自立を導くのである。
現代はあの時代とは違うし、あの時代ではああする他に、日本を、いやアジアを守る手段はなかったのだ。そしてあの時代の、あの人達が「現代世界」を作ってくれた。我々サムライの先人者達である。
ちょっとした隠蔽によって史観は裏返ることになる。例えば、戦時中、民間人を標的にした米国の事実をおおい隠し、戦場で日本軍兵士が民間人に、アメリカに捕まれば慮辱の限りをつくされ殺されるので、自決しなさいと迫ったと戦後伝えられるのは、背景を伝えず、その場だけを取り扱った様々な惨劇で、格好のプロパガンダになっている。
自殺するものがなく、木刀で我が子を殴り殺したとか、皆で自爆して生き残った兵士は降伏したとかの、日本軍人諸悪説であり、背後にある真の情勢を伝えずに、その場面だけをとらえるという巧妙なやりかたなのである。その上にそれらしき音楽やナレーターの演出で、アメリカにお伺いを立てている佞心者に、情報と愛国心を取られた国民は、いかようにも騙すことはできる。我々に必要なのはメディアを正しく見れる、メディアリテラシーである。
一方では野戦病院などに担がれた兵士たちは、皆治療など望まず「弾薬をくれ」と叫びながら、戦場に出ようとし息絶えていったという。史実を伝えるメディアも増えてきた。
当時の日本軍が行なった戦史には、イヤというほど英雄的な戦いが存在する。今までそれらがひとつも出てこないこと自体、おかしいと思わないだろうか。
戦後日本軍の犠牲になったと言わなければ、保障が出ないこともあるようだが、ちょっと待ってくれ。ウォーギルトなどで、連合国側の虐待ぶりは隠され、日本が悪に仕立てあげられたということが、昨今すべて暴かれて来た。占領各地で問題になったのは、戦後の米軍兵士による強姦であったことは有名である。
明治32年からのアメリカ・フィリピン(当時スペインから独立したマロロス共和国)戦争では、サマール島島民23000名全員が虐殺され、全土では20万人以上が殺されたという。実際アメリカはやってのけていた。もちろん日本人は全てを知っていたのだ。
何もこの虐殺や慮辱はアメリカだけをいうものではない。当時日本以外のどこの軍隊でもやっていたことだ。イヤ今だってやっている。きれいな戦争なんて有り得ない。
ロシアは義和団事件以来、モンゴル、満州に居座り、オランダは300年もインドネシアを支配し、ベトナム、ラオス、カンボジア、マレーシアはフランスが支配し、中国南部から中央近くまではイギリスが支配し、東部の一部はドイツが支配し、フィリピンはアメリカが取ったばかりであった。もちろんインド、アフリカ、南米もすべて同じ状況下である。
日本もその帝国主義の仲間に入ったって? 人種差別の実態を伝えず、今度は史実のみを伝える者達、防衛か侵略かの事実は、当時のアジアがどういう状況に置かれていたかを消し去り、防衛上起こったことだけを、しかも捏造してまで伝える始末。
中国国民党と共産軍の戦いでは、自国同志で悲惨な民間人への慮辱が行なわれた。日本軍による南京大虐殺がH・J・ティンパリー(マンチェスターガーディアン誌の特派員で、中国国民党の情報省の人間だった)の虚偽報告で、戦後連合国によって大々的に作成されたことも判明している。
一昨年日本の左翼TVマスコミによって流された衝撃的映像、実際に南京で虐殺を行なったという、今はお爺さんになっている元日本兵と称するもの達に、インタビューする報道にはあきれかえった。
何とそれらしき事を喋っていたお爺さま方は、いっしょに映っていた保険証から、一昨年時72歳、上海事変当時12才の子供であったのだ。こんなことをしてまでも、史実をねじ曲げる日本の左翼テレビ局。メディアリテラシーできない、一般市民なんて赤子の手を極めるようなものだ。
影響されていても、黙っておとなしくしてくれていれば良いのだが、アメリカにこれだけお世話になって、アメリカと同調しないのはおかしいと馬鹿を曝け出す、戦後の愚者共には目を覆いたくなる。
アメリカとは良しも悪しも、地理的にもアジア情勢でも深い関係にあり、今では軍事、経済において大事な同盟国だから、ここは協力すべし。というのなら話は解る。
アメリカが正直な国というのは、歴史的にも新しく、変な文化に影響されておらず、民主主義という国民主体の文化が浸透しやすくなった国であるからだ。反対に言えば世論の国であり、世論次第でがらっと変わる国でもある。例えば現在アメリカ国内での、中国人達のロビー活動はすざましく、アメリカにおけるアジア情勢などは、将来どう変化するか解ったものではない。
我々が日本を良くして上げたんだ。なんて考えているアメリカ人はいない。そんなことを思っているのは、ウォーギルトに翻弄された日本人だけである。
真の同盟は佞心ではなく自立である。

以下はTIA幹部からの、子供じみた思想を持つ者への、簡単な説明方法を教授された内容である。
まるで子供ですね。以下の感じで如何でしょう?
「アメリカはここまで戦後日本に文化を与えてくれ、裕福にしてくれた国。そんなアメリカに感謝しない国はおかしい。」に対し
「あのね、日本はね、戦前の方が文化が優れていたの。文学も科学も戦前の方が優れていたんだよ。民主主義だって大正時代に国民の手で掴み取ったものなんだよ。『大正デモクラシー』って知ってるでしょ?『灯台下暗し』じゃないよ。
小泉首相のお祖父さんって『いれずみ又さん』って言われた政治家だったんだけど、民政党の幹事長務めたり、初めて党籍を離れて衆議院の副議長を務めたり、逓信大臣なんかを務めたりした、その「又さん」たちが、普通選挙運動をやって二大政党制が出来てたんだよ。
裕福って言ったって、アメリカがバブルを弾けさせて世界恐慌になった時、最初に復活したのは日本なんだよ。あんまり黄色人種が強くなっては困るから、そう、日露戦争勝っちゃったしね、意地悪して経済制裁を仕掛けてきたから日本は貧しくなったんだよ。
だからアメリカに戦争を仕掛けたんじゃないか。あれは人種差別との戦いでもあり、日本はアメリカには敗けたけど、お蔭でアジア・アフリカは次々と植民地から独立国になったんだよ。
日本の兵隊さんが『日本には戻らない』って現地で地元の青年を集めて独立軍を作っちゃったんだよ。日本が彼等に戦う勇気を与えたんだ。朝鮮や満州、台湾が植民地だって?どこに植民地に国家予算の1割をつぎ込み、鉄道や工場や病院や学校を作るかね?日本が戦後に経済成長したのはその負担が減ったからなんだよ。
じゃあ何で中国や韓国は日本は悪いことをしたって言うのかだって?そうでも言わないと国がまとまらないんだよ、敵を作らないとね。薬が効き過ぎて、今や政府ですら人民の反日感情を抑えられないって言うよ。
強制連行?あれは『国民徴用』って言うの。だったら、君のお祖父さんやお祖母さんだって戦時中に工場で働かされたんだから強制連行だね。創氏改名?氏族名しかなかったから、日本の戸籍法に則って、家族名を付けるように言ったんだよ?「足利」や「新田」が家族名、「源」が氏族名ね。
南京大虐殺?在留邦人が虐殺された「南京事件」なら知っているけど、何で住んでた人以上に殺せるの?民間人を装った兵士と戦ったら、どう見える?世界で最も規律正しいと言われた日本兵がそんな事する?
じゃあ、何でパラオや東南アジアの住民は日本人の為にお墓を作ってくれたの?帰らないで欲しいって頼んで来たの?台湾のご老人は何でかつて日本人であった事を誇りに思ってくれるの?
日本を悪く言う国は世界に3つしか無いんだよ。そう、『極東三国家』だよ。中国、韓国、北朝鮮だ。他の国は昔から日本を褒めてたんだよ。だいたい日本が朝鮮や満州、台湾にいたからこそ、世界は共産化しなかったんだ。日本がいなくなったから、アメリカは朝鮮戦争やら冷戦やらで苦労したんだ。朝鮮戦争や冷戦を経験して解ったってさ、何で日本が満州や朝鮮半島を守ったか、が。今さら遅いよね。
共産化しちゃったら君なんか真っ先に粛清されるよ(大馬鹿だから、役立たずのクセに国を批判ばかりしてるから)。
日本軍は軍人としか戦わなかったのに、アメリカは日本の大都市を『空爆』したり、『大量破壊兵器』を使って民間人を虐殺したりしたんだよ。日本も化学兵器や細菌兵器を作ったじゃないかだって?お蔭で化学兵器や細菌兵器が使われずに済んだでしょ?日本は昔から戦場で正々堂々戦い、武運尽きて敗れたら切腹するの、そういう文化なの。逆に相手が敗けたら労るの。知らないの?日露戦争の時の相手の将軍の助命をロシア皇帝に行ったり、第一次世界大戦のドイツ人捕虜を四国で大切にしたことを。だから日本人は尊敬されているんだよ。
だから、君が豊かな暮らしをしているのは、先の大戦で亡くなられた靖国の英霊と戦後お国の為に身を粉にして働かれた君のお祖父さんのお蔭だよ、今すぐ靖国神社と君の家のお墓にお参りに行きなさいっ!」

「フランスだって第二次大戦に救ってくれた恩を忘れ、アメリカに反対するのはおかしい」に対し
「アメリカはアメリカ独立戦争で助けてくれたフランスの恩を忘れ、フランスに反対するのはおかしい・・・。いいかい?過去の恩やら何やらで国際政治なんか出来るかい?!フランスのシラク大統領はフセインとは仲良かったんだ。イラクに油田も持っていたしね。そんなフランスがフセインの肩を持つのは当たり前でしょう」



2004.06.13
なんて思っている日本人は、冗談では無くて本当に多く、その時代の左翼は、こんな馬鹿よりよっぽどマシである。
こんなメデタイ者よりよっぽどマシである。



2004.06.13
天壌無窮塾(てんじょうむきゅうじゅく)
天壌無窮塾 塾長
TIA   代表 佐山 聡
武士道精神を背負った者が、あの時、堂々と戦い合ったアメリカを恨むことは何一つ無い。「優柔不断な味方よりも勇猛果敢な敵を愛せ」という言葉を愛すことも武士道である。しかしそれはそれとして、戦後に行なわれた敗戦者洗脳思想教育は、どうしようもないところまで、来ているのが実情である。みんなも気をつけなくてはならない。なぜなら知らず知らずの間に、深く無意識下に染み渡っている可能性があるからだ。そこから世界の非常識を生むこの国の元凶は、三代におよぶ洗脳思想によって、増大しているのである。これだけ史実がはっきりし、どんなに解って来ていても、自ら占領政策を醸し出していることがある。
つい最近まであった、戦後の悲観的戦争史観を描く本や、左翼的新聞などのせいで「日本はこうだったんだ」と毒されている者達が多すぎるのだ。彼らの普遍的無意識こそ、この国が自立できない決定的要因である。歳をとればとるほど無意識は固まり、柔軟性が薄れ、ここまで暴かれてきた史実に対応できないでいる。
今は多くの戦前日本の肯定的な本が出回ているが、古本屋へ行って一昔前の本を見てみるが良い。日本が悪かったと、ここぞとばかりの真実として書き立ててある。今、この時代に過去の全てが暴かれて、否定していた彼達はどのような対応をするのか。

一方、戦後真実を貫いていた最大の組織は、大いなる灯台下暗し日本警察である。昭和四十年代、史実を曲げられていた中から多くの者が決起し、日本は革命が成功する寸前まで行ったことを、知っているだろうか。全共闘時代である。左翼と呼ばれた彼らも、思想の違いはあれ、世が世なら日本を思う特攻隊であったろう。
反対に今のイラク情勢に対し「日本は軍国主義で悪かったんだ。アメリカはここまで戦後日本に文化を与えてくれ、裕福にしてくれた国。そんなアメリカに感謝しないで反対する国はおかしい。フランスだって第二次大戦に救ってくれた恩を忘れ、アメリカに反対するのはおかしい」なんて思っている日本人は、冗談では無くて本当に多く、その時代の左翼は、こんな馬鹿よりよっぽどマシである。現在、大事な同盟国と称さなければ、国が守れないから国益だというのなら解る。
ともあれ革命は警察の命をかけた防御で、からくも免れた。相手が角材や鉄パイプで攻撃してくるのに、もし政府側が自衛隊を出し、武器などで対応すれば、どんな修羅場と国際世論になっていたか。こんな場合、軽装で固めた警察部隊で穏便?にやるのが得策である。そのかわり警察は竹槍を持った者と、拳銃無しの、盾と警棒で戦わなくてはならない。
そして世論は左翼新聞に動かされていた。オーイ!戦い損の警察を誰が認めるんだ。警察の心ある者達は「東京裁判」や「ムルディカ」のビデオを持っている。ビックリしたのは私がセミナーをやった時に、元警官から「警察学校で習ったことと似ている」と言われたことだ。警察の信頼を取り戻すのは警察だけではない。左翼大新聞に書かれた「警察は我々の税金で働いているのだから、命をかけるのは当たり前だ。尊敬などする必要はない」なんて事を信じさせられている国民側も、その風潮をボイコットしなくては、明日はやってこない。
誤解を生むかも知れないが、ヤクザにしても然り、日本のヤクザはマフィアではない。アメリカのFBIが日本のヤクザと警察の関係を見るとびっくりし「彼らはマフィアではない」と言う。アメリカではマフィアの事務所を探すだけで一仕事が終わるのだ。一方事務所をおおやけに出して、暗黒社会を警察に見せながら牛耳っていた彼らは「カタギさんに迷惑をかけるな」という信念を持った組織人である。とはいっても、弱みを握って追い込んでいったり、脅して操作したり、カタギに迷惑をかける、まともでない者も多く存在する。しかし警察が介入した場合、何と素人の方が悪いという場合が多いという。そう素人も暴対法を利用して悪さをしているのだ。何と規範のない世界である。裏社会という建前がなくなり、外国の裏社会に入り込まれている事実。まともな話のできる所と、警察との結びつきだけは必要なのである。市民グループと呼ばれる「プロ市民」による、お固すぎる運動も、自由なヤクザと警察の結びつきでもない。日本的な規範ある裏取引関係は必要不可欠である。
おそらく一時バブルあたりに、そのバランス関係が崩れ、ヤクザ側の力を削ぎ落とすために、暴対法が出来たのだろう(暴対法を作った官僚はまさに全共闘世代であったのだ)。そして裏社会は外国の勢力を高め、素人まで規範を無くさせた。暴対法反対とは言わないが、もっと警察に力を与えて、バランス関係を重視する方が良いのではないか。
日本の警察は世界一、お巡りさんに憧れる子供たち。そんな風潮なら、馬鹿げた不良も少なくなり、青少年の規範も取り戻せるだろう。
恐いもの知らずの若者が、裏社会の恐いものを見る。なぜならそこは、裏は裏でも、礼儀と礼節に導かれる特殊な世界。馬鹿げた不良も思い止まり、青少年の規範も取り戻せるだろう。
海外の乗っ取り勢力や、ハゲタカファンドなどは、日本の裏社会に躊躇するという。毒には毒で止めているのだ。これも外圧でバリアを無くされたら、弱体日本は大変なことになる。ここにも警察のバランスが必要になって来るわいな。
表も規範。裏も規範。両武士道がからまなければ、日本は駄目になりそうだ。



2004.06.08
天壌無窮塾(てんじょうむきゅうじゅく)
天壌無窮塾 塾長
TIA   代表 佐山 聡
「日本人はどこに行っても過去を蔑み、神国意識を否定する。かつて救世主のように仰いでいた東城英機を罵倒する。鬼畜であった米英に迎合し恥を知らない。偉大な伝統を持ちながら目先の利益を求めて猿真似に狂奔している。それに日本人はドイツ人に較べて人類に貢献した実績もない。こんな民族は皆殺しにしてしまえ。しかし殺すには時間と金がいる。教育して使うよりほかない」
「神国日本」信じて戦った日本人は、敗戦をどう受けとめているのか。それを取材するため北海道から九州まで廻った、対日戦を戦った元アメリカ軍人で、デイリー・ニュース社の記者、スチュアート・グリフィンの著書である。

日本軍は、神風特攻隊を出し、アッツ、マキン、タラワ、クエゼリン、ビアク、サイパン、テニアン、グアム、ペリリュー、アンガウル、硫黄島で玉砕しても、絶対に降伏をしなかった。硫黄島では二万百名ほぼ全員が玉砕し、朝鮮従軍兵二百名を死なせず降伏させた。対してアメリカ兵はそれより多い、二万五六千名が死傷した。この戦いでアメリカでは講和の議題がでたという。

こちらは実際に日本軍と戦い実感した、多くのアメリカ軍人達の一つの例である。先の文章の意味がよく解る。
<死闘三十六日の硫黄島 敵将に感謝した浅田中尉>
日本軍の総反撃が終わると、米軍は各地の洞窟のなかにこもっている戦傷者らに対して、降伏を勧めた。浅田小隊も次々と戦死し、残っている者は六人に過ぎなかった。米軍は「戦争は終わった。捕虜にはしないから、出てきたらどうか」と誘いをかけ、チョコレートや缶詰を投げていった。
そんな中、和英両文の手紙を、地下豪の入り口の木にくくりつけ、浅田中尉は亀田軍曹ら六人とともに、午前六時、手榴弾三発をもって自決した。
「閣下の私達に対するご親切の御行為、誠に感謝、感激に絶えません。閣下より頂きました煙草も肉の缶詰も皆で有り難く頂戴致しました。お勧めによる降伏の義は、日本武士道の習いとして応ずることはできません。もはや、水もなく食もなければ十三日午前四時を期して、全員自決して天国に参ります。終わりに貴軍の武運長久を祈って筆を止めます」
昭和二十年五月十三日 日本陸軍中尉 浅田真二
米国司令官スプルアンス少将殿
スプルアンスはミニッツ太平洋艦隊司令長官の長年の友人。その後スプルアンス提督は戦後各地で公演し、日本人をこのように伝えた。
「日本人は生死の境にあっても気力と勇気に満ち、困難に当たっても損得の計算をせず。祖国のために殉ずる。東洋的な礼儀と武士道を最後まで失わなかった。あのような青年がいる限り、日本はやがて世界から尊敬される国になるにちがいない」
両方とも「大東亜戦争の秘話」からである。

多くの人が唱える戦後の何故なんだろうは、マッカーサーも軽蔑した戦後五十五万通にも及ぶ、日本人のマッカーサー賛美の手紙等が物語っている。
兵頭氏が唱えるように、奴隷社会でなかった日本。サムライと町人と職人と農民の選抜の国。サムライ選抜が正義を戦い、敗れ、その他が戦い後、今度の殿様はどんな人かなと、やっているに過ぎない。
ウォーギルトや東京裁判等もあったが、私が一番危惧しているのは、このサムライ以外の選抜は、ある程度知っていて「そうだったのか」とやったのではないかということだ。私は今の日本人がこの根性を持ち合わせていることを、いやというほど知っている。勿論そうでない方々もいることは分かっているし、そうでないことを祈っている。選抜は選抜で、きちっと仕事をして来たから今がある。しかし今、多くのサムライを失い、規範の伝導者たる者「士」がいなくなった日本での、農・工・商と残りわずかな士、すべてが砂の城のごとく崩れて行くだろう。
規範を持たない者が自由を履き違える国。ズバリ現代日本。国際資本市場である以上、グローバルは絶対必要不可欠であるが、諂った基本から騙されてのグローバルは、普遍的無意識を自ら腹を向けて取る行為であり、世界中が馬鹿な黄色人種と無意識下で蔑むだろう。
サムライはまだ死に絶えていない。同志諸君、今こそ履き違えのない自由を導き、日本という国の真の信頼を勝ち取ろうではないか。



2004.06.07
天壌無窮塾(てんじょうむきゅうじゅく)
天壌無窮塾 塾長
TIA   代表 佐山 聡
近代の戦争は世界世論への情報戦が大変重要なカギとなっている。今回のイラク問題でわかるとおり、戦争という機会を得た戦勝国は、相手国側の正義を崩し、自国側へ正当性を向けさせる必要があることが、おわかりいただけるだろう。もちろん開戦前に自国の士気を上げる方法だとか、同盟社会に同調を訴える方法などが会議され、あらゆる作戦が展開される。
日中戦争では赤ん坊が日本軍の砲撃で、焼けただれて黒くなって泣き叫んでいる、一枚の写真が世界に配信され、世界の世論が反日へ傾いた。後にその撮影で何人かの大人が傍で、コーディネイトしている写真が出てきたのは有名だ。
湾岸戦争でクエートへ進行したイラク軍に対し、確かジェーンというクエートから、からくも脱出した少女が、イラク兵の残忍さで、今、国がどうなっているかを、アメリカ国民にテレビで涙ながらに訴え、湾岸戦争への士気が上げられた。これも実はその少女がクエートの在米大使の娘であり、撮影前に広告代理店からかなりの訓練を受けていたことも、有名な話である。
ペルシャ湾で油まみれになった鳥達も然り、後になって実はアメリカ軍が、石油のバルブを開けたと報道された。こんなこと数えたらきりがないくらいある。いかに隠蔽するかも情報戦の重要な部分であり、勝てば美化されるものでもある。
なぜなら世論は誘導を情報として信じ、動かされるからだ。自動車会社のリコール隠しとは訳が違う。それが戦争であり、それが国の存亡をかけている者達の戦いである以上、平和ボケしている我々が思わされている正義とは、かなりの隔たりがあることになる。
かつてのアメリカ陸軍司令官スチムソンは、日本の真珠湾攻撃前「我々の被害ができるだけ少なく、いかに日本に最初の一発を撃たせるかが問題だ」と日記に書いている。
ヒットラーの右腕ゲッペルスは、ヒットラーの首相就任式に60万人が集まり熱狂した、その日の日記に「今日の民衆の熱狂は凄かった。しかし彼らはマスコミの論調次第でいくらでも変わる、やがて我々を裏切るであろう。そして我々は滅びるだろう。100年後に同じ思想を持ったもの達が表れ、世界は統一される」と書いている。
民衆を知り尽くしていたのだ。もちろん世界政治家も軍事参謀も、それを知り尽くしている。
今我々がやらなくてはならないのは、正しい眼とそれらに対処できる国民の態勢作りである。
平和ボケして何でも信じてる暇は、もうないということだ。
私が極右というのは、何も戦前のあのような、世界が未熟な時代であった中での日本思想とは意味が違う。
現代グローバルは当たり前の世界なのである。国際連合、IMF、GATT このような国際資本環境の世界で、一国主義だと言う者などいない。しかし国際社会で協調し、信頼関係をつかむのに、どうだろう、腑抜けを認めるだろうか?自国の普遍的無意識まで売り渡した、馬鹿な黄色人種に、彼たちはその普遍的無意識を共有するはずもない。信頼と普遍的無意識は違うのである。もっとも売り渡さず尊敬し合っても共有は無い。それが普遍的無意識である。
私達はグローバルを否定するのではない。あちら側にある普遍的無意識に対し、見せ掛けだけの歌や論調を信じ込み、あるいは「世界はみな自由で平等で博愛なんだ」と思い込み、自ら自国の普遍的無意識を捨てて、インターナショナルに頼る姿は大馬鹿を見ているようだ。と言っているのだ。勿論はき違えていなければ、自由・平等・博愛のキーワードは大切なんだよ。
いわゆるD-Dayの5日、ブッシュ米大統領とシラク仏大統領の会談後に行った共同記者会見でブッシュ大統領は「民主化が西洋化ではないことは十分認識している。中東の民主主義はそれぞれの文化や伝統を反映することになる」と言っている。
日本人は何を考えているか解らない?我々の文化だ。堂々としていれば良い。何を考えている民族か解るようにしたら、現在このざまだ。西洋かぶれは良いが、規範と自国のプライドを無くし、西洋かぶれしている馬鹿は許せない。
勤勉実直礼儀正しいと白人社会からも一目おかれているから、信頼される一等国なのである。残念ながら今の我が国の状況は、世界にバレてしまっており、昔の日本人は尊敬できたが、今の日本人はまったく変わってしまった。というのが常識化されている。
誰のせいなんだ?この自由をはき違えている国と若者を作ったのは。
金髪、イヤリング、入れ墨、チャラチャラの不良。私が政権をとったら必ず抹殺してやる。

WJに私が出なかったのは、ギャラのせいだと言われているようだが違うよ。確かに最低ギャラの3分1で頼まれ、知り合いだったからOKし、2試合目の試合終わって払われる段階で、突然その半分でと言われた。今日の興行主が全額払ってくれるか分からないという理由だった。でも「良いよ」と言ってあげた。しかし何日かして、次の試合もその後の巡業もその額でというのだ。アッハッハッハと心の中で笑ってやった。そういう人って何ていうの?
みんなのためにも残り少ない時間、そのくらい我慢してちょっとでも多く、リングに上がってあげたいが、問題はそちらの方ではないんだよ。
東京の試合でチケットを頼まれるのだ。最初の試合の時100枚頼まれ200枚売ってあげた。もちろん時間が無く割り引かれるが、私はいっさいマージンをとらない。こっちとら胆嚢炎でウンウン唸っている時だよ。
今回も100枚と電話がかかってきていた。大きな試合で勝負するなら、こちらの営業力で売ってあげるが、毎回はイヤだと言っていた。しかも掣圏道の顧客スポンサーで、迷惑かけたくない。どう思うみんな。実際の話聞かないと分からないでしょ。情報なんてこんなもんだよ。
出てください。チケット売って。スポンサー紹介してというのは、掟やぶりもはなはだしい。
それだったらみちプロみたいに、信頼できる所応援してあげたい。もしタダでも行くね。今回は体が調子良くなっていたから本当に残念だった。



2004.06.05
びっくりした。本日の取材にあのカタブツ氏が来ていたのである。
ある雑誌で始まる人生相談のコーナーを、担当するというのだ。
うわ!今日はカツラかぶって来た。
「どうしたのそのカツラ?」
「か、カツラ・・? カツラじゃないですよ!水晶で生えて来たんです」
「で、でもどうみてもカツラでしょ。ほら!」
悪いと思ったが、あまりに言い張るので、グイっと引っ張ってやった。
「あー!」
取材先の喫茶店でいっきに取れてしまった。
「何するんですか!だから言ったでしょ。帽子だって」
「えー!カツラじゃないって・・」
「そうですよ!カツラじゃなくて帽子なんですよ」
怒ってはいたが、恥ずかしさもあるようで、必死で誤魔化すようにして、本題に入ってきた。
「紙プロだったら自分で相談考えて、自分で佐山さんのフリして書いちゃうんですけどね。ヘッヘッヘ・・・」
照れ笑いで取材が始まる。
「ギャラ問題でWJ出なかったんですか?」
いきなり関係ない話から入ってきた。何かの雑誌に載っていたらしい。
真相はギャラだけではないと、カタブツ氏に詳しく話すと、
「今度WJの人に水晶売って上げますよ」
「カタブツ君わかってあげてんの?」
「もちろん次期編集長を狙っているマロとしては、体制側の気持ちがよく解ります」
少し間があり、うつむいたかと思うと、涙ながらに語りだした。
「ウチの編集長、紙プロのために自ら週刊誌に出て、物品の宣伝してるんですよ」
「エー!」
「本当ですよ。少し写真を修正して家族にバレないように努力したんですけど、隠しきれてないんですよ」
「何を売ってるの?」
「それは言えません。佐山さんどうせHPで書いてしまうんでしょうから」
「でも本当の事しか書いてないよ」
「だから困るんです。紙プロが水晶と油の、総元締めだってバラしちゃうし」
「でも本物なんでしょ」
「ほ、本物ですよ!マロなんか今ほんと幸せですもん」
「じゃあ、なぜ涙ぐんで編集長のこと話すの?」
「感激ですよ。そこまでして紙プロの存亡を、かけていることへの」
「佐山さん疑ってるんですか?水晶を」
「さすがに本気にはしないでしょ」
「じゃあ見ててください」
例の水晶を取り出したかと思うと、いきなり訳の分からない呪文を唱えはじめた。
するとしばらくして、一緒に来ていた女性デザイナーが、いきなり立ち上がった。
お互いが眼を閉じて呪文に動かされているようだ。しかもそこは一般の喫茶店である。
「あなたは何でも水晶の言うことをしてしまう」
呪文が止まり彼女に語りかけた。響きのある言葉だ。
「まず靴を脱いでしまう」
彼女が従う。
「水晶様はおまえのカーディガンを、取れとおっしゃっている」
これも従順にしたがった。
「次に水晶さまは、おまえの黒い服とGパンを脱げとおっしゃっている」
そう言うとカタブツ氏は、片目を明けイヤらしい目つきで、何とかその様子を見ようとしていた。
 彼女も今度は眉をしかめ、ためらった。かと思うと、いきなりカツラの取れた、カタブツ氏の頭を思い切りひっぱたいてしまった。
喫茶店内にパシーン!という音が響きわたる。
「えーと、やっぱり水晶様は考えを変えられたようだ。ちょっとこのへんで解こう」
彼女は怒っているし、カタブツ氏はバツが悪そうに、トイレに行ってしまった。
しばらくしてトイレから出てきたカタブツ氏は、またしても帽子?を被っていた。
「ほら、刺激を与えられたから生えて来たでしょう」
少し虚しさが残る喫茶店内となり、彼女は先に出ていってしまった。



2004.06.04
天壌無窮塾(てんじょうむきゅうじゅく)
天壌無窮塾 塾長
TIA   代表 佐山 聡
天壌無窮塾は社会的な地位ある方々からなる、名誉ある会です。三年前より発足し勉強会を重ね、その間、様々な講師を招いて、秘密理に会の構築をはかっていました。一時ある雑誌が少し載せましたが、以降、目立たぬよう地下で研究活動を進め、人、民族、自然、近代史、世界ルサンチマン史、精神規範、心理等を求めて、今日まで急速に発達してきました。目的は我が国に眠る普遍的無意識下の自立です。そしてこの度、私が塾長に選任された次第です。
TIAは私の個人的組織で、極右と名乗っていましたが、実はこの天壌無窮塾を将来に隆起させるための、プロパガンダです。もちろん実在しており、天壌無窮塾を助ける活動を行ないます。
実際の中道右派の本格的活動はこれから始まります。
近い将来は教育と武道を結びつけた本来の「道」 国を守るために契りを結び、規範を導く真の強者を育てるための城を建築します。期待をもってお待ちください。

数千年の民族的ルサンチマンに育てられた世界に対し、我が国は民族の存亡をかけ戦ってきました。この意味をお分かりになる人は、私のHPを御覧になってくれていましたね。現在の世界に対比してあまりにも低いこの民族意識は、好きでここまで低迷したわけではありません。世界に先駆けた平和体制であるなどと、世界を読めずに魂を失おうとしている日本民族。もう騙されてはなりません。
確実に真実を見つめ、何が世界を動かしているのか。
海で囲まれた我が国が、世界ルサンチマンの影響をあまり受けずに来られた、強さを秘めた純真なる民族であったという事実。
我々は明確な答えを出しています。
規範と礼儀を資本主義の中においても構築できる、タフで気概ある思想を、世界の普遍的無意識に調和させ、より強くなるよう進みましょう。
メソポタミア・エジプト社会、アトランティス社会、古代ギリシャ社会、古代ローマ社会、中国社会、モンゴル帝国社会、東西ローマ社会、イスラム社会、スペイン・ポルトガル社会、オランダ社会、フランス・イギリス社会、アメリカ社会。世界を揺るがす歴史のルサンチマンは、この他にも宗教をめぐる対立を構築して来ました。
今我々はどこに行くべきなのでしょうか。このまま騙され続けられる民でいいはずはありません。貴方は現状の心理にすがってはなりません。貴方自身が強くなるのです。
天壌無窮塾は民族をかけて導きます。



2004.05.30
天壌無窮塾
天壌無窮塾 塾長
TIA   代表 佐山 聡
自然崇拝
天壌無窮とは永久に続く時空を意味し、天壌の起源から発せられた潮流において、我々に摂理としての自然を与えられた無窮のもの「永遠」である。自然は大きな力を持つが、人類は微力ではあっても進歩の過程で、常にこれに逆らって来た。しかし摂理にまかされた「永遠」には、逆らうことはできない。我々は今という瞬間、潮流の中に存在する自然と永遠という、摂理に導かれた一体である。
自然とは物質だけではない。何億光年離れた星も粒子も、地球という星とその粒子も、大自然界に生まれた同次元の存在である。ビックバンの爆発から、マイナス陽子と中性子がぶつかり物質が生まれ、生命もが組み込まれて来た。この宇宙には私達が知り得る知識以外にも、想像を絶する以上の物質の組み込みがあるだろう。
例えば、素粒子だけの生命体や、時空の観念すら覆す生命体。それどころか物質や生命体以外の何かの存在。無限世界の質は、大きな潮流から分岐した小さな潮流において、私達「地球生命体」を発生させている。そして潮流に与えられた自然の摂理、子孫への継続性を組み込みこんでいるのだ。歴史はその摂理から絶対に離れられない。
人に本能があり感情がある。感情があるから歴史が生まれる。然り、潮流の流れである。地球生命体に性行為があり、わが子や孫や親兄弟を愛おしく感覚するも、潮流に与えられた私達の「本能」なのだ。伴侶もそうした中で生まれてくる、潮流の摂理「絆」という言葉で結びつく。
粒子の先には物質があり、物質の先には生命体を司る細胞がある。体だけではない。精神も同じように潮流からの物質の延長構成、神経細胞によって構築され、我々の脳などを司っている。潮流は私達に心を与えた。それはあたかも誰もが万能を持てぬように、あるいは潮流にそうように「本能」という継続基盤をつけている。

人類の摂理「普遍的無意識の世界観」
我々の意識は今という「注意」に瞬間をゆだねている。規範を含む心の形成は「注意」の下層にあって、表面化しない自己を定める影響「無意識」に託されているのである。それは海上に浮かぶ氷山の形に似ている。海面に見える氷の山は、文字通り氷山の一角に過ぎない。残りの殆どは海底に沈んでいる。人間でいえば海上に浮かぶ氷の姿が、自己を意識できる注意の領域であり、海底に沈む姿こそが、普段の意識に表れずに我々を司っている領域「無意識」なのだ。その無意識の最底辺には、潮流に導かれた本能が宿っている。
摂理に逆らうことは、所詮潮流に逆らうことに過ぎず、生きることは我々に与えられた、潮流の中の遊びなのかも知れない。遊びといっても車のアクセルなどにある、余裕の遊びのことである。しかし人間だけは、遊びの域を越えて自然破壊まで起こしてしまう。それどころか地球滅亡の力まで得てしまった。とてもやっかいな代物であるが、しょせん大きな潮流の中では、摂理にそって流れている時空に過ぎない。しかし小さな潮流を壊すことは、すべての生が持つ本能「愛」を破壊することであり、それを防ぐのは、人類の導きにかかっているのだ。我々は摂理の基盤を潮流の流れに、合わせなくてはならないのである。

生命体は潮流を堅持するために、防衛本能と愛から生じた、組み込みの共同体「自己狭窄」を心の下層に持っている。例えば貴方が守るものは「これがやられれば家族が無事ではない」という事を意識する、普遍的(全体的)無意識によってつながっている。これは自分が生まれた土地に根ざす、心が存在することと一致し、村や町や国家や民族とか宗教などにまとまる。なぜなら自己の存在についての自覚がなくては、意志を持たないロボットに過ぎないからだ。
もうひとつ無意識には、個人的なものがある。生まれてから今日までに蓄積された、あなたのあなた自身が作用させて溜め込んだ記憶である。夢というのが過去の経験を無意識下に構築し、ストーリー立てで表れて来るように、自己の無意識に蓄められた出来事は、自分なりの規範によってしまい込む。なぜ心に強い弱いがあるのか、あるいはなぜ迷うのか、なぜブレるのかも、無意識による構築が、本能以上に働くのが人間であるからだ。このしまい込みの構築こそ、人間を司る「魂」なのである。
潮流に育まれた我々人間は、普遍的無意識にゆだねられた中にレベルの層がある。1のレベルが家族、2のレベルが共通的精神観念、3のレベルが精神共同体である。
これらはレベルで強い弱いがあるわけではなく、普遍的無意識の層をいう。どれか一つ欠けても潮流は退廃する。なぜなら1の層が潮流の成分としての摂理。2の層が潮流の浄化作用。3の層が確固たる潮流の導きであるからだ。
2と3を無くし、普遍的無意識を1のレベルだけにすることは、プライドや競争心、仲間意識(無意識下でも)、果ては家族意識をも無くすことになる。そうすると一見互いの優越意識はなくなり、争いを起こすことは少なくなると思われるが、実際は規範もなくすことを意味するのだ。
人の本能を基準にしてつくられた社会の基本は、平和を進む道ではなく、人間社会の荒廃を押さえ、強い社会を構築するものであった。盲目に2と3を削り平和のみをさらけだすと、何んの感情もなくなる、ロボトミー化した人間を育てることになり、あらゆる尊敬感も無くなる社会となるだろう。両者が進んだ場合、社会は無気力な脱力感か、快楽を求めるだけの世界に入り込み、拝金主義のみの無秩序化した社会が、入り乱れることになる。
人類が宗教等の規範制度を生んだのは、人口が増え社会を形成するために生まれた、摂理であるともいえる。しかし世界中全てが共通化した宗教等になった場合も、人に「我」や「煩悩」がある以上、次々に派が分かれ、また争いが起こることになるだろう。
近代5、6千年前からの人類が、文化を構成し歩んできた無意識とは何か、それを知らずして何も語ることはできない。人々が導かれるための道を進むには、何がこれまで人類を作ってきた、普遍的無意識なのかを捉えなくては、正しく歩み出すことはできないのだ。なぜなら近代の普遍的無意識を知らずして、国境無き世界とか民族の融合だとかは、家族のプライドや愛を守ることにはならないからである。たとえ人類が500万人になろうとも、普遍的無意識は無くならないだろう。それほど潮流を司ろうとしている、宇宙の発生は摂理的なのだ。我々はそれを自然崇拝と位置づける。

愛と憎しみの文化、自然と和の文化
歴史は人々に無意識を刻み続けて来た。約150年前から60年前まで、我が国が戦った欧米諸国と我が国では、普遍的無意識が大きく異なっている。
彼ら「世界」は、内戦ではなく、負けた側の国民が奴隷となる戦争を、歴史上繰り返し行なってきた。その以前からも、都市化が進み文明が始まると、民を制定するためにハンムラビ法典が生まれ、規範の基本となって宗教が生まれていった。しかし戦争が無くなる事は有り得なかったし、各地各民族の普遍的無意識は、愛という壁を越え、憎しみとプライドを増長させては、愛に戻ることを繰り返してきたのだ。そう、愛が地球を救うことは無かった。愛と憎しみの文化と言われる、彼らの普遍的無意識は一言「タフ」である。
日本がなぜリベラルに溺れるのかは、四方を海で囲まれたことによる歴史の差であるかも知れない。内戦が主体だった日本の文化は「和」の魂を守り続け、根こそぎ殺戮や虐待をする戦いを殆どしなかった。戦いにおいては勇猛果敢を重要視したが、礼儀の作法も生まれ、正正堂堂の精神が宿っていく。これが世界ならヤアヤア我こそはと言ううちに、民もろとも殺戮されてしまう。殺されずとも征服された後に、自己の普遍的無意識が抑圧される脅威を、覚悟しなくてならないのである。相手もそう思っているから必死なのだ。日本の戦(いくさ)は武士たちによる、命をかけた闘いでしかなかったことになる。本当の戦いの重圧とは、国家の普遍的無意識を叩き潰されることだ。
今、我が国は一時の平和の真の意味を知らず、他の国の自国家有利意識から生まれる、普遍的無意識の高揚を危惧する事無く、我が国だけに通じた偽りの歴史観を、催眠で見させられ恍惚化している。平和ボケと言うにはあまりにもおぞましい。
侍と侍でない者との大きな差の歴史。誰がこの国を守ったのか。現在ある日本人の世界からの尊敬度は経済では無い。命の価値観を彼らに脅威せしめた、明治と武士であり、靖国に眠る英霊であり、八百万の勇者であるというのが、彼らの我々に対する普遍的無意識だ。歴史の認識度はあまりにも歪められている。正常な国家を再生するために我々は戦うしかない。自立、真の国際社会の日本、和と自然崇拝からなる武士道精神の規範復活を目指して。

導き
精神規範を取り戻すことは、時代を逆戻りすることではない。地球的世界の普遍的無意識を把握し、史上最高の精神文化「武士道」を温故知新して、進んで行く道を正すのだ。戦後処理によって隷属路線を司られた社会に、真の自立はあり得ない。真実をつかむことから始めようではないか。我々の戦いは大和三千年の魂を世界へうち出す、大きな「志」を秘めたものである。真の安定は規範を無くし、リベラルに撤することではない。気概に包まれたDNAを呼び起こし、世界の無意識に誇れる社会を歩むことだ。もう騙されることは許されない。一人一人が責任を持ち、真の自由・平等・博愛社会を気概と規範をもって謳歌するのだ。「これからの日本を頼むぞ」と先人が与えてくれた潮流を蘇えらせるのだ。
国際社会とは世界の普遍的無意識感「圏」に巻き込まれることでもある。平和ボケよろしく何の規範も無くし、ただリベラルを叫んでいる愚民が、国際「圏」を生きて行けるわけが無い。世界の普遍的無意識にへつらう事無く、侮辱することもなく、尊敬し合って生きる姿。まず自己がそれに値する魂を養い確立しなくては、互いの尊敬感を生じさせる資格があるはずもない。
私達の摂理に導かれた鉄の意志の一言が、貴方の真理を芽生えさせることになるだろう。これは宗教でもなければ政治でもない。かつてサムライがそうであったように、真の「道」貴方自体が守るべき「国」に課された、特別な潮流の摂理なのである。
天壌無窮塾が導く。


2007200620052004
 
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